☆沖縄空手の流派




















※本部朝基『私の唐手術』(1932年)の著者略歴には、『糸洲安恒、佐久間(佐久真正起)、松村宗棍、松茂良興作』の4氏に主に師事したと書かれている。このうち前3氏が首里、最後の松茂良先生だけが泊の出身である。つまり、3:1で師事した先生は首里のほうが多いのである。


■沖縄空手の発生について
空手の発生についてはこれまで多くの研究が発表されています。しかし、空手がいつ発生し、体系化されてきたかについてははっきり断言できません。文献史料が乏しいのも原因の一つです。1994年沖縄県教育委員会は、これまでの起源論研究の成果を整理した。

①空手はもともと「手」(ティ)と呼ばれる沖縄在来の武術があり、それに中国武術等が影響を与えて発生した。

②空手の発生は尚真王 (1477~1526在位)の時代、諸按司の首里集住と刀狩りの実施及び薩摩の琉球入り(1609)後の禁武政策等の影響により発生した。

③察度の時代、中国との交易が開始された時 (1372)以後、中国武術が導入され、それが沖縄の風土にあうように形式化され、発生した。

以上の三つの観点から空手の発生について論じられるのが一般的です。

首里手、泊手、那覇手について①
流派が生まれるまでは、首里手、那覇手、泊手として区分があったとよく近代文献に出てきますが、この三つの「手」という表現は、1927年に初めて使用されました。

沖縄県柔道有段者会の招きで、嘉納治五郎講道館館長が沖縄を訪れ、歓迎行事の一環として、空手演武会が開催された。世話役は、「沖縄唐手クラブ」の宮城長順と摩文仁賢和が努めた。このとき、便宜上『首里手、那覇手、泊手』という名称が使用された。演武者は、花城長茂、久場興作、喜屋武朝徳、宮城長順、摩文仁賢和など。




■諸流派の発生
現在の諸流派は近代以降に成立したものがほとんどです。

宮城長順(1888~1953)の高弟の一人新里仁安は、1930年11月、明治神宮で開催された奉納武道型大会に出場して、三戦を演じた。その際に流派名を問われたことがきっかけとなって、宮城は沖縄伝『武備志』の〈拳之大要八句〉の一句「法剛柔呑吐 身随時応変」(法は剛柔を呑吐し身は随時応変す)から『剛柔流』と名づけた。空手の流派としては最も古い。

唐手佐久川・松村宗昆(棍)の流れをひく糸洲安恒に師事し、1919年首里鳥堀に道場を開設して指導を始めた知花朝信(1885~1969)は意欲的に普及に尽力し、1933年には自派を『小林流(しょう りんりゅう )』と命名し、1948年には沖縄小林流空手道協会を創設しました。

福建省福州13年間、南派少林拳の達人周子和に師事し、修行を重ねた上地完文 (1877~1948)は、帰郷後和歌山に転出し、1932年パンガイヌーン流空手術研究所を開設し、本格的指導を開始しています。1940年『上地流』と改名し、現在に至っています。

・パンガヰヌーンとは、福建語では「半軟硬」と表記し、その意味は「鋭く素早い技を特徴とする拳法」で、福建省に伝わる南派少林拳諸流派に共通する特性、拳質の意味と言われています。
 従来「半硬軟」と表記されてきましたが、2012年に当協会(沖縄上地流唐手道協会)が福州市武術協会と共催した交流会において、現地の先生方から、発音的にも「半軟硬」が正しい表記とのご指摘を頂いています。

長嶺将真(1907~1997)を始祖とする『松林流』は首里手中興の祖である松村宗昆(棍)と泊手の中興の祖である松茂良興作の「松」の一字をとり、1947年に松林流と命名しました。

通称チャンミーグヮーと親しまれた喜屋武朝徳(1870~1945)は読谷村の比謝川付近に移り住み、多くの門弟を育てました。その中から『少林流』『中部少林流』『少林寺流』などの会派が生まれました。

また、祖堅方範(1870~1945)は、松村宗昆(棍)の孫のナビータンメーに師事し、後に『松村少林流』と命名した。

中村茂(1891~1969)は糸洲安恒、花城長茂に師事し、後に『沖縄拳法』と命名し、本島北部を中心に普及した。

那覇手、首里手の両方の影響を受けたり、取り入れたりしている会派に『一心流』があり、那覇手と泊手の両方の系統を継承する会派として『剛泊会』(沖縄剛柔流・泊手空手道協会)があります。その他一子相伝として受け継がれてきた会派に『劉衛流』や『本部流』等があります。

『劉衛流』

仲井間憲里(1819〜1879)が中国に渡り、劉龍公に師事。始祖・劉龍公の「劉」と仲井間憲里の唐手名である衛克達の「衛」を取り、『劉衛流』としたとされる。始祖・劉龍公を初代とし、2代憲里、3代憲忠、4代憲孝、5代憲児と続く。一子相伝を貫いた劉衛流だが、佐久本嗣男が4代憲孝に師事し、門戸が開かれた。


劉衛流(りゅうえいりゅう)
仲井間憲里が中国に渡り、劉龍公に師事。始祖・劉龍公の「劉」と仲井間憲里の唐手名である衛克達の「衛」を取り、「劉衛流」としたとされる。始祖・劉龍公を初代とし、2代憲里、3代憲忠、4代憲孝、5代憲児と続く。一子相伝を貫いた劉衛流だが、佐久本嗣男が4代憲孝に師事し、門戸が開かれた。

この空手のスタイルは、1875年頃に仲井間によって沖縄に初めてもたらされた。 沖縄県久米の裕福な家庭から生まれた仲井間は 、19歳で武道の高度な研究のために中国 福州に赴く。

中国では、琉球列島中国大使館の元警備員が、仲井間に中国武術教師であった劉を紹介。 [要出典] 仲井間は受け入れられ、7年間訓練を受け、数年後、東恩納寛量らとマスターから卒業証書を授与。彼は、戦闘技術から漢方薬、ハーブ治療法まで、さまざまな芸術とスキルの訓練を受けている。仲井間は中国を離れる前に福建省や広東、北京にも赴き、武道の経験をさらに深めるために、武器や巻物を集めた。



『本部流』

本部朝基(1870〜1944)が、戦前に創始した流儀である。正式には日本傳流兵法本部拳法(にほんでんりゅうへいほうもとぶけんぽう)と称し、競技化された現代空手とは異なり、古伝空手・古流空手の系譜に属する。かつて空手が「唐手(からて)」あるいは「手(ティー)」と呼ばれていた時代、すなわち琉球王国末期から明治初頭にかけての空手の様相を、今に伝えている流儀である。


