こんばんは。
山元です。
御無沙汰しております。
先日、久しぶりに友人の女性と食事をしていたら、開口一番、「私やっぱり、プライドは必要だと思う」と言われました。
私は、言ったことすら忘れていたのですが、以前、友人に対して、「人間、プライドなど90%は必要ない」と話したそうです。
そうか、そんなことを言ったのか 、、、
つらつらと考えてみました。
今の自分の答えは、「プライドは、100%必要ない」です。
プライド=誇り
必要かどうかと問われたら、皆がそれぞれ答えが異なると思います。
私も若い頃は、「プライドがない男なんて、男じゃない」など口癖のように言っていました。(笑)
今思うと、あの頃は青かったし、恥ずかしいですね。
自分なりに、心が成長したから分かることが、最近たくさん増えてきたように思います。
なぜ、今の自分にプライドは必要ないと思うのか、自分なりの考えを書いてみたいと思います。
プライドは、「プライドが許さない」、「プライドを傷つけられた」、「プライドを守るため戦う」などとよく使われます。
プライドとは、いったい何でしょうか?
私は、人がプライドを口にする時、自らの意識は、外へ向けられていると思うのです。
要するに、自意識の強さが、この言葉を言わせるということ。
周りから、自分はかっこよくて凄い人だと思われたい、という感情に起因するわけです。
いわゆる、虚栄心ですね。
外を意識して発せられるので、自分の心の中は、空っぽの状態ともいえます。
自慢しているように聞こえたら申し訳ありません。
私は最近、いろんな人から「軸がぶれませんね」と言われることが増えてきました。
ここでいう軸は、プライドではないと断言できます。
自分では意識していませんでしたが、いつの間にか心の中に、太い軸が宿っていました。
ここ数年の間、常に自分の意識を内面に向け、あらゆる感情を受け入れ、すべて魂の中に落とし込む努力をしてまいりました。
魂を磨き続けたことで、感情に振り回されない心が、少しづつ育っていったのです。
私は一介の書き手として、”命の尊さ”を伝えることを、自らのライフワークにしています。
原発問題しかり、環境問題しかりです。
今の自分は、目の前にどんなに大金を積まれても、筆を曲げることはありません。
命を落とす事態になっても曲げないでしょう。
命ある限り書き続けると思います。
これは長い間、魂を磨いてきたことで培った覚悟だと思っています。
これはあきらかに、「プライド」のような陳腐なものではありません。
私は冒頭に書いた友人と別れた後、この覚悟を何と表現すべきか悩んでいると、ふと童謡「ふるさと」を耳にしました。
聞きながら、これだ!とひらめいた一語。
『志』
「心だに 誠の道にかなひなば 祈らずとても神やまもらむ」という菅原道真公の和歌があります。
天につながる志であれば、心配せずに思いっきって前に進みなさい、と励ましてくれているようです。
あなたの『志』は、なんですか?
ふるさと
https://www.youtube.com/watch?v=PiUJV3qz5oU