■テコンドー系

テコンドー(跆拳道)

ITFテコンドー

WTFテコンドー、WT(ワールドテコンドー)

武徳館テコンドー

崔光道(チョイクワンド)

空手道(コンスド)

唐手道(タンスド)

太手道(テスド、テコンドーの前身)


■ハプキドー系
ハプキドー(合気道)

コンバットハプキドー(戦闘館合気道)


韓気道(ハンキド)
韓武道(ハンムド)

■クムド系
コムド

居合道(コハプト)

韓剣道(ハンクムド)

心剣道(シムクムドー)

■その他
圓和道(ウォンナド)
花郎道(ファランド)
気天(キチュン)
国仙道(グサンド)

禅武道 (ションムド、北宗禅武道、南宗禅武道)

國術道(コクスルド)
極真(クッチン)
宮武道(クンムド)
東海剣道?(海東剣道?ハイドンゴムド)
撃気道(キュキド)
龍武道(ヨンムド)

拳撃道(コンジド)


☆テコンドーの分裂

テコンドー(英: Taekwondo, Taekwon-Do、朝: 태권도 Ko-태권도.oga 発音)または跆拳道(たいけんどう)は、主に朝鮮半島で行われているスポーツ、武術、格闘技の一種で、韓国の国技。朝鮮の古武術テッキョンと松濤館流空手を基にして作られた。スポーツテコンドーと呼ばれるWTFテコンドーと、伝統派テコンドーと呼ばれるITFテコンドーがあり、両者は競技としては全く異なるものである。障害者向けのテコンドー競技としてパラテコンドーも存在する。WTFテコンドーは、2000年シドニーオリンピックよりオリンピック正式種目となっている。

■テコンドー命名以前
1940年代中盤の朝鮮半島では韓国併合後に日本から伝わった空手が「コンスドー」(空手道)、「タンスドー」(唐手道)、または「カラテ」(韓手)などの呼称で普及しはじめた。当時の主な道場勢力は以下の通りである。

青涛館(1944年 - )
・初代館長は李元国(イ・ウォングク)で、日本留学中に松武館の盧秉直とともに松濤館へ入門、船越義珍に師事。朝鮮戦争勃発時、軍の召集を拒み日本へ密航した。青涛館の分館として4つの道場が派生した。

吾道館
・館長は崔泓熙(チェ・ホンヒ)陸軍少将。軍隊内でその教義を広め、民間道場とは一線を画していた。「テコンドー」の名称が決まるまでは自らの雅号「蒼軒」に因んで「蒼軒流唐手」と称していた。ベトナム戦争時は657名のテコンドー師範を同地に派遣した。

国武館

正道館

青龍館

松武館(1946年 - )
・館長は盧秉直(ノ・ピョンジク)。日本留学中に青涛館の李元国とともに松濤館へ入門、船越義珍に師事。後に大韓テコンドー協会の第5代会長に就任。

朝鮮研武館空手道部 / 智道館(1946年 - 1967年)
・館長は田祥燮(チョン・サンソプ)。柔道道場内に発生。後年、智道館に改称。

YMCA拳法部 / 彰武館(1946年 - )
・館長は尹炳仁(ユン・ピョンイン)。後に智道館と親交を深める。後年、彰武館に改称。この分館として講徳院、韓武館などがある。

武徳館
・館長は黄琦(ファン・ギ)。鉄道局内のクラブとして発生。黄琦は南満州で中国武術を学んだとしている。後に「手搏道」(スバクドー)の名称で普及、大韓手搏道会の前身にあたる。