・本部御殿手(もとぶうどぅんでぃー)は、かつては“御主加那志前の武芸(琉球国王の武術)”と呼ばれ、代々琉球王族・本部御殿に伝えられてきた武術です。「手(ティー)」とは琉球語で「武術」を意味し、従って本部御殿手とは、「本部御殿に伝わる武術」ということを意味します。本部御殿手は、突き・蹴りを主体とした空手技法、取手(トゥイティー、とりて)と呼ばれる関節技・投げ技、さらには各種の武器術からなる総合武術です。

 本部御殿手は王朝時代の空手が一般にそうであったように、その継承は「門外不出」、「一子相伝」という秘密主義をとり、本部御殿の嗣子(跡継ぎ)のみがこれを習うことを許されました。琉球王国時代、本部御殿の嗣子は満6歳になると御殿手の修業に入り、元服する頃までには、一通りの修業を終えるように稽古しました。

 廃藩置県後は、本部御殿第11代当主の本部朝勇師だけがこの武術を知っていましたが、王国滅亡後の家運の衰退とともに、息子たちはみな本土に移住してしまい、御殿手の継承が難しくなりました。

そこで、朝勇師は弟子・上原清吉の才能を見込んで技を仕込み、和歌山に住む次男・朝茂(1890 - 1945)に御殿手を伝えることを考えました。上原少年は師の期待通りに成長し、大正13(1924)年、和歌山に渡り、半年間にわたって朝茂氏に御殿手を伝授しました。その結果、本部御殿手は本部家の血筋に伝えられ、失伝の危機を免れたのでした。

 しかし、昭和20(1945)年の大阪空襲により朝茂先生が亡くなると、御殿手は再び失伝の危機に瀕しました。上原先生は、昭和22(1947)年、移住していたフィリピンから帰郷しましたが、忌まわしい戦争体験のため、しばらくは武術を控えていました。しかし、フィリピン時代の噂を聞いて尋ねてきた人達を相手に、少しずつ指導を再開するようになりました。そして、昭和36(1961)年、師の姓をいただき、自身の流派を本部流と命名して正式に教えることにしました。

 当初は「本部家以外の人間には一切教えてはならない」という朝勇師の教えにしたがい、一部の師範クラスに取手を教える以外は、一般には突き蹴りを主体とした空手を教えていましたが、御殿手が自分一代で失われることを惜しみ、昭和45(1970)年、ついにこの王家秘伝武術を公開する決意をし、流派名も新たに本部御殿手として本部御殿手古武術協会を設立、会長に就任しました。

次第に門弟は増えていきましたが、「本部御殿手を本部家に伝える」という朝勇師との約束は果たされずにいました。何度か本部家の人を訪ねて頼んだり、実際に道場に稽古に来てもらったりしましたが、長続きしなかったりと上手く行きませんでした。

 しかし、昭和51(1976)年、神戸にて朝基先生の嫡男・朝正先生に初めて出会い、本部御殿手を本部家に返したい旨を伝えました。朝正先生は上原先生の技に感銘し、父朝基師の日本傳流兵法本部拳法とともに、伯父朝勇師の本部御殿手も継承することになりました。

 その後、昭和59(1984)年には日本古武道協会への加盟も果たし、本土でも本部御殿手を公開しました。そして、平成15(2003)年、99歳の白寿の祝いの席で上原先生は宗家を朝正先生に譲り、約80年前の師との約束を果たしたのでした。






太平洋戦争後は流派の統制がゆるやかなものとなり、流派から会派が生じ、また会派を結成しない道場も生じられた。
2017年、沖縄県空手振興課の調査によると、県内の道場の数は約400です。なお、流会派の数は100をこえるという。




■空手の目的
今や、空手は単なる沖縄の空手ではなく、世界の空手道として普及発展していることは発祥地に生まれ育った沖縄県民の大いに誇りとするところであります。しかし、空手を学校教育の中にとりいれ、子供達に指導する目的はとこにあるのだろうか。沖縄県はその目的について三つの点から考えています。一点目はスポーツとして健康な肉体を育成することです。二点目は武術として護身の法を身につけることです。三点目は空手の修業を通して「心」の鍛練をすることです。これら三つの目的は不離一体のものであり、空手を指導したり、修業したりする時の重要な観点といえます。
(沖縄空手案内センターより)

■首里手、泊手、那覇手について②

首里手(スイディー)
首里手は、政治の中心地であった首里で発達した武術です。首里の「士(サムレー)」たちによって受け継がれ、長い歴史の中で多くの名武術家たちに伝えられてきました。
首里手の系譜は、佐久川寛賀から松村宗棍へ、そして宗棍から糸洲安恒、安里安恒、多和田真睦、喜屋武朝徳へと続きます。さらに、屋部憲通、花城長茂、徳田安文、城間真繁などへ受け継がれ、これが小林流の知花朝信、松濤館流の船越義珍、糸東流の摩文仁賢和などに影響を与えました。また、喜屋武朝徳の系統からは少林流・少林寺流が派生しました。

那覇手(ナーファディー)
那覇手は、商業の中心地であり、海外への玄関口でもあった那覇で発展しました。特に福州との関係が深く、久米村(クニンダ)は福州を中心にした中国系渡来人の居住区でした。このような国際的な環境の中で育まれたのが那覇手です。
那覇手の系譜は、東恩納寛量から始まり、糸東流の摩文仁賢和、剛柔流開祖の宮城長順へと受け継がれました。

泊手(トゥマイディー)
泊手は、泊地域で発達した武術で、宇久嘉隆と照屋規箴が元祖と言われています。嘉隆と規箴から親泊興寛、山田義恵、松茂良興作など泊地方の「士(サムレー)」たちによって受け継がれました。泊手を代表する武術家としては松茂良興作が挙げられ、その系譜から長嶺将真を開祖とする松林流が派生しました。また、少林流系に多大な影響を与えた喜屋武朝徳も泊手を継承しています。

■空手の日
10月25日は「空手の日」1936年10月25日に、当時の「唐手(トーディー)」を「空手」と呼ぶことが公式に決定した歴史的な出来事に由来します。1936年(昭和11年)10月25日、沖縄県那覇市で琉球新報社の主催により開催された「唐手座談会」で、空手の表記を「唐手」から「空手」へと正式に統一することが決議されました。 

この会議に参加した著名な空手関係者 
喜屋武朝徳(泊手、首里手系の空手家)
花城長茂(首里手系の空手家)
小禄朝禎(または小禄朝貞、流派不明)
本部朝基(本部流開祖)
許田重発(東恩流開祖)
宮城長順(剛柔流開祖)
城間真繁(糸洲安恒と東恩納寛量に師事した空手家)知花朝信(小林流開祖)

