こんにちは。
山元です。
東日本大震災から今日で、3年の月日をかぞえました。
震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると同時に、未だ心痛されている方々へ、深くお見舞いを申しあげます。
本日、政府主催の東日本大震災3周年追悼式が開かれました。
ここで天皇陛下は、ご遺族に対する哀悼の意の中で、次のようなことを述べられました。
「3年前の今日、東日本大震災が襲った巨大地震と、それに伴う津波は、2万人を越す死者、行方不明者を生じました。
今なお多くの被災者が、被災地で、また避難先で、困難な暮らしを続けています。
さらに震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。
未だに自らの家に、帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと胸が痛みます」。
陛下はあえて、原発事故とそれによる被災者について言及されました。
私はこの御言葉を聞いて、あることを感じざるを得ませんでした。
陛下の御言葉の前に、安倍総理大臣が式辞を述べられました。
現在政府は、今後原発再稼働を順次行っていくことを明言しています。
私はこの陛下の御言葉は、陛下なりの原発再稼働に対する苦言だったと感じました。
今後日本で起こるであろう天災に対し、日本が目指すべき道をお示しになったのだと思いました。
現在日本は、政財官に蔓延るトライアングルのしがらみで、脱原発への舵がきれない状況が続いています。
私はこのことを、取材をするたびに思い知らされてきました。
国民の生命と財産を守るのが政府の仕事です。
何の根拠もない、原発ありき論者の主張は、自らの人としての未熟さを露呈しているかのようです。
原発ゼロが実現すれば、新エネルギー産業によって、多くの雇用が生まれ、日本が世界に先駆けて自然エネルギー国家を実現できるかもしれません。
新たな巨大産業を生むチャンスにもなり得るのです。
なぜ本日、陛下が原発問題に触れられたのか、考えてみたいと思います。
日本に生きた我々の祖先は、古来から自然界にあるものすべてを、神が宿るものとして崇拝し、畏怖の念を持って生きてきました。
太陽神の天照大神さまをはじめとして、海、山、岩を神が宿る場所、八百万の神々さまとして、日々手を合わせて敬ってきたのです。
海の神からいただいた海の幸、山の神からいただいた山の幸を食することで、生きていける幸せに感謝して生活してきました。
日照りや台風による不作の時も、天がなされたことと尊重し、将来の豊作を願って、自然に祈りを捧げ続けてきたのです。
しかし戦後になり私たちは、先人がエネルギーが宿る場所として大切にしてきた海や山を破壊し、リゾート施設をつくり、物を求め贅沢を優先していったのです。
さらに自然も、人間がコントロールできるものだと驕り高ぶり、挙げ句の果てには、自然体系を破壊する原発を全国に乱立させていきました。
ただ、これも行き着くところまで、行ってしまったような気がしてなりません。
このままでは、自然の神々からの天罰は免れないでしょう。
私は日本という国は、神の国だと信じています。
神の国であるがゆえに、日本は幾多の試練と苦難を強いられてきました。
近代では、廣島や長崎への原爆による被爆から敗戦、そしていくつかの大地震によって多くの尊い命が失われていきました。
狭い日本列島のほぼ全域に活断層が横たわる島で、我々は生活をしています。
我々の先人たちも、大地震が起きるたびに、悲しみで立ち上がれないほどの被害を受けながらも、お互い助け合い、思いやりの心をもって苦難を乗り越えてきました。
その日本人の姿は、世界中の人たちの魂を揺さぶってきたのです。
これは,神の国だからこそできることなのです。
日本人は思いやりの心、慈悲の心の大切さを、世界中に発信するお役目を担っていると私は考えています。
今後再稼働され、最悪の事態にいたるまでに、天からいくつかのメッセージがあるでしょう。
我々がそれに気づけるかどうか、人として命を尊重しながら生きれるかどうかにかかっています。
防災対策は万全でしょうか。
備えあれば憂いなしです。
とりとめもないことを長々と書いてしまいました。
最後まで、お読みいただいてありがとうございます。
次回は、心の未熟さとはどんなことか、具体的な話をしたいと思います。