【第一弾】ヴェネチア共和国 靴職人組合『カレゲリ』 | ヴェネチアから、イタリアの歴史、文化、食のトピックスを発信

ヴェネチアから、イタリアの歴史、文化、食のトピックスを発信

ヴェネチア在住 ブログで紹介するヴェネチアとイタリア各地のスポットをアテンド

 

 

靴職人同業組合『カレゲーリ』

 

17世紀のエレガントな男性用の靴

 

ヴェネチア コレール博物館 

女性用の絹の靴

 

Scuola dei Calegheri 

スクオーラ・ディ・カレゲーリ

 

ヴェネチア共和国時代のカレゲリ信者会(靴職人組合)の記念碑です。「カレゲリ」という言葉は、ローマ時代の「カリガリ」、すなわち「ガリゲー」(兵士用のサンダル)を作っていた人たちに由来する靴職人組合の入口ドアの上に、今も飾られています。中央には17世紀のエレガントな男性用の靴が浮き彫りにされ、両脇には同じスタイルの他の2つの靴が刻まれています。

 

1383年に設立されたこの信者会は、聖マルコによって治療され、改心した職人、聖アニアノの庇護のもと、『スクオーラ・デイ・カレゲーリ(カレゲーリ信徒会)』が設立されました。

 

ヴェネチア共和国時代の『スクオーラ』

 

 

当時、ヴェネチアでは『スクオーラ』は、団体・企業的な性質を持つ古い施設とその所在地である建物の両方を意味していました。スクオーレは信徒団体(ヴェネツィアでは、最初の労働者団体は11世紀にさかのぼる)で、守護聖人を選び、中流市民が加入していました。1261年、ヴェネチア共和国は2つの奉行所を設置し、他の仕事と並行して、マリーゴレ(母規則)、つまり、スクオーラ自体の設立を承認する責任を負っていました。さまざまな種類のスクオーラが存在しました。

 

最も多いスクオーラは、職人たちの職業別のグループを集めたスクオーラで、彼らのマリーゴレ(母規則)は一種の職業登録簿のようなものでした。例えば、ラネリ(羊毛商人・職人)、ルガネゲリ(豚肉加工食品職人)、ヴァロテリ(毛皮職人)のスクオーラがそうでした。

 

当時、ヴェネツィアに在住していた外国人労働者の団体を集め、外国人コミュニティに経済的支援、立ち上げ作業、精神的・物質的支援を提供し、アルバニア人、スラブ人、ベルガマスク人、ギリシャ人など、困難な状況に陥ったときに、その存在をアピールしました。

慈善の宗教的性格を持つスクオーラには、聖人への献身や苦行の『スクオーラ・デイ・バトゥティ』や、トレント公会議以降、特に街のさまざまな小教区で生まれた「聖母のスクオーラ」がありました。ほとんどのスクオーラは、国の守護聖人や職業の守護聖人にも捧げられていました。

 

そうした中、スクオーラ・ディ・カレゲーリは靴職人の信徒会(同業組合)として、1383年、聖マルコによって治療され、改心した聖アニアノの庇護のもと、スクオーラ・デイ・カレゲーリが設立されました。靴やブーツを作るカレゲーリと、スリッパや木靴を作るザヴァティエリが、信徒会によって結びつけられました。

 

スクオーラの最初の活動は、サンタ・マリア・デッラ・カリタ修道院で行われ、そこでは靴の聖人とされる聖アニアノの遺体が崇拝されていました。1446年、スクオーラはサン・トマ近くの建物を購入することを決め、改修を経て1478年に完全に移転しました。

 

1793年に修道院の許可を得て、サンタ・マリア・デッラ・カリタ修道院からスクオーラの保護者である聖アニアノの遺体が移されました。1797年のヴェネチア共和国崩壊の直前には、350の工房に分散していた約1200人の靴職人がカレゲーリ信徒会に集まっていたそうです。

18世紀には、大工の「マランゴーニ」、絹織物職人の「テストーリ・デ・セータ」に次いで、靴職人の「カレゲーリ」が多くの会員を擁する同業組合だったそうです。

 

 

 

シンプルな煉瓦造りのファサードには、ヴェネチアの典型的アーチの門に浮き彫りがあり、衣、木、背景に多色塗装で、聖アニアノを癒す聖マルコが描かれ、その下には3つの靴の浮き彫りがあります。

 

 

 

 

14世紀末には、ヴェネツィアの同僚の靴職人と別れたドイツ靴職人たちが、カンポ・サント・ステファノ教会に集まっていました。その近くのボッテゲ通りには、15世紀末にドイツの靴職人がホスピスとして寄贈した家に、かつてはドイツのカレゲーリたちが集まっていました。1659年製の高浮き彫りの長方形の記念碑には、ボタン留めのあるエレガントなヒール靴とリボン紐付きヒール靴が彫られています。