「名称を“空手”に統一し振興會を結成! 縣下の達人網羅し座談會賑ふ」『琉球新報 昭和11年10月26日』の切り抜き記事



※上記の真栄城朝亮先生は誤記で、
千歳強直先生(ちとせ つよし、1898年 明治31年)〜1984年 昭和59年)千唐流開祖が、正しいという説があります。


☆沖縄空手道の会派、流派
■団体
『沖縄伝統空手道振興会』
加盟団体
・全沖縄空手道連盟
・沖縄県空手道連盟
・沖縄空手・古武道連盟
・沖縄県空手道連合会

『沖縄空手案内センター』
加盟団体
・沖縄の空手・古武術保存会
・沖縄伝統空手道振興会
・全沖縄空手道連盟
・沖縄県空手道連盟
・沖縄空手・古武道連盟
・沖縄県空手道連合会
・沖縄県古武道連盟

■流派
石嶺流(いしみねりゅう)
一心流(いっしんりゅう)『一心流国際空手道連盟』
上地流(うえちりゅう)
沖縄拳法(おきなわけんぽう)
空真流(くうしんりゅう)
剛柔流(ごうじゅうりゅう)
硬軟流(こうなんりゅう)
剛泊流(ごうはくりゅう)『沖縄剛柔流・泊手空手道協会』
孝武流(こうぶりゅう)
湖城流(こじょうりゅう)
昭平流(しょうへいりゅう)『沖縄空手道協会』
小林流(しょうりんりゅう)
少林流(しょうりんりゅう)『沖縄少林流空手道連盟』
松林流(しょうりんりゅう・まつばやしりゅう)『世界松林流空手道連盟』
少林寺流(しょうりんじりゅう)
中部少林流(ちゅうぶしょうりんりゅう)
渡山流(とざんりゅう)
本部流(もとぶりゅう)
本部御殿手(もとぶうどうんてぃ)
劉衛流(りゅうえいりゅう)

■上地流の会派団体①

上地流空手道連合会 

上地流空手道協会
上地流空手道拳優会
上地流空手道振興会
上地流空手道振興会修武館
上地流空手道連盟
上地流唐手巴会
上地流唐手隆聖館
上地流拳誠会
上地流ラムセスクラブ空手道
沖縄上地流唐手道協会
沖縄上地流唐手道保存会
沖縄空手道上地流山会
沖縄空手道協会昭平流
沖縄硬軟流空手道協会
沖縄孝武流空手道古武道孝武会
硬軟流空手道守礼会
国際上地流空手道・琉球古武道與儀会館
国際上地流修武会
下地(しもじ)派上地流空手道
半硬軟流空手道協会

■上地流の会派団体②
上地流空手道連合会
・会長 上地榮
1998年、「上地流系空手道連合会」設立
2018年、『上地流空手道連合会』へ名称変更
2020年、弊会から県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」の保持者2人(高良信徳氏・仲程力氏)が追加認定

43道場加盟(県内30道場、県外11道場、海外2道場)2025年9月現在


・上地流空手道連合会に加盟道場、会派、団体

沖縄空手道上地流修徳館協会 

沖縄上地流協会

沖縄上地流空手道 

上地流空手道連盟

上地流空手道硬軟会 

上地流空手道半硬軟協会 

上地流空手道アゲダ道場

上地流唐手道 

上地流空手道

一般社団法人 実戦沖縄武道連盟 琉成會
(会長 與儀清斗、旧会派名 国際上地流空手道・琉球古武道與儀会館)


沖縄空手道協会(上地流) 

・会長 山城博邦 
 当協会は「修武鵜曾」(昭和8年)、「上地流空手道協会」(昭和46年)、「沖縄空手道協会」(平成元年)と改称、略称「沖空会」
16道場加盟

(9道場、上地流空手道連合会に加盟)



上地流空手道協会

・会長 上地完尚
1971年、上地流空手道協会発足、上地完英終身会長に就く
1991年、二代目 上地完英 逝去(享年79歳) 上地完明 跡目継ぎ、三代目宗家、上地流空手道協会会長就任
2015年、三代目 上地完明 逝去、上地完尚 跡目継ぎ、四代目宗家、上地流空手道協会会長就任

上地流空手道拳優会
・会長 新城清秀
(上地完文に師事した新城清優の意思も受け継いだ三代目新城清秀が率いる)

上地流空手道振興会
上地流空手道振興会修武館
・総師範 上原勇
(上原三郎に師事)

上地流唐手道巴会
上地流唐手道巴会塚口道場
・代表 福島寿礼
(私の師古堅宗隆先生は父より国吉流を、初代上地完文、完英先生より上地流を学び、戦後尼崎にて上地・国吉流を伝える。私は昭和37年に道場を持つことを許され現在に至る。これからも伝統唐手を守り伝承して行きたい)

上地流拳誠会
・会長 瀬長義常 10段
(あるセミナーの講師、糸数修治 7段、友利和洋 6段、赤嶺聖子 5段)

上地流ラムセスクラブ空手道

上地流ラムセス空手道 伊禮館

・館長 喜舎場朝春
(上地流空手道連合会に加盟)

沖縄上地流唐手道協会
沖縄上地流唐手道協会普天間道場 
・館長 高良一也館長

沖縄上地流唐手道保存会
・会長 初代 宮城實10段、2代目 我謝孟弘9段
(保存会は、1996年設立し、上地完文先生及び上地完英先生を崇拝し、その教えを忠実に守り、上地流唐手道の型を永久不変なものとして改変することなく継承し、普及発展させることを目的にした組織である)

沖縄空手道上地流山会
・本部 當山直美
沖縄空手道上地流山会 愛媛支部
・代表 萩山定利
(初代、上地完文先生からの技法を守り、絶技である 「筋肉躍動術」の体現者である當山清幸会長を師として日々鍛練に励んでいます)

沖縄空手道協会昭平流

沖縄硬軟流空手道協会
硬軟流空手錬成会
・会長 與儀助盛10段

與儀助盛 硬軟流10段(1934年〜2025年?)
上地完英に師事
糸数盛喜に師事
2016年、硬軟流空手錬成会を設立

糸数盛喜(1915年〜2006年)
1933年、首里手の喜屋武朝徳(1870年〜1945年)に師事
1938年から、パンガイヌーン「半硬軟」の上地完文、上地完英に師事
1990年、沖縄硬軟流空手道協会を設立
1997年、無形文化財保持者とし
硬軟流稽古場を設立

沖縄孝武流空手道古武道孝武会
・会長 金城孝10段
(糸数盛喜に師事)

硬軟流空手道守礼会
・設立 真栄城守成
(糸数盛喜に師事)
・首席師範 島袋常雄

国際上地流修武会
・会長 久野泰(スペイン)

