空間が動いた時歪みは目を覚ます | 任務を了解

任務を了解

JUSTで意思疎通

ライブという行為にきめ細かなパフォーマンスを求めるのは野暮だということぐらいは広まっているのだろう。ライブ版なるものがわざわざ発売される程度には。認知しているのだろう。


イベントなどに出張して行うラジオの公開録音も一種のライブ的行いである。それ自体の特性は発信側からしてみれば客と顔をつきあわせる機会ということなんだろう。当人にとってはお楽しみである。だがそれは本来優先されていないはずのこと。受け手によるところが大きくなければ芸能は商売にならない。


受け手は聴感的にライブか製作音源かは判断できる。客の声援などのノイズはあからさま過ぎるが単純にエンジニアが編集加工したものは喉ごしのなめらかさ。音量レベルも適正値にそろっていてなじみやすくされているから。ではライブ版の価値は劣るのか、質的に言えば圧倒的にそうだろう。取り直しもできない一発勝負でデコレーションもすることができなければ当然だ。


話をラジオに移し変えるとラジオもマイクに向かって話していれば均質に音が取れて音量の上下が視聴に疲れを及ぼすということもない。だがこれは公録、スタジオに限らずパーソナリティがマイクを意図、非意図的に遠ざかることがある。このとき声が遠のくにつれて逆に空間は広がっていく目的の声が遠くなるということはそれまで入ってこなかった音声が相対的に近づくからだ。空間が広がる。ブースが近づく。ここが醍醐味のひとつだろう。臨場。


定型句は素直に見れない性質なのですがその場にいるかのようなという表現はあながち的を外していることでもないと思う。空気が伝わる。しかしそれはもっとも売るべきものを控えめにしてこそできうること。売れてる人にはお薦めしたいけどってとこです。