例年は仲秋の名月とは名ばかりで残暑残る長月の初め…
今年はすっかり秋めき涼しさにも秋を感じる昨今
私の身の回りと云えば身内にトラブルが発生、その収拾がつくと思ったらS君の異義申し立てが却下となり一抹の寂しさを感じる。
久しぶりに出入り禁止にしていた若手に連絡をすると御母堂が先月のお盆明け十七日に亡くなったとのこと…
放火で囹圄の身のI君の前職、ローソンに対する損害賠償の件、刑事事件の応援…
私自身の裁判etc…
秋風が吹くと何か寂寞たる思いにかられる。
年を重ねたせいであろうか。
ゆっくりと伽羅の香を焚き名月を愛でれる事に幸せを感じねばならないのかも知れない。
東北だけでなく今年の天変地異は各地に被害をもたらしている。
心より被災地の復興、復旧をお祈り申し上げます。
千葉地検から千葉刑務所に送られた私は朝までグッスリと眠りこんだ。
逃亡中の心身の疲れが一気に出たのだろう。
朝起きると朝の点呼で担当の刑務官が回ってくる。
刑務所に入ると、その日から名前は消え去り番号となる。
独房では一人で寝具を片付け中央部分に座っていると担当が副担を連れて点呼、点検に回ってくる。
自分の番号を大声で発すると担当が良しと言って隣へと行く。
その後は簡単に房内を掃除して整える。
次は配食準備だ。
皿や椀用意と配食係が言って小さい房の出し入れ口に出すと食事がそこへ入れられる。
千葉の朝はパンが多い。
食パンとマーガリン、ジャムかコッペパンにマーガリン、ジャムが普通である。
それに僅かな野菜が付いたりチーズが付いたりする。
食事時間は配食から合わせて10分もすると今度は
空下げと叫びながら配膳夫が回ってくる。
私のように食べるのが遅い人間には中々これが苦痛でで結局残したまま、機械的に下げられていく。
食事が終わると洗濯物の交換が始まる。
掃夫に下着を入れて貰い、すぐに着替えて出すのだが毎日の交換で清潔だと思われるが
その元の下着が誰がどれだけ履いたり着たりしたか知れない。
白いシャツやパンツに当たるのは月に一度あれぱいい方で他の29日はベージュか薄い茶色に染まった下着でまず外で普通の生活をしていた人間はこれに慣れるまでに相当な日を要する。
変に潔癖な私はこれには参って自弁の物を購入出来るまでは本当に病んでしまう。
外では当り前の物が中での生活では重宝、あまつ同囚との競争心さえ芽生える。
箸一つから手拭い、歯ブラシを競い合う。
スリッパや運動靴などは級によって購入できないシステムになっている。
ちなみに拘置所からは持ち込める物で刑務所で購入出来ない物、差し入れでしか買えない物などで囚は大きい顔をする。
まったく笑話にもならない。
私は豚毛の歯ブラシと書物の差し入れを良く頼んだ。
収監された翌日、私には嬉しいことがあった。
簡単な紙張り作業をしていた私に担当が
「面会だ」と伝えた。
昨日の今日、それも大阪から離れた千葉である。
千葉の獄は面会所まで中庭を歩く。
夏とはいえ緑が多くて爽やかな気持ちになる。
面会所に着くと大阪の倅達が来てくれていた。
有難く嬉しい限りなのだが、その心中や手間を考えると切なくなる。
私は敢えて明るく振る舞った。
倅達はアクリルの格子越しに何を思ったのだろうか…
一般の囚は拘置所か分類刑務所で色々な考査や適性検査があり、そこから長くを過ごす刑務所に送られることになるが
逃亡から収監となった私は千葉が分類刑務所の代わりとなった。
知能検査から手先の器用さ、漢字の検査まである。
その間は独居なので紙張りをした。
千葉か近辺の土産物袋を折るのだが、慣れると単調でやってられない。
こういう作業もベテランの囚が教えてくれるのだが同じ囚人の中にも色々な人間がいる。
後にDNA鑑定で再審無罪となった人間は私の舎の計算夫-すなわち一番の権限を持つ囚であったが、陰険な男で私らが少しでも反抗心を見せると食事の量を少なくしたり空下げを早くしたりと官も目をつぶっていたが大概ひどいことをして同囚をいたぶっていた。
かと思えば材料を入れに来る同囚は
「真面目にやらなくて適当にして下さいよ」と
気遣ってくれる人間も少なからずいた。
特に担当でえらく私を気に入ってくれ夜勤の度に暇があれば私の房へ来てくれ世話を焼いてくれた親切な心ある官もいた。
ヤンキー上がりの官たったが今も心に残る男で私を囚人としてでなく一人の男として扱い観てくれていた。
私の逃亡や罪状を知っている官はあまり私を相手にしたくなかったのだろう。