下地(しもじ)派上地流空手道
・指導師範 下地 康夫、横関 弘宜(東京、神奈川)

日本空手道上地流修武会
・会長 初代新木覺9段
(上地完英に師事)
2代目 七五三貴嘉

上地流唐手隆聖館

■上地流の会派団体③

・上地流空手道連合会に加盟43道場

沖縄空手道協会上地流 泡瀬道場
館長 桃原慶長
沖縄空手道協会上地流 浦添道場
館長 安里信秀
沖縄空手道協会上地流 コザ道場
館長 与那嶺 正徳
沖縄空手道協会上地流 佐敷道場
館長 与那嶺 幸助
沖縄空手道協会上地流 北谷道場
館長 喜友名進
沖縄空手道協会上地流 那覇道場
館長 仲程力
沖縄空手道協会上地流 八王子由木道
館長 飯島利三
沖縄空手道協会上地流 山城道場
館長 山城博邦
沖縄空手道協会上地流 読谷道場
館長 上地榮
沖縄空手道上地流修徳館協会 本部道場
館長 當間義治
沖縄空手道上地流修徳館協会 真壁道場
館長 高江靖
上地流空手道連盟 嘉数修武館
館長 志良堂清眞
上地流空手道連盟 前田修武館
館長 石川清義
上地流空手道連盟 屋富祖修武館
館長 松田義雄
上地流空手道連盟 相模原修武館
館長 下地康夫
上地流空手道硬軟会 阿波根道場
館長 阿波根昌義
上地流空手道硬軟会 具志堅道場
館長 具志堅全隆
上地流空手道硬軟会 盛武館本部道場
館長 糸数盛昌
上地流空手道硬軟会 比嘉塾
館長 比嘉良幸
上地流空手道半硬軟協会 光陽館
館長 糸数盛光
上地流空手道半硬軟協会 吉長礼館
館長 吉長久雄
上地流空手道半硬軟協会 堺守礼館
館長 村山盛哲
上地流空手道半硬軟協会 天王寺守礼館
館長 津田 佳和
上地流ラムセス空手道 伊禮館
館長 喜舎場朝春
上地流空手道アゲダ道場
館長 伊波昇巡
上地流空手道アゲダ道場 美里支部
館長 下條克乃
上地流空手道アゲダ女性道場
館長 宜寿次、美智
上地流空手道守礼会 南風守礼館
館長 島袋淳
(一社)実戦沖縄武道連盟琉成會 総本部
館長 與儀清斗
(一社)実戦沖縄武道連盟琉成會 関東本部
館長 漢那安教
(一社)実戦沖縄武道連盟琉成會 東松戸支部
館長 田邊順治
(一社)実戦沖縄武道連盟琉成會 茂原支部
館長 大木 一夢
沖縄上地流協会 普天間道場
館長 高良一也
沖縄上地流協会 読谷道場
館長 上地武徳
沖縄上地流協会 みとむ道場
館長 大川盛安
上地流唐手道 呉屋道場
館長 呉屋春樹
沖縄上地流空手道 うるま石川道場
館長 喜納健昌
沖縄上地流空手道 神奈川大和道場
館長 角田仁司
沖縄上地流空手道 湘南道場
館長 角田仁司
沖縄上地流空手道 豊田修武館
館長 堀大輔
上地流空手道トヨタクラブ
館長 稲垣輝明
上地流サクラメント(アメリカ・カリフォルニア)
館長 Robert S. Van Der Volgen Jr
上地流唐手道氣心体道場(ドイツ)
館長 Thomas Podzelny



■小林流(しょうりんりゅう、こばやしりゅう)の会派団体
沖縄空手道小林流小林館協会
小林流究道館
沖縄空手道小林流武徳館
礼邦館
沖縄小林流空手振興会
沖縄空手道小林流妙武館協会
沖縄空手道小林流 竜球館空手古武道連盟(野原耕栄)

■沖縄剛柔流の会派団体
国際沖縄剛柔流空手道連盟(IOGKF、東恩納盛男)
剛柔流空手道泉武会
(日本空手道連合会加盟団体、泉川寛喜、川崎市)
剛柔流国際空手古武道連盟
(比嘉世幸)
国際明武館剛柔流空手道連盟
(八木明徳)
沖縄空手道剛柔流尚禮館
(渡口政吉)
沖縄剛柔流空手順道館
(宮里栄一)
沖縄剛柔流空手道協会
沖縄剛柔流拳志會空手道古武道
沖縄空手道剛柔流琉翔会/世界剛柔流琉翔会
(瀬名波重敏)


■令和4年度 沖縄空手実態調査業務報告書
令和4年9月沖縄県文化観光スポーツ部 空手振興課











☆沖縄県以外の沖縄空手道会派団体

■首里手系

ショウリン流 今野塾
今野敏
 1.空手道今野塾は、古流の型を研究し、実戦的な技を学びます
現在、空手を名乗る団体は数多くありますが、それぞれに独特のスタイルを持っています。今野塾は、最もオリジナルに近い空手を追及し、その型に隠されている実戦的なテクニックを学びます。

2.空手道今野塾は、武道団体としての礼節を大切にします
日本人は、多くのものを失ってきました。礼節もその一つ。武道団体として、かつて日本人が持っていた美しい礼節という伝統を大切にします。社会生活や国際社会において、恥ずかしくない日本人でいることを目指します。

3.今野塾は武器術、整体の研究の場も提供します
もともと空手は、棒術を中心とする武器術といっしょに発展したものでした。そして、奥義の中には整体も含まれていたのです。今野塾では、その伝統を重視して、棒術などの武器術、整体術の知識も伝授します。

空手道今野塾とは?
今野塾で学ぶ流派、それは首里手=ショウリン流
私、塾長・今野敏が、師・池田奉秀氏から学んだ常心門の源流である、沖縄の少林流と少林寺流をもとに、首里手の系統である小林流や松林流も独自に研究しました。首里手の最もオリジナルに近い型と理念を常に追及しています。沖縄では、首里手=ショウリン流という言い方がよくされるようです。従って、今野塾では、流派名として、ショウリン流、あるいは首里手という言い方をします。

今野塾の練習内容
準備運動
基本練習(左右突き、逆突き、前蹴り、横蹴り、各種受け)
基本の型(昭和12年3月に、屋部憲通、花城長茂、喜屋武朝徳、知花朝信、宮城長順ら諸先生によって制定された「空手道基本型12段」の第一段)
型の練習
型の分解組手
分解組手の応用
整理運動
今野塾で学ぶ型
平安(ピンアン)初段~五段
初心者のための型です。まず空手の動きを体に覚えさせることが目的です。

