2015年7月7日午前10時 ウィ-ン国立歌劇場(Wiener Staatsoper)英語ツァ-

第二次世界大戦中の1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台が破壊され、建物は火災に遭う。
1955年カール・ベームの指揮による『フィデリオ』で再開。
ウィーン国立歌劇場管弦楽団はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体。

小澤征爾 は2002年から2010年迄音楽監督となった。日本人歌手では藤村実穂子、ジョン・健・ヌッツォが活躍。

 

歌劇場周辺
モ-ツァルト「魔笛」の鳥刺しみたいな恰好をした勧誘する人。オペラの殿堂の前ではあまり相応しくないように感じた。

10:00

日本語のガイドの時間(15時頃)だったが旅程の都合で10時からのガイドツァ-(英語)を申し込む。

英語単語がわからないと英語の意味は理解できないので日本語ツァ-をお奨め。
日本語のツァ-は毎日あるわけではないが日本語のガイドは入口付近に掲示されている。

画像はガイドツァ-を待っている人達。

 

壁にはバレエ、喜劇的オペラ、悲劇的オペラを表す絵が3枚。

 

古い天井画

 

正面下の壁のプレ-トにはBegonnen im Jahre 1861 開始 1861年
その下にVollendet im Jahre 1868 完成 1868年 =明治元年

 

カラヤンの像に手をかけ説明するガイドさん。

カラヤン Herbert von Karajan は1956-1964の間、ウィ-ン国立歌劇場総監督。
今では当たり前のオペラ原語上演を総監督の時に行った。

 

モ-ツァルト MOZART

1869年5月25日、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇妃臨席のもと、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の上演でこけら落しを行った。

 

 

オペラ座で一番豪華に見えた要人の特別室。見学ツァ-でしか見ることができないそうだ

 

7月はオペラはシ-ズンオフその代わりジャズ・フェスティバルの会場となりスピ-カ-が舞台に設置されている。

 

舞台裏 舞台の横幅は狭いが奥行きがある。

 

 

サイドのボックス席 

 

後部の席

 

2019年再訪時の写真

ヴィントガッセン、デラ・カーサは子供の時は現役の歌手だったと思う