或る程度の事は目をつぶってくれた。
どちらかと言うと庇い合うべき先述の計算夫に悩まされた。
少し獄中生活に馴れて来た頃また担当から
「面会」の声がかかった。
今度はまったく心当りはなかったが何のことはない天敵であった私担当の検察官の横田氏らの面会でその時、初めて次郎のマスターの行動や所作を聞いた。
横田氏も
「あのマスターは男前」と褒めちぎっていた。
私は病気の事もあり、大阪いや関西、近畿の刑務所の幹部に根回しをしていたので簡単に考えていたが、それがバレていたのか、さたまた千葉で収監されたからか護送車で連行されたのは関東の果て栃木の黒羽刑務所であった。
暖かい千葉とは比較にならぬ寒さの地、夏は過ごし易いが冬は長く寒い。
私はまず此処へ送られた。
入所日から新入訓練である。
刑務所内での規則を身体に覚えさせ規則や決まりごとを教え、簡単な作業と訓練の毎日である。
まあ刑務所などという所は完全な治外法権の場、囚を手なづけ逆らわないよう徹底的につぶしにくる。
朝、舎房から工場へ出役、素っ裸になりガンガン踊りをして作業に入るのだが
朝、トイレに行けなかった連中が当り前でいる訳だが
「用便をお願いします」と手を上げて言っても中々行かせて貰えない。
「休憩の時間が判ってんだから、身体をその時間に合わせろ」と…
あちこちで垂れ流しが出現する。
だいたい刑務所では官は囚を人間と思っていない。
私にもそれが徐々に理解ってくるのだが…
負けん気の強い私はそれでも恐らく黒羽で一番、官に逆らった男だ。
その返しは陰険且つすざまじかった。
入所後、工場に配属された直後は強面の担当、田村も私を上手く利用し難しい部屋へ入れ外交問題にも発展しかねない中国人や根なし草で開き直った連中を抑えるのに私を重用した。
病棟工場は特に癖の強い人間が集められるが私は入って二日後には部屋を仕切り病棟工場で一目おかれる存在となった。
何事も初めが大事である。
入った初日に私は大上段から勝負に出た。
人生、賽の目丁半博打である。
丁と出るか半と出るか私は工場、部屋に入る時にこれ以上に折れないほど腰を折った。
後に勝負に出るには腰の低さが効果的だ。
明日は工場配役、寝つかぬ私は色々と想定してる間にいつしか眠りについていた。
今年はすっかり秋めき涼しさにも秋を感じる昨今
私の身の回りと云えば身内にトラブルが発生、その収拾がつくと思ったらS君の異義申し立てが却下となり一抹の寂しさを感じる。
久しぶりに出入り禁止にしていた若手に連絡をすると御母堂が先月のお盆明け十七日に亡くなったとのこと…
放火で囹圄の身のI君の前職、ローソンに対する損害賠償の件、刑事事件の応援…
私自身の裁判etc…
秋風が吹くと何か寂寞たる思いにかられる。
年を重ねたせいであろうか。
ゆっくりと伽羅の香を焚き名月を愛でれる事に幸せを感じねばならないのかも知れない。
東北だけでなく今年の天変地異は各地に被害をもたらしている。
心より被災地の復興、復旧をお祈り申し上げます。
千葉地検から千葉刑務所に送られた私は朝までグッスリと眠りこんだ。
逃亡中の心身の疲れが一気に出たのだろう。
朝起きると朝の点呼で担当の刑務官が回ってくる。
刑務所に入ると、その日から名前は消え去り番号となる。
独房では一人で寝具を片付け中央部分に座っていると担当が副担を連れて点呼、点検に回ってくる。
自分の番号を大声で発すると担当が良しと言って隣へと行く。
その後は簡単に房内を掃除して整える。
次は配食準備だ。
皿や椀用意と配食係が言って小さい房の出し入れ口に出すと食事がそこへ入れられる。
千葉の朝はパンが多い。
食パンとマーガリン、ジャムかコッペパンにマーガリン、ジャムが普通である。
それに僅かな野菜が付いたりチーズが付いたりする。
食事時間は配食から合わせて10分もすると今度は
空下げと叫びながら配膳夫が回ってくる。
私のように食べるのが遅い人間には中々これが苦痛でで結局残したまま、機械的に下げられていく。
食事が終わると洗濯物の交換が始まる。
掃夫に下着を入れて貰い、すぐに着替えて出すのだが毎日の交換で清潔だと思われるが
その元の下着が誰がどれだけ履いたり着たりしたか知れない。
白いシャツやパンツに当たるのは月に一度あれぱいい方で他の29日はベージュか薄い茶色に染まった下着でまず外で普通の生活をしていた人間はこれに慣れるまでに相当な日を要する。
変に潔癖な私はこれには参って自弁の物を購入出来るまでは本当に病んでしまう。