ナイファンチ初段
足腰の鍛錬、立ちの基本を目的とした型です。基本型ですが、倒木法やムチミといった高度な技術を学ぶことができます。

空手道・今野塾
今野 敏

1.空手道今野塾は、古流の型を研究し、実戦的な技を学びます
現在、空手を名乗る団体は数多くありますが、それぞれに独特のスタイルを持っています。今野塾は、最もオリジナルに近い空手を追及し、その型に隠されている実戦的なテクニックを学びます。

2.空手道今野塾は、武道団体としての礼節を大切にします
日本人は、多くのものを失ってきました。礼節もその一つ。武道団体として、かつて日本人が持っていた美しい礼節という伝統を大切にします。社会生活や国際社会において、恥ずかしくない日本人でいることを目指します。

3.今野塾は武器術、整体の研究の場も提供します
もともと空手は、棒術を中心とする武器術といっしょに発展したものでした。そして、奥義の中には整体も含まれていたのです。今野塾では、その伝統を重視して、棒術などの武器術、整体術の知識も伝授します。

空手道今野塾とは?
今野塾で学ぶ流派、それは首里手=ショウリン流
私、塾長・今野敏が、師・池田奉秀氏から学んだ常心門の源流である、沖縄の少林流と少林寺流をもとに、首里手の系統である小林流や松林流も独自に研究しました。首里手の最もオリジナルに近い型と理念を常に追及しています。沖縄では、首里手=ショウリン流という言い方がよくされるようです。従って、今野塾では、流派名として、ショウリン流、あるいは首里手という言い方をします。

今野塾の練習内容
準備運動
基本練習(左右突き、逆突き、前蹴り、横蹴り、各種受け)
基本の型(昭和12年3月に、屋部憲通、花城長茂、喜屋武朝徳、知花朝信、宮城長順ら諸先生によって制定された「空手道基本型12段」の第一段)
型の練習
型の分解組手
分解組手の応用
整理運動

今野塾で学ぶ型
平安(ピンアン)初段~五段
初心者のための型です。まず空手の動きを体に覚えさせることが目的です。

ナイファンチ初段
足腰の鍛錬、立ちの基本を目的とした型です。基本型ですが、倒木法やムチミといった高度な技術を学ぶことができます。
セーサン
セーサン立ちを鍛えることによって、ガマクを入れることを学びます。突きの威力を増すための型です。

ワンシュウ
もともとは泊手の型ですが、やがて首里手化されました。重厚な受けと、斜めに転身して瞬時に崩す技を学びます。

バッサイ
これも泊系の型でしたが、首里手でもさかんに行われました。受け即攻撃の実践的な技を学びます。
アーナンクー
喜屋武朝徳先生が台湾から持ち帰った型です。寄り足で相手を崩します。

チントウ
首里手の奥義と言ってもいい高度な技がふんだんに含まれています。

五十四歩(ウーセーシー)
完全に前傾姿勢となったところから、体勢を立て直すなど、体の使い方を練る型です。トリッキーな動きも特徴。

クーシャンクー
一見単純な動きの中に、高度な技が隠れています。首里手の集大成的な型。軽妙な型といわれています。

棒の型
天竜の棍
棒術の基本型です。

趙雲の棍
左右の手で棒を持ち替えながら使うのが特徴。軽妙で流れるように美しい型です。

周氏の棍
重厚な型で、別名『金剛』とも言われます。棒術の中ではポピュラーな型です。

徳嶺の棍
喜屋武朝徳先生の系統にのみ伝わる棒術。連続した受け攻撃が特徴。

沖縄小林流空手道 志道館東京協会 

宮城 毅 1946年 沖縄県出身

・松村宗棍先生、唐手の大家である糸洲安恒先生、小林流開祖の知花朝信先生、沖縄小林流空手道協会二代会長の宮平勝哉先生の流れを組むのが、当道場の空手です。

現在、この小林流における伝統の技を、東京の地に残すために活動を続けております。

故 宮平勝哉先生
知花朝信先生、徳田安文先生、本部朝基先生方、糸洲安恒先生直系の弟子たちに師事した首里手正統の伝統技法を受け継いだ空手家です。

常に実戦を視野に置いた合理合法の空手理論で「一寸の力(チンクチ)」をいかに有効に相手に伝えるか、という観点から独自の技術を作り上げていかれました。

2000年には沖縄県指定無形文化財の指定を受けられました。 

    

心道流空手道

座波仁吉(ざは じんきち、1914年〜2009年)
沖縄県那覇市出身。『心道流空手道心道会』最高師範。

兄・座波次郎は『小林流』の開祖・知花朝信(ちばな ちょうしん、 1885〜1969)に師事。

弟子に、佐伯幸一(宮崎大学空手部歴代OB会長)、松山公大(『心道流空手道心道会』第2代会長)、田中静雄、宇城憲治。 

宇城憲治(うしろ けんじ、1949年1月15日 - )
宮崎県小林市出身。 全日本剣道連盟居合道・無双直伝英信流教士七段。創心館空手道範士八段、宇城塾総本部道場創心館館長。沖縄古伝空手に関する著書多数。




