ヴェネチア ペスト終焉の感謝祭 マドンナ・デッラ・サルーテ祭 | ヴェネチアから、イタリアの歴史、文化、食のトピックスを発信

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マドンナ・デッラ・サルー​​テ祭
ビザンチン美術のイコン画『黒い聖母』

1629年夏に始まり、イタリア全土に広がったペスト(黒死病)の大流行は、ヴェネツィアにも襲いかかり、2年かけて人口の三分の一を失いました。秘跡の提示が繰り返され、祈りを込めてペストに対する守護聖人サン・ロッコとサン・ロレンツォ・ジュスティニアーノへ捧げる教会を建設しましたが、ペストはやまず、この疫病は多くの犠牲者を出しました。

 

ヴェネチア 疫病ペストに病む人々

 

古代ギリシャ時代の医学者ヒポクラテスの『四体液説:血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁』やローマ帝国時代のガレノスなどの論文『毒気の原因と体液性の教義による病気の伝染』によると、「病気は体内のさまざまな体液間の不均衡性によって起こり、伝染が発生した」と言うものでした。

 

※ヒポクラテス(紀元前460年 - 紀元前370年頃)の四体液説:「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4種類を人間の基本体液とする体液病理説。体液病理説(または液体病理説)とは、人間の身体には数種類の体液その調和によって身体と精神の健康が保たれ、バランスが崩れると病気になるとする考え方で、古代インド(アーユルヴェーダ)やギリシャで唱えられた。インドからギリシャに伝わったとも言われる。

四体液説は、西洋で広く行われたギリシャ・アラビア医学(ユナニ医学)の根幹をなしており、19世紀の病理解剖学の誕生まで支持された。どの体液が優位であるかは、人の気質・体質に大きく影響すると考えられ、四体液説と占星術が結びつけられ広い分野に影響を与えた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

※ガレノス(129年 - 200年頃)は、ローマ帝国時代のギリシアの医学者。臨床医としての経験と多くの解剖によって体系的な医学を確立し、古代における医学の集大成をなした。彼の学説はその後ルネサンスまで1500年以上にわたり、ヨーロッパ医学およびイスラーム医学において支配的なものとなった。ガレノスは、ヒポクラテスの医学をルネサンスにまで伝えた。彼の 著書『On the Elements According to Hippocrates 』は、ヒポクラテスの四体液説を叙述している。四体液説は人体が血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁から成るとする説で、それらは古代の四大元素によって定義付けられ、かつ四季とも対応関係を持つとされた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

疫病はかつて世界で最も恐れられていた病気の1つでした。痛みを伴い、腫れたリンパ節、黒ずんだ皮膚、および他の恐ろしい症状で犠牲者を悩ませたペスト(黒死病)は世界的な大流行で何億人もの人々がなくなった疫病でした。

 

17世紀のヨーロッパでは、犠牲者の診察や治療を行う医師たちは、下記の絵にあるドレスのような衣装を身につけていました。彼らは頭からつま先までをマスク、そして衣服で全身を覆っていました。マスクをは長い鳥のくちばしが付いていました。これらの抗疫病くちばしマスクの背後にある理由は、病気の本当の性質に対する誤った信念によるものでした。

 

 

数世紀にわたってヨーロッパで再発したペストの発生期間中に、パンデミックに悩まされていた都市は、富裕層から貧民層のためにペストの専用医師を雇いました。疫病の対策のための発明と解毒剤であると考えられるものを処方し、死体の剖検を行いました。多くの医師達がくちばしのマスクを着用してこれらすべてを行いました。

 

医師たちが着用していた、この「コスチューム」は、17世紀にルイ13世を含む多くのヨーロッパの王族を治療することに成功した疫病医師シャルル・デ・ロルム(Charles de Lorme)に起因します。彼は感染対策として「ワックスで覆われたコート、ズボンに押し込まれたシャツ、そしてヤギの皮の帽子と手袋からなる衣服」を発案しました。

 

同時に「眼鏡をかけ、鼻と口部分はハーブが多く詰まって、2つ穴がある長さ約20cmのくちばしのような形をしたのマスクで覆うこと」も発案しました。それぞれの鼻の隣の両側に穴があり、呼吸するには十分でした。

当時、ヨーロッパ中のペスト患者を治療する医師達ががこの服を着ていたにもかかわらず、その外観はイタリアでは非常に象徴的だったので、「ペスト専用ドクター」はイタリアの「コメディア・デラルテ(芸術喜劇)」と「カーニバル」のお祝いのシンボルになり、人気のある衣装となりました。

空気の腐敗物や湿地から発生する瘴気(道の排泄物、停滞して澱んだ水、生産廃棄物など)と、噴火、星の結合、腐った体からの空気の吸入、湿地の水などが組み合わさったため、古代人は病気が人体に広まったと考えました。 ※瘴気:熱病を起こさせるという山川の毒気

ペスト用のドクターマスクの長いくちばしには、ドライフラワー、ラベンダー、タイム、ミルラ、アンバー、ミントの葉、樟脳、クローブ、ニンニク、酢に浸したスポンジが挿入されていました。医師が瘴気を吸う伝染リスクを抑えるために着用していました。