外では当り前の物が中での生活では重宝、あまつ同囚との競争心さえ芽生える。
箸一つから手拭い、歯ブラシを競い合う。
スリッパや運動靴などは級によって購入できないシステムになっている。
ちなみに拘置所からは持ち込める物で刑務所で購入出来ない物、差し入れでしか買えない物などで囚は大きい顔をする。
まったく笑話にもならない。
私は豚毛の歯ブラシと書物の差し入れを良く頼んだ。
収監された翌日、私には嬉しいことがあった。
簡単な紙張り作業をしていた私に担当が
「面会だ」と伝えた。
昨日の今日、それも大阪から離れた千葉である。
千葉の獄は面会所まで中庭を歩く。
夏とはいえ緑が多くて爽やかな気持ちになる。
面会所に着くと大阪の倅達が来てくれていた。
有難く嬉しい限りなのだが、その心中や手間を考えると切なくなる。
私は敢えて明るく振る舞った。
倅達はアクリルの格子越しに何を思ったのだろうか…
一般の囚は拘置所か分類刑務所で色々な考査や適性検査があり、そこから長くを過ごす刑務所に送られることになるが
逃亡から収監となった私は千葉が分類刑務所の代わりとなった。
知能検査から手先の器用さ、漢字の検査まである。
その間は独居なので紙張りをした。
千葉か近辺の土産物袋を折るのだが、慣れると単調でやってられない。
こういう作業もベテランの囚が教えてくれるのだが同じ囚人の中にも色々な人間がいる。
後にDNA鑑定で再審無罪となった人間は私の舎の計算夫-すなわち一番の権限を持つ囚であったが、陰険な男で私らが少しでも反抗心を見せると食事の量を少なくしたり空下げを早くしたりと官も目をつぶっていたが大概ひどいことをして同囚をいたぶっていた。
かと思えば材料を入れに来る同囚は
「真面目にやらなくて適当にして下さいよ」と
気遣ってくれる人間も少なからずいた。
特に担当でえらく私を気に入ってくれ夜勤の度に暇があれば私の房へ来てくれ世話を焼いてくれた親切な心ある官もいた。
ヤンキー上がりの官たったが今も心に残る男で私を囚人としてでなく一人の男として扱い観てくれていた。
私の逃亡や罪状を知っている官はあまり私を相手にしたくなかったのだろう。
或る程度の事は目をつぶってくれた。
どちらかと言うと庇い合うべき先述の計算夫に悩まされた。
少し獄中生活に馴れて来た頃また担当から
「面会」の声がかかった。
今度はまったく心当りはなかったが何のことはない天敵であった私担当の検察官の横田氏らの面会でその時、初めて次郎のマスターの行動や所作を聞いた。
横田氏も
「あのマスターは男前」と褒めちぎっていた。
私は病気の事もあり、大阪いや関西、近畿の刑務所の幹部に根回しをしていたので簡単に考えていたが、それがバレていたのか、さたまた千葉で収監されたからか護送車で連行されたのは関東の果て栃木の黒羽刑務所であった。
暖かい千葉とは比較にならぬ寒さの地、夏は過ごし易いが冬は長く寒い。
私はまず此処へ送られた。
入所日から新入訓練である。
刑務所内での規則を身体に覚えさせ規則や決まりごとを教え、簡単な作業と訓練の毎日である。
まあ刑務所などという所は完全な治外法権の場、囚を手なづけ逆らわないよう徹底的につぶしにくる。
朝、舎房から工場へ出役、素っ裸になりガンガン踊りをして作業に入るのだが
朝、トイレに行けなかった連中が当り前でいる訳だが
「用便をお願いします」と手を上げて言っても中々行かせて貰えない。
「休憩の時間が判ってんだから、身体をその時間に合わせろ」と…
あちこちで垂れ流しが出現する。
だいたい刑務所では官は囚を人間と思っていない。
私にもそれが徐々に理解ってくるのだが…
負けん気の強い私はそれでも恐らく黒羽で一番、官に逆らった男だ。
その返しは陰険且つすざまじかった。
入所後、工場に配属された直後は強面の担当、田村も私を上手く利用し難しい部屋へ入れ外交問題にも発展しかねない中国人や根なし草で開き直った連中を抑えるのに私を重用した。
病棟工場は特に癖の強い人間が集められるが私は入って二日後には部屋を仕切り病棟工場で一目おかれる存在となった。
何事も初めが大事である。
入った初日に私は大上段から勝負に出た。
人生、賽の目丁半博打である。
丁と出るか半と出るか私は工場、部屋に入る時にこれ以上に折れないほど腰を折った。
後に勝負に出るには腰の低さが効果的だ。
明日は工場配役、寝つかぬ私は色々と想定してる間にいつしか眠りについていた。