論理で書くとは
「感情に訴えるだけでは買ってくれない」
では、どうしてそうなのか?
じゃあ、どうしたらいいの?
その辺の大事な話をします。
たとえ感情を煽って(あおって)購入されたとしても、
その後の継続購入には繋がらないですよ。
と言うことです。
当然です。
騙された。買わされた。感が強いんです。
「チクショウ!あんな言葉に乗せられて買うんじゃなかった」
要は、自分からが決めて購入したと思わせないとダメなんです。
そこで登場するのが「論理」。
昨日も言いましたが、
最後に決める時には、無意識に言い訳を考えながら、
自分に納得させて購入すると言うことです。
それには、
文章の中身が論理的でないと、納得させられません。
支離滅裂な文章を読んで納得します?
しませんよね。
じゃあ、どやったら論理的な文章になるのか?
みんてぃあさんが常に使っている秘密を教えます。
「演繹法」と「帰納法」
なんだそれ?
説明するので、ついてきて下さいね^^
それぞれ欠点はありますが、
使い方次第で強い説得力を持ちます。
帰納法というのは、
数多くの「例」を集積することで結果を導く方法で、
理科の実験から法則を導き出すのも帰納法です。
帰納法はあくまで統計論でものを語ります。
たとえば、
リンゴ(果物)は甘い、バナナ(果物)は甘い、ブドウ(果物)は甘い
ほうれん草(野菜)は甘くない、キャベツ(野菜)は甘くない、ニンジン(野菜)は甘くない、
という事実を積み重ねていき、
それらの事実から、「果物は甘い、野菜は甘くない」という結論が導き出されます。
欠点は、導き出された結論はあくまで統計論にすぎないという点です。
たとえば、トマト(果物)は甘くないという、その事実が追加されただけで、
「果物は甘い、野菜は甘くない」という理論は崩壊してしまいます。
もうひとつの演繹法とは、
順序立てた仮定によって最終結論を導き出す方法です。
数学の公式から個別の問題を解くのは演繹法です。
「果物が皆甘いという仮定を認めるならば、トマトは果物であってはならない」
という考え方をするのが演繹法です。
演繹法の欠点は、1つずつ順序立てて仮定していくので、
1つでも理論が破綻したら、結論にたどり着けないというところです。
一般的原則に偏見や誤りがあると結論が誤ったものになります。
しかし、
仮定を1つずつ検証していくので、結論はより強い説得力を持ちます。
「演繹法」と「帰納法」
ちょっと分かり難いですかね?
でも、
人を説得するにはとても有効な手段・考え方なので、
文章を書く際に取り入れてみてはどうでしょう?
何度読んでも分かり難いでしょうから、
もう一つ、例を挙げます。
<演繹法>
全ての人間は、いつか死ぬ。
ソクラテスは人間だ。
だから、ソクラテスはいつか死ぬ。
<帰納法>
ソクラテスは、死んだ。
プラトーも死んだ。
彼らは共に人間だ。
だから、人間は全員いつか死ぬ。
この論理を使いながら文章を作ると説得力があります。
更に、
ストーリー性を持たせて感情的にさせることが出来れば
もう最強です。
もちろん、
一朝一夕で文章がうまくなることはありませんが、
こんなことを考えて使うだけでも大きな差が出来ますね。
PS:
1.「分かり難い」などの感想があれば送ってください。
2.みんてぃあ最強集団で学んでいることをシェアーします。
これ↓入っていて損することは絶対に無いとお勧めします。
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