■テコンドー命名
1950年代、韓国内の武道団体統治の動きは武道自体の名称統合の流れを生み、「テコンドー」が命名される。国政の動乱の中で一度は解体されるも、命名者崔泓熙の活動により復活を果たす。
1950年、朝鮮戦争が勃発。臨時首都のあった釜山で「大韓空手道協会」が創立される。中央審査委員の資格が付与されないことを理由に、武徳館館長の黄琦と青涛館館長の孫徳成(ソン・トクソン)が脱退。
1953年、黄琦、「大韓唐手道協会」を独自に発足。
1954年、崔泓熙陸軍少将を含む第29歩兵部隊が大統領の李承晩の前で演武を行う。空手を知らない大統領はテッキョンと断定したままこれを賞賛、軍内での普及を宣言。崔泓熙は反日の立場を取る大統領に向かって日本の武道である空手とは言えず、またテッキョンとも違うことから自らが創始した武道であると伝える。
1954年12月、崔泓熙、自らが訓練してきた武道の名称を「テコンドー」(跆拳道)に決定。
1955年4月11日、崔泓熙が名称制定委員会を招集、テコンドーの名称が李承晩によって公式に認定される。
1959年9月3日、崔泓熙が大韓空手道協会を「大韓テコンドー協会」に改称。
1960年、李承晩が経済政策に失敗し、4・19革命で国外に追われる。黄琦、大韓唐手道協会を「大韓手搏道会」へと改称、大韓民国文教部体育会への登録を果たす。
1961年、崔泓熙の後輩にあたる朴正煕らによって引き起こされた5・16軍事クーデター後、政権が朴正煕が率いる国家再建最高会議に掌握される。新政権樹立後、以前の文教部登録が無効となり、国家再建最高会議が団体の文教部への再登録を求めたことから再び統一名称問題が持ち上がる。
1961年9月、名称統合会議が開催され、テコンドーの「跆」(テ)と空手の「手」(ス)を繋いだ「跆手道」(テスドー)という名称に決定。組織名は「大韓テスドー協会」に改称される。
1962年、蔡命新中将が初代大韓テスドー協会会長に就任。黄琦、智道館の尹快炳(ユン・ケビョン)を伴い、大韓テスドー協会から正式に脱退。崔泓熙、軍職を解かれマレーシア初代韓国大使に任命される。
1964年、韓国に帰国した崔泓熙は大韓テスドー協会の会長に就任。テコンドーの名を復活させる活動を開始。
1965年、崔泓熙が英文によるテコンドーの教本を発刊。
1965年3月18日、崔泓熙が統合宣言式を開催し「大韓テコンドー協会」を主張。式には黄琦も参加したが統合の無効を主張、独自に「大韓手搏道会」を活動させる。
1965年8月5日、大韓テスドー協会、「大韓テコンドー協会」に改称される。

■系統の分岐
再び会長職についた崔泓熙も1年あまりでその地位を退き、新たに創立された国際テコンドー連盟 (ITF) の総裁に就任。一方、大韓テコンドー協会は韓国国技を担う位置付けを獲得していく。こうしてテコンドーは2つの系統に分かれて発展していくことになる。

1966年、崔泓熙が大韓テコンドー協会会長を理事らによる不信任によって退陣。第5代会長に松武館館長の盧秉直(ノ・ピョンジク)が就任。同年、韓国、アメリカ、西ドイツ、イタリアなど9か国の組織の承認を得て、国際テコンドー連盟(ITF)が創設され、総裁に崔泓熙が就任。式典はソウルの朝鮮ホテルで行われた。
1967年、大統領の朴正煕の意思の下、大統領警護室補佐官の金容彩が大韓テコンドー協会の第6代会長に就任。
1968年、大韓手搏道会、ソウルで第1回世界大会を開催。
1971年、大統領の朴正煕により、テコンドーが国技の揮毫を受ける。
1972年、国技院開館。
1973年 、崔泓熙がカナダへ亡命、その際ITF本部をトロントへと変更し、これを受けて韓国が独自に世界テコンドー連盟 (WTF)(のちのワールドテコンドー)を設立。
1973年5月、世界テコンドー連盟 (WTF) 、ソウルで第1回世界大会を開催。
1974年10月、国際テコンドー連盟 (ITF) 、カナダ・モントリオールで第1回世界大会を開催。
1980年10月、ITFテコンドーが北朝鮮へ普及開始、これを機に旧東側諸国への普及が本格化する。