国際沖縄空手道無想会 

新垣清(あらかき きよし)
沖縄県出身、1954年生

1980年 米国で沖縄空手道無想会を創設

米国硬式空手道連盟会長






本部流 大道館 
本部朝正、上原清吉

本部拳法、本部御殿手を教授。

・大道館(だいどうかん)は本部朝基先生が戦前設立した空手(唐手)道場です。正式名称を「日本武道唐手本部(にほんぶどうからてほんぶ)大道館」と言います。

大道館の正確な設立年は不明ですが、朝基先生が弟子の高野玄十郎氏に宛てた年賀状(昭和6年1月1日消印、高野家所蔵)に大道館の表記が見えることから、少なくともその前年の昭和5年(1930年)には設立されていたようです。おそらく正式に命名された空手専門の道場としては、大道館は日本最古(のひとつ)の道場だと思われます。もちろん道場自体は、朝基先生は大正時代より大阪で開いていましたが、その当時より大道館と名乗っていたかは不明です。
名称の由来は、中国宋代の臨済宗の僧侶・無門慧開(むもんえかい、1183-1260)の公案集『無門関』にある「大道無門」の言葉より採られました。本部家(並びに旧琉球王家一門)は琉球王朝時代より臨済宗を信仰していたので、朝基先生はこの言葉を知っていたのだと思われます。意味は「真理(悟り)へ至る道には決まった道はない、幾通りもの道がある」というものですが、これは武道修行にも当てはまるものです。
大道館の所在地は、現在の文京区、当時の小石川区にあり、原町、餌差町、田町と何度か移転しました。門人数は60人から70人で7割が大学生だったそうです(丸川謙二氏談)。年中無休で朝9時から夜10時まで開いていました。場所が柔道の講道館に近かったこともあり、柔道家も多く学びに来ていました。また、徳三宝氏も朝基先生を慕ってよく遊びに来ていたそうです。
東京の大道館は、最終的に昭和16年(1941年)秋に閉鎖されました。その後、朝基先生の後を継いだ子息の本部朝正先生が大阪府貝塚市に「本部流大道館」として、昭和24年頃から道場を開いて再建しました。もっとも当初は建物としての道場はなく、地元の寺(尊光寺)の御堂を借りて教えていました。当時の門人数は大体20人くらいいて、多くは地元の20歳前後の青年たちだったそうです。その後、自宅を新築した際に道場も設けて現在に至っています。
また、昭和51年(1976年)より、朝正先生は本部御殿手の上原清吉先生より宗家を継承することになったので、現在、大道館では本部拳法とともに本部御殿手も教えています。上原先生も沖縄から来られたときには大道館で本部御殿手を指導されていました。
上原先生を迎えての大道館での懇親会。取手(投げ)の稽古ができるように畳敷きでした。


琉球御殿武術・手道会(埼玉県)

池田守利

・琉球王家秘伝武術・本部御殿手は、戦で多数の敵を相手に、あらゆるものを武器として活用する。そして左右どちらでも自在に扱える二刀流を基本とし、打ち合わず、流れるような動きで、一瞬に敵を制する。捌きと攻撃が一体となったその奥儀は、武の舞と称された。
この武術は、琉球王国の王族である本部御殿の本部朝勇宗家より、御主加那志前・武芸(琉球王国の武術)であると言われ伝授を受けた上原清吉先生は、これまで世に知られることなく伝承されてきたが、後世に伝えんと琉球王家秘伝本部御殿手と命名し、一般公開した。 

・琉球御殿武術・手道会の池田守利は、日本傳流兵法本部拳法・本部朝基師範(朝勇師の実弟)が主宰する道場・大道館で助教として活動していた高野玄十郎先生が開いた日本伝流空手道春風館道場に1961年入門。 高野先生が1976年に逝去されるまで15年間にわたり師事し本部拳法を学ぶ。その後、縁あって1977年に上原清吉先生に師事。以来、上原清吉先生が2004年に逝去されるまでの27年間、琉球王家秘伝本部御殿手の指導を仰ぐ。また池田師範の長男光生と次男哲生は、本部御殿手を修行していることを知った上原先生より、若者への稽古をさせたいとお誘いがあり、上原先生宅の道場に寝泊まりしての特別指導を受けた。 

・高野玄十郎先生と上原清吉先生から学んだ武術を体系立て、本部流御殿武術(本部御殿手・本部拳法)として、後世に残すことを目的として、池田師範親子は、埼玉県を拠点に手道館を開設し、各道場の代表者と指導者および道場生の皆様方と、修行精進し、さらなる発展に多少なりとも寄与して次世代へと引き継いていければと活動を続けている。




徒手空拳
新垣盛賢(沖縄)

・沖縄空手の伝説にもなっている『本部朝基』の研究者、その技術を再現できる数少ない一人。極真会館に在籍されたようですが武歴未公開。



■那覇手系

沖縄剛柔流空手道 琉武館

宮脇 雅也



沖縄剛柔流空手道 尚礼館、尚光館
故・渡口政吉(とぐち せいきち)
・剛柔流空手の開祖である宮城長順先生と、その高弟である比嘉世幸先生の両師に師事した渡口政吉先生が開設された伝統を誇る道場です。正伝の沖縄剛柔流空手を指導しています。


沖縄空手 国際明武館剛柔流空手道連盟 東京本部
故・八木明徳
・沖縄の伝統空手、剛柔流の流祖・宮城長順先生の教えを八木明徳先生、八木明達先生、八木明人先生と一族三代、一子相伝にて現在に受け継いでいる教えを、沖縄の道場で稽古している内容そのままお伝えします。 



順道館
故・宮里栄一
沖縄剛柔流空手道総本部順道館 東京支部 志究塾 
澤田 幸則






東恩流(とうおんりゅう)  日本空手愛好会
故 井上健

日本空手愛好会の歴史
日本空手愛好会は沖縄空手を主流にしています。沖縄空手には首里手、那覇手の両方の流れがあり、故 井上健先生は大西栄三先生から直接指導を受けこの日本空手愛好会を開きました。

首里手系
糸洲安恒
糸洲 安恒(いとす あんこう、1831年 – 1915年)
琉球王国時代から明治にかけて活躍した唐手の大家であり、唐手の「近代化」に着手した最初の人物としても知られる。

遠山 寛賢(とおやま かんけん、1888年 – 1966年)
沖縄県出身の空手家。全日本空手道連盟(旧)(現在の錬武会)総本部修道舘舘長

大西栄三
幸栄館空手の創始者であり、遠山先生から糸洲先生の技をすべて学びました。

井上健
日本空手愛好会 創始者 
幸栄館空手(大田支部)として空手の指導にあたり、1976年に日本空手愛好会を設立。

那覇手系
東恩納寛量(ひがおんな かんりょう、1853年 – 1915年)
那覇手中興の祖といわれる、明治期を代表する唐手(現・空手)の大家である。

許田重発(きょだ じゅうはつ、1887年 – 1968年)
東恩納寛量の高弟の一人であり、東恩流(とうおんりゅう)の開祖。

大西栄三
幸栄館空手の創始者であり、許田重発先生から東恩納先生の技をすべて学びました。

井上健
日本空手愛好会 創始者 
幸栄館空手(大田支部)として空手の指導にあたり、1976年に日本空手愛好会を設立。



■那覇手系、泊手系

沖縄剛柔流・泊手空手道協会 剛泊会

渡嘉敷唯賢、渡嘉敷唯夫

・空手発祥の地、沖縄に本部があり、カナダ・関東・東海・九州エリアに支部を持ち、沖縄空手道の正当な継承発展を行う団体です。

総本部東京・千葉支部
総本部東京・千葉支部は、渡嘉敷唯賢会長、渡嘉敷唯夫総本部館長より御指導を賜りながら御承認頂いている、関東エリアで剛柔流と泊手を学べる唯一の道場です。 


剛泊会の特徴 

剛泊会では、沖縄伝統の剛柔流空手(那覇手)と希少な泊手を稽古しています。
稽古では、伝統的な空手の型を練習します。直接打撃などは行いませんので、小さなお子様から年配の方、女性でも安心して学べます。




■泊手系


■上地流系

上地流空手道協会
東京修武館

新垣広富(教士八段) 

