2024年5月5日 20:00 〜 21:00 LFJ 国際フォーラム ホ-ルB5
【受講生】牛田智大(ピアノ) 【講師】レナ・シェレシェフスカヤ 公開レッスン
ブラームス:ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調 op.5から 第4、5楽章
牛田智大は12歳の頃にはスタ-扱いでTVの番組に出演。
2021年第18回ショパンコンク-ルで2次予選出場して3次予選は出場できなかった。
他の日本人ピアニストの技術水準と比較して3次予選通過の実力はありそうだった。
【講師】レナ・シェレシェフスカヤは1954年6月17日生まれモスクワ音楽院卒。
パリのエコール・ノルマル音楽院で教鞭をとっている。
レッスンは初めにブラームス:ピアノ・ソナタ 第3番 から 第4、5楽章を牛田智大がとおしで演奏。
休符の間の取り方が不十分と指摘される。
音楽の表現で休符は重要に対しての指摘は反論しにくいだろう。
技術的には楽譜と違ってスタッカ-トになっている、クレッシェンドになっているパートを指摘された。
フレ-ズのレガ-トの表現はレナ・シェレシェフスカヤの模範演奏は滑らかでさすがに上手い。
和音は牛田智大は一体感のないバラバラな響きだったがレナ・シェレシェフスカヤの模範演奏はきれいに和音がハモって深みのある音色だった。
曲想についてブラ-ムスがシュ-マンの妻クララについて思慕を表現されたとする楽譜のパートの解説があった。
ブラ-ムスが人妻に思慕してロベルト・シュ-マンからクララを勝ち取ろうとする意思を表現するパートの曲想の模範例。
現れる六度の和音はブラ-ムスの精神的な面で不倫の成就とのレナ・シェレシェフスカヤの説明。
フラット2つの音はブラ-ムスとクララがフラット各1個を表すとの説明。
しかしWIKIPEDIAによるとこの曲を作曲したのは1853年。
1853年ロベルト・シュ-マンにブラームスが講評を求めてシューマンに11月譜面を送ったとされている。
ブラ-ムスがシュ-マンと1853年9月初対面で作曲家としてまだ有名ではなくシュ-マンに頼っていたブラ-ムス。
シュ-マンの妻クララを妄想しソナタ3番を作曲したかはクララとの出会ってから作曲期間が短か過ぎるのと恩師シュ-マンに対する態度としては非礼過ぎ疑問。
通訳の誤訳かもしれないがシュ-マンが「精神病院へ入院させられる」と通訳の部分はWIKIPEDIAのシュ-マンでは自分で「精神病院へ入院した」とのことで異なる。
WIKIPEDIAでは「家に連れ戻されたシューマンは再び精神病院への入院を望み、ボン近郊のエンデニヒにあるゲイムラート・リヒャルツ博士が経営する療養所に収容されることになった」と記載。
受講者の牛田智大も調べれば定かな史実ではないので疑心暗鬼だろう。
困惑するのはブラ-ムスの本当かどうか証拠のない妄想的なクララへの思慕としてソナタ3番の曲想を紹介されたこと。
技術的な公開レッスンだけで充分なような気がした。
座席は前から7列目中央付近、246席の小ホールなのでピアノのタッチは明瞭でffでピアノを弾くとガンガン響く。
入りは満席、若い女性と中高年の女性で8割以上。男性は少ない。