III お米の歴史
お米は日本の食文化の基礎となる食料品です。江戸時代まで米本位制で、武士の給料もお米で支払われていました。幕府の直属の家来の武士、つまり旗本や御家人の多くは、幕府から給料を米でもらっていました。一方で、給料だけでなく、たとえば寺子屋の授業料から、私塾の授業料も米で支払われ、また税金である年貢も、お米で支払われていました。
III 世界の米生産
世界の生産の約91%はアジアで行われているそうです。アジアの主要な生産国は、中国、インド、インドネシア、バングラデシュ、タイ、ベトナム、ビルマ、日本、フィリピン、パキスタンです。米はアフリカの一部の地域でも栽培されていますが、ヨーロッパではイタリア、スペイン、ロシア、ポルトガル、ユーゴスラビア、ハンガリー、ルーマニア、ギリシャ、フランスで栽培されています。ブラジル、アメリカ、オーストラリアで栽培が行われています。
米は、近年ますます世界的に重要な食品になり、西洋の国々が米の料理とワイン、オリーブオイルの組み合わせに魅了され、東洋の習慣、その食べ物、その哲学とその伝統に興味を持ち、お米を使ったお寿司など、東洋の伝統的な米を使った料理が人気を博しています。東洋では、米は各地の伝統、文化、そして料理法と常に密接な関係を維持してきたことが、ヨーロッパの関心にも広がったようです。中国では「ご飯のない食事は目のない美しさのようなものだ」と語られ、インドでは「一日に一握りの米が健康と活力を保証する」と言われているそうです。
III 世界の米の歴史
III古代ギリシャ お米の歴史
古代ギリシャの歴史家、地理学者、民族学者のカッサンドラのアリストブロスは、アレクサンダー大王と共にアジアへの遠征に同行し、人々に米について語ったことが証明されています。
※カッサンドラのアリストブロス(紀元前4世紀-紀元前3世紀):アレクサンダー大王配下の歴史家。軍事の専門家であったが,地理や自然法に通じ、アレクサンダー大王についても信頼できる記述を残した。
古代アテナイのアリストパネスの詩では「ライスロール」のレシピが語られています。
※アリストパネス(紀元前446年 - 紀元前385):古代アテナイの喜劇詩人、風刺詩人。代表作はソクラテスが登場する『雲』、パロディーを取り入れて優れた文芸批評に仕上げた『蛙』など、があります。
このライスロールは、今日ギリシャはじめ、トルコや中近東で食べられる伝統料理です。伝統的にはブドウの葉にライスをロールしています。歴史的に、中東を越えて広がった料理とされています。トルコやエジプト、パレスチナなどの中東諸国・地域のほか、東はウズベキスタンやアゼルバイジャン、西はギリシャやアルバニア、コソボなどのバルカン半島の諸国にも存在します。今日は移民として多くのイスラム教徒らが渡った欧州にも広がっています。
ブドウの葉でロールしたドルマデス(またはドルマダキ)
ライスをロールするのは、イチョウの葉やキャベツのレシピもあり、中身の具も各地で異なります。このように各国、そして国内でも各地域のバリエーションがあるようですが、ギリシャでは、野菜の葉で包むタイプのものだけをドルマデス(またはドルマダキ)と呼んでいます。中近東、トルコ、アルメニアではドルマと呼びます。
ドルマデス(またはドルマダキ)は、紀元前338年頃にアレクサンダー大王によってテーバイが包囲された時期に誕生したレシピと伝えられています。テーバイは、古代ギリシアにあった都市国家のひとつで、現在の中央ギリシャ地方ヴィオティア県の県都ティーヴァです。
ボイオーティア同盟の盟主となり、アテナイやスパルタと覇権を争った最有力の都市国家のひとつであった。精強を謳われた「神聖隊」の活躍が有名。またギリシャ神話では「7つの門のテーバイ」として名高く、オイディプス伝説などの舞台になっています。
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一方で、古代ギリシア三大悲劇詩人の一人であるソポクレス(紀元前496年 – 紀元前405年)が、紀元前442年ごろに書いたギリシア悲劇『アンティゴネ』で、この料理が言及されていると言う説があります。ただし、そうなるとアレキサンダー大王よりも前に古代ギリシャに米が存在することになってしまい、時代背景が合わないので、とりあえず伝説としておきます💦
大激怒しテーバイ王クレオーンを落ち着かせるために、この料理が提供されたと言うのです。本劇におけるアンティゴネとクレオンの対立は「神の法」と「人間の法」の対立とされます。
ソポクレス
『アンティゴネ』
ポリュネイケースは、祖国テーバイを裏切って戦争を仕掛けましたが討ち死にします。テーバイ王クレオンは、裏切り者ポリュネイケースの遺体の埋葬を禁じ、野ざらしにします。ポリュネイケースの妹であるアンティゴネは、王クレオーンの命令に逆らい、兄の遺体を埋葬します。王クレオンは自分の命令に逆らったアンティゴネに大激怒しますが、アンティゴネは逆にクレオンを神に逆らう愚か者と責めます。アンティゴネは死刑となりますが、それは実はクレオンの破滅の始まりでもあったのでした。
※ ソポクレス:現代まで作品が伝わる古代ギリシアの三大悲劇詩人の一人。生涯で120編もの戯曲を制作したが、殆どが散逸し、完全な形で残っているものは7作品にすぎないとされる。
代表作『オイディプス王』がある。
『クレオンによって死刑を宣告されたアンティゴネ』
ジュゼッペ・ディオッティ1845年
テオプラストス(紀元前371年 – 紀元前287年)は著書『植物誌』で米の栽培について説明しています。
※テオプラストス:古代ギリシア人で哲学者、博物学者、植物学者で、植物研究における先駆的な功績から「植物学の祖」と呼ばれる。これまで上げてきた古代ギリシャの歴史上の人物たちの文書や作品で証明するように、西側に米を知らせる役割を果たしたのは古代ギリシャ人とされています。
III古代ローマ 米の歴史
※ローマ帝国の黄金時代には、深紅色I、バージンウールの自然な色I、紫Iの3色がファッションカラーでした。
古代ギリシャから古代ローマ人まで、その後、中世からルネッサンス時代まで、実は米は香辛料として、多種の病状の薬として、または化粧品として使われていました。
香辛料、薬、化粧品としての米
たとえば、古代ローマ時代の南イタリアの詩人ホラティウス(紀元前65 - 紀元前8年)は、彼の著書『風刺詩』 の中で「米茶」を処方した医者について語りました。
ホラティウス
『風刺詩』
ローマ皇帝ネロの治世下の古代ローマで活動したの医者ペダニウス・ディオスクリデス(40 - 90年)は、彼の著書『薬物誌』のなかで米は栄養価が高く、腸にたまることを証言しています。
※ペダニウス・ディオスクリデス :ローマ帝国期のギリシア語著述家、医者、薬理学者、植物学者である。薬理学と薬草学の父と言われる。ギリシア・ローマ世界の至るところで産する薬物を求めて、軍医として方々を旅する機会があり、その経験を活かして『薬物誌』をまとめたとされる。
ペダニウス・ディオスクリデス