・二代目宗家から受け継いだ上地流空手道宗家直系の道場です。 


下地派上地流空手道
下地康夫、横関弘宜









✩沖縄の空手用語 

①ムチミ、モチミ ②チンクチ ③ガマク ④アティファ⑤キメ  ⑥地根力 ⑦メオトーデ ⑧息吹(いぶき)


■吉田春氏の解説

鞭身・餅身について

鞭身(むちみ)とは、沖縄方言にのみ存在する古来の概念で、「鞭の体」「鞭打ち」の意味です。昔の師匠たちはこの言葉を使って弟子たちに、空手における打撃は強力でなければならないこと、そして「ムチミ」こそがそのような力を生み出すのだと教えました。

もっと簡略化して言えば、ムチミとは「威力」「強さ」を表す言葉です。古流の沖縄空手の師匠たちはよく「体にムチミを込めなさい!」と叱咤していました。重要なのは、力は腕の力だけから生まれるのではなく、全身から生まれるということです。体全体で力を生み出し、それを拳に伝えるためには、体全体に「粘り」「ねばり」を与えなければなりません。この「粘り」が、表記と発音の二つの起源と深く関係しています。

鞭身(むちみ) → 鞭の体
餅身(もちみ) → 餅の体(もち米を杵でついて練り上げ、自由に形作れる状態の体)

この二つの語源が合一して、修行者は「餅のような性質の体」を目指して鍛錬すべきだという哲学を示しています。昔の師匠たちは、全身を一体として使い、柔らかく形を変えながら動けば、打撃は「鞭のしなり」のように鋭く集中した力を生み出し、相手にとっては「粘着質の餅」のようにまとわりつき、逃げられないものになると考えました。これはすなわち「掴んで離さない」「相手を完全に支配する」概念です。ムチミを使った打突では、動きは足から始まり、脚を伝い、腰に達し、体幹を通って腕から放たれます。「動きの上に動きを重ねていく」イメージです。掴みの場合は、常に接触を保ち続け、相手が動けば自分も動き、全身で絶え間なく圧をかけ続けます。押すのではなく、完全に支配し、相手のあらゆる動きを封じる――まるで自分の体が巨大な鞭であるかのように。これは、餅のねっとりした質感を得るための「体の弾力性」を鍛える特別な方法であり、屈筋と伸筋の両方を活用して開発されました。基本的な鍛錬は、筋肉を最大限に緊張させた後、一気に弛緩させて最大伸展させるというものです。動きの自然な力と組み合わせることで、圧縮が一気に解放された瞬間に、技は鞭がしなるように爆発的に伸び、衝撃が放出されます。この効果は、組み技や近接戦闘でのみ有効です。

突き(つき)におけるモチミとムチミの違い
モチミで突きを行う場合、訓練された武道家は、腕が完全に伸びきる前から驚異的な爆発力を発揮できます。これは、押し出す力が肩ではなく腰(臀部)から発生しているからです(棒(ぼう)で強く突くようなイメージです)

一方、ムチミで突きを行う場合は、引き込みと張りを制御しながら行い、腕と脚が弛緩した瞬間に、体幹(骨盤または腰椎)を中心として高速で腰を回転させ、脊柱を軸にして腕や脚を鞭のように放ちます。これにより、腕や脚が張りつめた鞭と同様の挙動を示すのです。

沖縄空手の主要流派とムチミの位置づけ
古流沖縄空手の主な流れは、那覇手(なはて)と首里手(しゅりて)に大別されます。

【那覇手】(剛柔流・上地流・一部少林流など)
近距離・組み手主体、自然な構え、堅実かつ流れるような動き、関節技・オープン手打撃、動きに合わせた呼吸法(人工呼吸)が特徴。ムチミは受け技・掴み・制圧・崩しに不可欠で、呼吸と全身の繋がりを最大限に活かします。足の運びは比較的ゆっくりで、四半円を描くような軌跡をたどります。

【首里手】(少林流・松濤館流・糸東流・和道流・一心流など)
速さ・強さ・一撃必殺を目指し、防御と回避を重視。ムチミ(および体幹の繋がりと接地)は攻防両面で極めて重要です。自然な動き・スピード・タイミング・自然な呼吸法が基本原則です。

両流派とも「モチミ」の鍛錬を行いますが、それぞれの特性に合わせて内容が変わります。なお、沖縄系糸東流は首里手と那覇手の両方の要素を継承しています。

他の流派におけるムチミ
ムチミ(あるいは別の名称で呼ばれる同等の内部品質)は、伝統的な各流派に存在し、全身の繋がりと統一を求めるスタイルにおいて重要な要素です。地面から衝撃点まで途切れなくエネルギーが流れる状態を作り、より強力な技を可能にします。

どの流派の空手でも、最終目標は「相手と繋がる効率的な動き」を獲得し、筋力や硬直だけに頼らないことです。状況に適応し、体を弛緩させつつ、しっかりと地面に根を張る――それが常に最も強い。
「自然であることこそが、効果を生む」

以上が「鞭身(ムチミ)・餅身(モチミ)」に関する解説です。
ご質問にお答えできたなら幸いです。吉田



■『空林会』 杉山渉先生の解説

1983年設立、基本・型は松涛館流、組手は寸止め及び防具付。 松涛館流空手道、全日本空手道連盟、全日本硬式空手道連盟、琉球古武道協会など加盟


チンクチ
「一寸力」または、「寸力」と書きます。
いわゆる剛体術であり、筋肉と関節を固く引き締める動作。

ガマク
漢字表記不明。
腰と上体をつなぐ横腹あたりの筋肉の柔らかい部分。

ムチミ
「餅身(味)」または「鞭身 (味)」 と書きます。
締めを使わずに脱力による攻撃方法。突きや蹴りを仕掛ける時に、手や足の筋肉を動作させず、根元の胴体や骨盤を振ることによって技を仕掛ける事。

メオトーデ(メオトデ)
「夫婦手」と書きます。
組手全体を通して、心がける原理原則。
昔は唐手の指導者でも、「前手は防御のみ、後ろの手で攻撃」と決め付けていた場合が多いようです。
それは実際の場合に合わない、型だけのことであって状況に応じて前手で攻撃もし防御もし、それを後ろの手が夫婦のように助けて防御もし攻撃もする、ということです。
(参考:本部朝基著「私の唐手術」) 


■全日本礼和流柳心舘空手道連盟 習志野地区本部 山王支部 の解説

全日本礼和流柳心舘、 開祖 萩原慎二先生

沖縄首里・泊手の空手を継承。


ガマク(がまく)