害虫植物を観察する際に医師が着用したマスクから案を得て

17世紀の終わりに疫病専門医師が着用していたオリジナルマスク

 

17世紀の文章を読むと、このマスクを着用していれば医師は不死身であることを確信していたようです。

 

彼ら=医師たち

彼らのマスクにはガラスレンズが付いています。

彼らのくちばしには解毒剤が詰め込まれています

不健康な空気は彼らに害を及ぼすことはできません。

彼らは不安を感じる必要はありません。

 

今日街中で売られているマスク

1630年10月に、ヴェネチア共和国総督は、ペストが終焉したら政府と共に聖母に捧げる教会を建設することを決定しました。サンマルコ寺院の総主教と聖職者は総督と共にその儀式を行いました。翌年8月に疫病は消滅し、感謝の意を称して教会の建設が始まりました。

 

 

ヴェネチア共和国の守護者の聖母マリアに捧げることが決定し、ヴェネツィアのバロック建築家の著名な代表者の一人である建築家バルダサーレ・ロンゲーナBaldassare Longhenaが選ばれました。1631年から始まり、長い年月に渡りましたが1687年に終了しました。

 

 

当時、ヴェネチア共和国政府は毎年11月21日の聖母マリアの祝日を祝って教会を訪問する巡礼を決定し、マドンナ・デッラ・サルーテ祭として公式行事となりました。政治と宗教の中心であったサン・マルコ地区からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂があるドルソドゥーロ地区までペスト撃退を記念し、聖母マリアに感謝の意を込めて行進が行われました。

 

今日も、マドンナ・デッラ・サルーテ祭には大運河(カナル・グランデ)に毎年一次的な舟橋を設置されます。サン・マルコ側からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂に渡って、健康を祈りに行く伝統的なヴェネチア主要行事の一つとして継続されています。ただし、今年は感染対策のために舟橋は設置されませんでした。感染対策の一環で、橋上での列の混雑を避けたものと想定されています。マドンナ・デッラ・サルーテ祭の舟橋を渡ってサルーテ聖堂に行くのが象徴でもあるため、設置されなかったのは少々寂しい気持ちでした。

 

 

例年、写真のように

サン・マルコ地区からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂に

渡るために舟橋を大運河状に設置

 

今年のヴェネツィアのマドンナ・デッラ・サルー​​テ祭は、特別な意味を持つ伝統行事となりました。今年は期間11月19日から22日の4日間となります。ヴェネチア人の中で、熱心なキリスト教信者でない人も、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂内の『黒い聖母』に祈りを唱えました。サルーテ聖堂が建設されてから、約4世紀後に現れた新しい疫病「新型コロナ」の終焉を祈って多くのヴェネチア人が祈りを捧げました。

 

『マドンナ・デッラ・サルー​​テ聖堂  Basilica di Santa Maria della Salute 』の「Salute」は一般的に「健康」または「乾杯」と言う意味があります。この聖堂の場合の「Salute」は「健康の救済」で、「聖母マリア(Santa Maria)」「聖堂(Basilica)」と言う意味で、直訳すると「救済の聖母マリア聖堂」となります。1600年代はまだ科学的な知見がなかったため、宗教的観念で、神への祈りで病気を抑えたり、民衆の精神的混乱を沈めることは大切なことでした。

 

 

今年は、例年以上に多くの人々が集まって感染を引き起こすリスクを注意して、マドンナ・デッラ・サルー​​テ祭は行われました。

 

この宗教祭にちなんだ伝統的な料理『La Castradina ラ・カストラディーナ 』を食べるのは伝統です。通常11月21日マドンナ・デッラ・サルー​​テ祭に家庭で食べられるスープ料理です。材料は塩漬けして燻製されたマトンのモモ肉、チリメンキャベツ、玉ネギとローズマリーなどのスパイスを入れて長時間煮込みます。いたってシンプルそうではありますが、結構手間のかかる料理なんです。

 

当時は、アルバニアとダルマチアでマトン肉を塩漬けして、燻製され、太陽の下で乾燥させ、貿易で通過するヴェネチアの商用船に売られました。この料理はヴェネチア共和国時代から、商人も、貴族も隔てなく同様に食べられてきたヴェネチアならではの伝統料理でした。今日、伝統に則って塩漬けして燻製されたマトンのモモ肉を見つけるのは難しくなってきていますが、『 ラ・カストラディーナ 』を食べる伝統は継続しています。

 

羊のモモ肉(塩漬け)

 

 

チリメンキャベツ

 

材料は同じでも家庭によってラ・カストラディーナの仕上がりは異なります。過去に5人が作ってきた各家庭のラ・カストラディーナを食べ比べたこともありました。同じ材料を使用していても、実に様々な仕上がりのラ・カストラディーナでありした。

 

 

11月21日は、早朝から夜(6時から21時)まで入場できるようにオープン時間が延長しました。ソーシャルディスタンスを維持するために、入場は人数制限が行われました。宗教上の行進は行われずにミサを行いました。

※贖宥:免償。カトリック教会で、信徒が果たすべき罪の償いを、キリストと諸聖人の功徳によって教会が免除すること。

 

                マドンナ・デッラ・サルーテ聖堂前   By La Nuova Venezia

                                      ミサの最中                          By Venezia Today