今日からお盆か…


今の時代、田舎でもない限り迎え火も少なくなってしまった。

我が国、日本の古来よりの風習が段々と消えてゆく。

その昔、母が中心となり問答無用にて今の時期、必ず一心寺に身内が集まり法要を行った。

幼い頃、忙しい青少年期はあまり嬉しくなく、どちらかと云えば苦手だった。


今年は明日か明後日と思っているのだが…

この年になるまで近い周囲でも少なくない人たちを見送った。

順送りは仕方ないが不本意な送りもあった。

今日は皆さん、にこやかな顔で帰って来てくれてるであろうか。


十数年前、不本意ながら私はごく近い人間を死に至らしめた。


当人だけでなく私にとっても周囲の皆にとって残念至極な事だった。


私は不良ではあるが非行ではない。

一般の人達は不良と非行を一緒のようにしがちだが似て非なるもので不良には非行に対して強いプライドがある。


中学、高校時代、周囲の悪友たちはシンナーやトルエン、睡眠薬遊びをしている奴らが多い中、私は一度たりともしなかった。

大学に入り、半身を社会、世の中に出てからも周囲が覚醒剤、すなわちシャブに溺れていく中、私は現在に至るまで一度も経験はない。

当り前と云えば当り前なのだが不良と非行は非なるものであっても交わるところがある。


その一つが覚醒剤だ。

マリファナなどは非行の最たるもので不良にも成れない半端野郎のやるものと相場が決まっている。

私の周りも例に洩れずシャブに手を出し溺れて潰れていった人間を多く見てきた。


若い頃はシャキッとしたいい若い者がシャブに溺れてくすぶってしまった例など数え切れない。

覚醒剤は大東亜戦争の末期、大西龍次郎先生が発案したとされる特攻隊、神風特攻隊が出撃する時に使用したと仄聞するに当たり、そのような死地に赴く為に我々の先輩連中が使ったものを己の快楽を求めるために使うのは私には許し難いものがある。


一面、潔癖症である私はそれを当然、近い人間にも求め強制する。

それが不幸を呼んだのだが…

男の人生、下り坂は足元をしっかり見るが上り坂は前と上しか見ないもんだ。


ゆえに先にある「まさか」という坂に踏み入れ転び落ちる。

私はこの事件がなくとも、おそらく他の事で落ちていたように思える。


それほどまでに己の人生に錯覚、そしてその生活に麻痺していた。

東京では現役ではないと云えどもアンタッチャブルな世界に絶対君臨する師父 安藤が存在し地元の関西では悪友Kの縁で五代目山口組組長の親友だったM田のM万商事の顧問としての立場があり、又、別に長い懲役から戻り次期カシラと噂されたS氏と近いK氏と兄弟分付き合いにあった私はS氏K氏、それにSに近い畜産大手の会長A氏や府議H先生、S氏と近い現役のI会のK氏などとも食事をしたり飲んだりしていた。


当時は私の地元の大先輩であり若い頃から何かにつけ目を掛けてくれていたミナミのT組長がN会から暗殺され山口組内部も混沌としている状況で予断を許さなかったからミナミで大勢のガードを連れ食事をし同じミナミのアンビエンテに移っても入口は当り前で外の通路にまでガードが立って鋭い目で付近を睨み付けていた。


ミナミのアンビから北新地のダーリンに向かうのも長堀通りはおろか中央大通りも本町通りもガードの車が先に横の道路を止め信号を無視して突っ走る。


私たちは全く大丈夫なのだが次期カシラと噂されていたS氏がT組長を暗殺したN会長とも元々同門でありN会長をどうにか戻そうと画策している最中だったので余計に神経質だったのだろう。


一緒に飲んでいる時に電話が入り急に顔色を変えて中断したこともあった。

しかし後に除籍処分を受けたS氏にはこの頃が一番勢いもありヤクザとして輝いていた時期だったかも知れない。

長居にある自宅の新築祝いも盛大で招かれた私もKと一緒に駆け付けた。

得意満面の笑みのあの頃のSが懐かしく思い出される。

奇縁と云えば奇縁でこのS会のS氏と私の長い友人S原とは若い二十代の頃、寝食を伴にした親友だったようだ。

又、H畜産のA氏は私が顧問を務めていたM田の従兄になる。

世間は思っているより狭いものだ。

その頃、私の運転者兼秘書をしていたのが元M田の運転手をしていたHだ。

M田の実子が体調のあまり良くない私を思って付けてくれたのだが…


このHがたまに不可解な行動や態度をとる。


若いのにすぐに直前のことを忘れる。

シャブだと思った私は本人に問い詰めた。

色々なことを私に打ち明けてくれたHを私は見捨てることが出来なかった。

それが後に悲劇を生むのだが…


私はHがシャブをしていたことが判って本人もそれを認めるとヤキを入れた。

ヤキといっても我が運転者であるからそう激しい壮絶なものではない。


しかしそれが何ヵ月か続いた八月初めに突然、最悪の結果を招いた。


不本意であろうと過失であろうと一応、私は逮捕される。

十年以上ぶりの逮捕だ。

憎しで確信を持って行ったものでもなく私は一種のパニックに陥った。

連行された所轄で十年ぶり以上に身体検査、他を受け夜遅くに留置場に放りこまれた。

夜遅くの訪問者に留置場はざわめく。

同房の衆に簡単に挨拶をしてその日は横になった。

寝れるはずもなく遺族の家族、私の家族、縁ある人間の顔が浮かんでは消えながら翌日から始まるであろう激す日を思い一睡も出来なかった。

翌朝一番に刑事課からお呼びが掛かった。

見るからに陰険そうな刑事だ。


私は確かに罪を犯したからには是々非々でした事はした事で認めしていない事はしていない事で主張するつもりであったが警察の末端の刑事はそんなに甘くもないし少しでも罪を作って重くしようとする。


