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し・・・親友達と一緒に島原観光
ま・・・まずは島原城へ歴史探訪
ば・・・罵倒されてたキリシタン
ら・・・来襲した拉致が影にあり
1618年 島原城築造(松倉重政)、、、のちの1637年は島原の乱が勃発した歴史がある長崎県島原市・・・
では、あいうえお作文に記した、キリシタンについて歴史の復習と再発見を
長崎県の平戸に海の武士団「松浦党」(鎌倉時代)として名をはせ、室町時代には戦国大名にまで上りつめた実力者だった松浦一族。
海外貿易により様々な物資のほか鉄砲などの武器輸入が流入・・・25代当主松浦隆信は、1550年から始まったポルトガル貿易の見返りにキリスト教の布教を認める。
家老などがキリスト教に入信し、その領土に住む人々はすべてキリスト教へ一斉改宗させら、農民もキリスト教の信者にならざるを得なくなった。
弾圧が始まると教徒である籠手田氏と一部氏は信徒600名とともに平戸から長崎へと脱出し、その後も追うように200名もの信徒が長崎へ逃れた。
では、なぜ キリスト教徒が弾圧されるようになったのか?
1587年にバテレン追放令によりプチ鎖国の始りのような出来事・・・
秀吉が発令したものですが、庶民を守るものと庶民からの革命を抑えることの両面からあるようですが、貿易を理由にやりたい放題していたような内容があるのは、前者は英断として評価できるものと思いますね
ば・・・罵倒したのはわけがあり
て・・・手練手管で日本人を騙し
れ・・・連行し、人身売買をする
ん・・・んぅんと怖い悪童もした
つ・・・連れていかれたのは数百
い・・・今だったら拉致問題以上
ほ・・・法律なんて糞くらえ思考
う・・・馬も牛も生で食う光景も
れ・・・例を見ぬ光景が発令へと
い・・・一騎も恐怖の秀吉の決断
こうやってバテレン追放令から、秀吉の死後・・・徳川家康もキリスト教の迫害を継続し、、、貿易による利益を優先するより外国からの悪影響や庶民の生命や生活を守るために鎖国へと進むことになったようです・・・
しかし、宗教というものは、群集心理も働き、怖いものへとなってしまします・・・
島原の乱がそうでした・・・1635年に完全鎖国したのちの1637年
鎖国が理由とはわかりませんが、領主による厳しい年貢やキリスト教禁止のキリシタンへの制圧が目立つようになった結果、キリシタン農民によるクーデターが起こります
廃城となった原城に籠った農民たちは約4万人も
ただし幕府側の動員は約12万人・・・ しかし、農民が籠城し、それが落城するまでに半年も・・・
悪に対して武器も武力も弱かっただろう農民がよく頑張ったものと表したいです
今の時代、そういう悪と戦う人たちは少なくなったように思えます・・・
農民が士農工商といいつつ、農民は一番↓のように扱われていた時代・・・その農民にも子供はいました・・・ 百姓に生まれた子供の運命は、厳しい生活に・・・
文句を言ったら平気で殺される時代・・・ 今でも声をあげても有耶無耶にされたり、ものごとを隠蔽することも多いことは変わりなしですが・・・
でも悪いことは悪いと! 戦うべき
討ち死に覚悟で戦う勇気が必要だと 62おじさんは思います・・・
汚い奴は、平気で嘘はつきます
そんなウソつき体質は、隠れたところで悪さを働き、自分の利益のある人の前では良人のふり・・・だから、人を陥れようとすることは簡単にしちゃいます
日本人だけでなく、世界各国、過去から現在まで・・・下には自分は偉いと勘違いし権力を奮い、反面、上にはごますりと嘘を放つ奴、人を陥れて自分がのさばる奴、・・・
そんな奴らに陥れられた人の恨みという呪いは相手の魂へと刻まれるようです、だから、人を騙したり陥れたり、金品を盗んだり、、、人を傷つけたり、、、まして命を奪うような行為はもってのほか・・・地獄が待っているそうです
島原城の敷地内には、こんな像がいろいろ見学することもできましたよぉ
犇めき隊の島原旅行記 第二弾におつきあいいただき、愛がとうございました