■オリンピック競技化
1970年代に韓国国技の位置付けを確立したWTFテコンドーは、1980年代に入りオリンピック競技化への一途を辿ることとなった。
1980年、第83回国際オリンピック委員会総会で世界テコンドー連盟 (WTF) (のちのワールドテコンドー)と、そのテコンドー競技が承認された。
1983年、崔泓熙、ITF テコンドーの技法を体系化した『テコンドー百科事典』 (The Encyclopedia of Taekwon-Do) を出版。
1986年、WTFテコンドー、アジア競技大会の正式競技として採用され実施される。
1987年、WTFテコンドー、ソウルオリンピックの公開競技に決定。
1988年、WTFテコンドー、ソウルオリンピックで公開競技として実施される。
1992年、WTFテコンドー、バルセロナオリンピックで公開競技として実施される。
1994年、WTFテコンドー、シドニーオリンピックの正式競技に決定。
2000年、WTFテコンドー、シドニーオリンピックで正式競技として実施される。

■近年
2002年、崔泓熙没。享年84歳。没後、ITFは3つの後継グループに分派。
2004年11月、ITF、アメリカ合衆国オーランドで第1回ワールドカップを開催。
2017年6月、世界テコンドー連盟 (WTF) がワールドテコンドー (WT) へ改称。
2018年2月、平昌オリンピックの開会式前に、韓国のWT演武団と北朝鮮のITF演武団による合同演舞が披露される。
2018年11月、WTと北朝鮮のITFチャン・ウン派総裁のリ・ヨンソンは、南北テコンドーの統合と発展のための合意書を締結。統合のための共同機構の設立および、2020年東京オリンピックをはじめ、中国、ロシア、スイス、米国、日本での合同演武の推進に合意。



■テコンドーが形成された9つのクァン(館)の系譜

忠武館(チュンドクァン)
創設者:李元国(イ・ウォングク)
直接的な影響:松濤館空手。創設者は空手の黒帯4段保持者。

武徳館(ムドクァン)
創設者:黄琦(ファン・ギ)
直接的な影響:中国の拳法(Quan Fa)、独学によるテッキョン(Taekyung)のわずかな経験、船越義珍(ふなかし・ぎちん)師範の著書『琉球拳法空手』を通じた松濤館空手の影響。

松武館(ソンムクァン)
創設者:盧秉直(ノ・ビョンジク)
直接的な影響:松濤館空手。創設者は空手の黒帯4段保持者。

延武館(ヨンムクァン)
創設者:全相燮(ジョン・サンヒョプ)
直接的な影響:志道流空手。創設者は空手の黒帯4段保持者。

 
志道館(ジドクァン):延武館は朝鮮戦争で師範を失い、名称が変更された。


YMCA(クォンボプブ)
創設者:尹炳仁(ユン・ビョンイン)
直接的な影響:正道館空手。また、満州で中国の拳法(Quan Fa)を訓練した経験がある。

 
昌武館(チャンムクァン):YMCAクォンボプブ館は朝鮮戦争で師範を失い、名称が変更された。


吾道館(オドクァン)
創設者:崔泓熙(チェ・ホンヒ)将軍
直接的な影響:松濤館空手(2段取得)。また、将軍は若い頃にテッキョン(Taekyung)の訓練を受けたとも主張している。もう一つの重要な影響は忠武館で、初期の主要な師範はこの館の生徒であった。

韓武館(ハンムクァン)
延武館から分派。朝鮮戦争で師範を失ったことによる。

康徳院(カンドクウォン)
YMCAクォンボプブから分派。朝鮮戦争で師範を失ったことによる。

龍道館(ヨンドクァン)
忠武館から分派。



 

☆研究論文





■テコンドーの起源、伝統主義と修正主義(事実主義)