私の担当の川口という刑事も同様の、いやそれ以上に悪質な猜疑心の塊のような刑事でそれから一月ぐらいの戦いが始まった。

刑事に対するとは別に朝晩、故人に対して手を合わせお祈りし許しを乞うた。


或る意味で私の一番の理解者であった故人Hは

「社長、気にせんで下さい。それより身体を労ってください」と微笑んでくれるようにさえ観えた。


不良とは私も含めて総じてM、マゾヒスティックな者が多い。

一般人の方が遥かにSだ。

この辺を普通の人達は理解出来ていない。

非行でなく不良はヤクザでも右翼でも自身を律する中、自己犠牲に憧憬する。


心のどこかで侍、武士というものへの憧れがあるのだろう。

だから切腹は出来ないがケジメで誠意を見せるために指を詰めたり頭を丸めたりする。


もののふを気取りたいのかも知れない。

だから意外に思われるかも知れないが不良、ヤクザの中にはかの三島由紀夫を尊敬し生きる見本としている人間も少なくない。

かくいう私も三島の生き方、死に様には衝撃を受けたし三島のように生きたいと思ってきた。

ただ三島は天才であり私は凡人以下の人間である。


話はそれたが私と亡くなったHの間にはそれだけの情があり繋がっていたように自負している。


だから当然、Hには全面的に詫びるしか出来ないし、その気持ちだけだ。

しかし何も理解も出来ぬ理解らない今目の前に居る、単に罪を作り点数を上げたいだけの刑事に罵られこづかれ虐待される覚えはないし、まっぴら御免だ。


私の同級連中や知己の刑事でなく現場の最末端の刑事には下品さと野蛮さしかない。

よくあれで刑事が勤まるもんだと思う。


故人や遺族には頭を下げるしかないし、何を言われても仕方ない。

しかし取り調べの刑事に暴行を受け、悪しき習わしになってしまっているが毎日の取り調べ、午後からの取り調べの際、なぜか担当の刑事に
「宜しくお願いします」
終わりに
「有難うございました」

と頭を下げる規則?がある。

冷静に考えれば彼らは慈善でもボランティアでもなく、それで禄を食んでいるのだ。

何故に遺族でなく程度の低い刑事に頭を下げなくてはならないのか。

まして最近は検察の捏造や読み筋に従い調書を巻くというのが言われてきたが

当時はそんな事も言われず完全に刑事の思惑通りの調書を作ろうとする。

何しろ文言一つ悪意に悪意にと書いていく。

皆さんも人生何があるか判らない。

十分にその辺を理解しておいて欲しい。

あまりにも強引な取調べに私は二階の窓から飛び降り死のうと頭から突っ込んだり頭を思い切り机に叩きつけたりした。

もっとも、こうした最末端の次元の低い刑事連中の日常などキャリアやそれに次ぐエリート警察官はまったく知らないようで、その後、キャリアの幹部と食事をした際、何度かそんな話をしてみたが驚いていたのが印象的だった。


私も不良とは云えレッテルや名刺で人を判断しない。

警察や検察でもロクでもない悪い奴はいるがヤクザや不良の中にも刮目させられる立派な男がいる。

当時も私は大阪府警の幹部二人とごく親しく付き合っていた。

別に損得の付き合いではない。

相性が合う友人のようなものだ。

誤解のないように断っておくが高校時代の同級に府警本部でえらく出世してるが同窓がいるが私は学生時代から不良だったが何かの縁でその同級生とは結構話したりする仲だったが社会に出て不良を続けている私は彼に迷惑をかけてはとの思いから一切近づかないようにしているし、その時も交際のある幹部二人の名は出し話したが同級生には一言も触れなかった。


それをすれば私が私でなくなる。

不良どころか単に他人様を利用する非行になってしまう。

しかしながら青春時代の1ページを共に過ごした友、陰ながらO君の益々の活躍を祈りたい。

ま、それにしても担当の川口はひどかった。

私に対するだけでなく心配して度々来てくれていた私の実の姉にまで私の有る事無い事、いかに私が悪い人間であるかを吹き込んでいたようだ。

私の何をも知らぬ、その時知った、その事、それも表面上しか見ていない程度の低い人間に人の何たるかが理解るのか。

処分される前に己の頭の上の蝿をはらえと言いたいもの。

だから悪質で程度の低い国家権力だけを背景にする刑事が担当になれば、これはもう戦いだ。

それも自由もない拘禁のハンディがあっての戦い。

よほどの精神力がなければ冤罪でも何でもつくられてしまう。

おまけにその調書という名の自供が絶対的なものになる。

今はS君が無罪を争い座って、つい二月前には平野のTやその一党が座っていた都島の大阪拘置所に移送されたのはまだまだ暑い頃だった。


直前に接見禁止が解けていた私は友人の中田氏を呼んで外部のせねばならない事、その後の事を頼んだ。

一番の親友 和男も来てくれた。

実の姉も遠い所、暑い中を毎日のように来てくれていた。

移送の日も午前中に所轄で面会出来なかったのに午後から電車を乗り継いで都島まで