これは部位としては、丹田を中心とした腰全体を指します。
「ガマクを入れる」「ガマクを使う」とは、丹田に集めたエネルギーを左右の股関節を使うことによって「力」に変化させることを意味します。
さて、この「がまく」という言葉、これを日本語にどう訳すか?
実は、これがないのです。「がまく」は日本語に訳せない。
「がまく」を「腰」だと思っている方もいらっしゃいますが、「腰」はうちなぁぐちでは「くし」と言い、「がまく」とは区別しているのです。
「がまく」は日本語には訳せないが、英語ならば「ウエスト」という語に訳せます。したがって、「ウエスト」を日本語で何と言うか調べれば「がまく」の日本語訳が分かると思い国語辞典を調べると、「人体や洋服で、胴の一番細くくびれた所」とあります。

ガマクを入れる(ガマクヲイレル)
「ガマク」とは、腰と上体をつなぐ横腹あたりの筋肉の柔らかい部分のことで 「ガマクを入れる」とは、左または右のガマクに微妙なイキ(呼吸)で力をため込むことをいいます。ガマクを入れることにより、腰の安定と上体の姿勢がきまり、ガマクの操作は琉球舞踊のかなめをなす技法といえます。 
ガマクというのは要するに膝抜きのことです。
膝抜きとは、片足の膝を抜いてもう片方の足に瞬間的に体重をかけることで、 発生する反力を移動や打撃力に利用する技法です。
この時重要なのは、体勢を崩さず膝を抜く前と同じ状態のまま 次の動作に移行することです。
そうしないと反力がうまく使えません。

ムチミ(鞭身)
ムチミとは「鞭身」とも書き、簡単に言えば鞭のような体のしなりを利用した体の使い方です。 例えば、その場突きや、追い突き等で右の突きを出すとき、腰も反時計回りに回転しますが、突きが決まる一瞬には腰は逆に時計回りに回ります。 この動作を行うことにより、脱力した拳が二段ロケットのように加速されます。
首里手の特徴は、離れた間合いで戦う事。そしてムチミを効かせた身体操作を行う事。
ムチミとは"鞭身"と書き、文字通り体を鞭(あるいは竹)のように使います。
体を鞭のように振ることで先端部(正拳)が筋力では出し得ない速度を得ます。
俊敏な動作が要求されるため、身の軽い者に適しているといわれます。
体幹をコントロールするムチミについて、身体の中心軸を起点にして体幹をコントロールしていくトレーニングに なりますが、この養成法を琉球武術では「ムチミ」中国武術では「スワイショー」などと呼びます。
これは背骨付近を軸にして身体をでんでん太鼓のように捻転させて、脱力した両腕を 体幹に巻き付けるイメージで行います。
鞭のようなスナップを生かした突きではありますが、肘の正中線への激突と前腕のしなりそして指の締めによるスナップを使うとの事。
その際、肩や腰を動かしたりデンデン太鼓のような操作は全くしないそうです。

チンクチ(一寸力)
寸力とは筋肉の屈筋、収縮動作によって発力し、硬度や威力を増す方法。
チンクチは、脇から背にかけての筋肉群。「チンクチを掛ける」とは、力を脚からチンクチの筋肉群を通じて拳に抜けさせること。
広背筋あたりの筋肉と関節を強く、硬く引き締める動きを指します。
「一寸力」と書くそうで、少しの力でも、最大限の効果を発揮することを意味します。
チンクチとは押しの強い姿勢です。
足を前屈立ちに開いて上体は正面を向いて真っ直ぐにします。
この状態なら左右どちらの腕でも強く前を押せます。
上体をひねりすぎたり肩を出し過ぎてはいけません。
完全に半身になった場合も強く押すことができます。
顔・腕・足が一直線上になることを表します。
強く押せるということは力を伝えられるということです。
チンクチの体勢でガマクをかければ《寸勁》になります。
具体的に言うと、突きを出すときに、三角筋や僧房筋を収縮(しめる)することで突きの初速を早くする方法と言われます。突き手の内側の筋肉を収縮させることで外側の筋肉を逆に伸ばし、突きの速度、威力を出すのが目的で、接近間合いにおいて短い距離で強力な打撃を行うための秘訣といわれます。
わかりにくい説明ですが、チンクチをかけるとは、筋肉をロックして突きの威力、速度を増すことだということになります。

息吹
息吹とは簡単に言えば《逆腹式呼吸》と言われる『丹田呼吸』の事です。
腹式呼吸は息を吸った時にお腹が膨らみ、吐いた時にへこみます。
逆腹式呼吸は息を吸った時にへこみ、吐いた時に膨らみます。
息吹を行うことで精神を整え、気の流れを高めることができます。
そして筋肉をしなやかにすることができます。
空手における自己の身体能力をより適したものにする為です。

■強さの探求! 年齢不問の沖縄伝統空手から始まる空手道の手引きの解説 
 アティファ、アティハ 
「アティファ」(または「当破」)は、沖縄方言で「突きの威力」や「パンチ力」を指し、沖縄空手においては身体を動かさず、肩も腰も回さず、強い正中線を保ったまま落ちる技術や動作を示します。これは、相手の内部に威力を浸透させる精緻なパンチ技術として知られ、空手の核的な要素と位置づけられています。アティファは、「ムチミ」「チンクチ」「ガマク」が調和した状態での「打撃などの威力(破壊力・衝撃度)」を指し、高度な技術制御を通じて相手の防御を破り、目的を達成するための正確で強力な正拳の突きを追求する重要な要素です。「アティファがある」「アティファが強い」という表現は、その技術的な優れた打撃の能力を指します。

ガマク

「ガマク」とは、丹田を中心とした腰や腰回りの概念であり、空手や琉球舞踊など様々な武道や舞踏で利用されます。ガマクを入れる、ガマクをかけるとは、横腹を中心にした腰周りの筋肉を伸縮させる行為を指します。この動作により、丹田に集めたエネルギーを左右の股関節を活用して「力」に変換することが可能です。がまくは体幹部を動かすために役立ち、ガマクを操作して瞬時に力を発揮することは、技を使う際や移動時に重要です。


チンクチ

チンクチとは、脇から背中にかけての筋肉群を指し、屈筋(腕や脚などを曲げる際に活動する筋肉)を収縮させることで硬度や威力を増す手法を「チンクチをかける」または「チンクチを締める」と表現します。


ムチミ

ムチミは、「鞭身」とも表記され、鞭のような身体のしなりを活かした使い方を指します。例えば、その場での突きや追い突きの際、腰は反時計回りに回転し、突きが決まる瞬間には逆に時計回りに回ります。この技法は、腰から発せられる力を体内で波のように伝え、その効果を拳や足に伝達します。身体を鞭のように振り、沈身(重力)も活かして重みを増し、相手の体内に直接衝撃波を伝えることを特徴とします。