こんにちは、mikiです。


最近ネット上では立て続けに様々な出来事が起こっています。そしてそれはもはやネット上だけのものではなく、じわじわと現実社会にも影響を与え始めているようです。


日本のテレビ局であるフジテレビに対する批判から始まった一連の騒動。そしてそれに伴うスポンサー不買運動。


私が少し前からお話していた、日本のメディアの偏向報道と反日的思想がまさに今露見され、さまざまな形で批判されています。 もともとこれらの問題はインターネット上では頻繁に議論されてきましたが、これほどまでに大きなうねりとなって活発に話されることは初めてではないでしょうか。つくづくインターネット社会の影響力の大きさを感じずにはいられません。


私は個人的なことを言うと韓流そのものにたいしては特にネガティブな感情もありませんし、今回の論点は韓国や韓流そのものではなくあくまでも自分の国である日本のテレビ局のあり方であると思います。ですので、この一連の事件を報道したメディアが論点を”人種差別”にすり替えて報道したことは却ってメディアの偏向報道を印象付けることになってしまいました。


今回の一連の報道から考えて、情報収集の際に日本のテレビや新聞のみをあてにするのは非常に危険な気がします。情報が偏っているか、もしくは隠されている可能性があるからです。


このようなことを心配しなければならないのは国民として非常に残念なことですが、実際にその可能性がある以上国民としては考えなければなりません。そして、英語を勉強し世界とのコミュニケーションを考える皆さんなら当然海外メディアに目を通しておくことは必須ではないでしょうか。


もちろん海外メディアだからと言っていつもいつも中立な立場に立っているわけではありません。例えば、今回の自民党の3議員が韓国への入国を拒否されたことに対する海外メディアの反応は様々でした。ただ単に事実を伝えるだけもものもあれば、明らかにプロパガンダと思われるような印象操作を行い韓国側にたつ海外メディアもあります。情報と言うのは人を動かす大きな力を持っていますから、これは武器になりうるのです。


感情的になることなく、一体どのメディアがどのような目でこの事件をとらえているのか。そして、私たち日本人として、特に英語を使うものとして何が出来るのか。じっくり考えてみる良い機会なのではないでしょうか。


私からもいくつか海外メディアを紹介しておきます。


BBC(割と中立。情報量が非常に多く、クオリティも高い。英)

http://news.bbc.co.uk/


The Financial Times(こちらも情報が豊富。経済紙ですがそれ以外も。

http://www.ft.com/


The Economist

http://www.economist.co.uk/


タイム誌(定番中の定番!おさえといて損は無い)

http://www.time.com/time/


ニューズウィーク(上に同じく!)

http://www.newsweek.com/


ガーディアン(英。イギリスの大学生が良く読む新聞。左派だが論評に定評。)

http://www.guardian.co.uk/


APF

http://www.afpbb.com/


CNN(米)

http://edition.cnn.com/


などなど。自分の読みやすいもので、興味のある記事をチェックしていくと良いと思います。



英語を学び、それを使うと言うことはこのように情報収集をするいえで大変有効ですし、そして単に読んでおわりというだけではなく今度はそれらを使ってじぶんから発信することもできます。これは、先ほども言ったように武器となりうる強いものです。


例えばブログやツイッターで今回の日本での騒動を発信し海外の友人やその他の人々に少しでも多くの日本人の生の声を届けること。そして明らかなプロパガンダや反日と思われる記事や、虚飾、ねつ造が混じった記事に英語で直接クレームを付けるなど、英語を使うことによって自分の意見をアピールする対象が大きく広がるのです。これは素晴らしいことだと思います。


普段、英語を勉強しているもののどう使ったらいいのかわからない、使う機会がないと言う方はぜひこの機会に世界に向けて日本人としての自分の主張を発信してみて下さい。


それでは今日はこの辺で!



みなさんこんにちは! mikiです。


今日は久しぶりに英語とは?ということを考えていきたいと思います。


みなさんが英語を勉強しよう、話せるようになりたいと思う時、一体何を目標にされるでしょうか。

当然そこにはコミュニケーションというものが大きな比重を占めると思います。


コミュニケーションというのは、自分と相手との相互理解とそこから生まれる人間関係だと思います。 それがプライベートであってもビジネスであっても、コミュニケーションは社会生活のなかでは欠かせないもの。そのコミュニケーションの範囲を大きく広げる可能性を与えてくれるものが英語を学び使うことだと思います。


そしてこのブログでは何度も書いている通り、英語と言うものはそのコミュニケーションの為の道具にすぎません。勿論大変便利な道具で、これの使い方さえ知っていればコミュニケーションの可能性が無限大に広がると言う、RPGの世界なら少々危険を冒して遠いところに出かけていってまでも獲得しておいて損は無い道具です。


しかしこの道具、RPGの世界やトンカチなどとは違って、目に見えないし触ることもできません。 それは”能力”と言う形でそれぞれの頭の中に組み込まれるため、はたして自分はその道具を手に入れたのか?そして上手く使いこなせているのか?と言う所が非常に分かりにくいのです。


英語を話している人を見るたびに、あなたはこう思うかもしれません。「いいなぁ、私も早くあんな風に話せるようになりたいなぁ…」 「頑張ってるのにいつになったら話せるようになるんだろう」・・・


では、いつ、どの段階で「英語」という道具を手に入れたことになるのでしょうか?


私は、それは英語を勉強し始めたその時から、だと思います。 つまり、今一生懸命英語を話せるようになりたいと思って勉強している方は、すでにもうそれを手に入れているのです。


「でも勉強してても全然話せないし」というあなた! 本当にそうでしょうか?


私はロンドンの大学を卒業しましたが、私の通っていたカレッジは少し特殊で半数以上が留学生でした。 イギリス人学生よりも各国からの外国人の学生の方が多かったのです。 世界中のいろんな国、地域からの生徒がいました。アフリカ、アジア、中東、ヨーロッパ各国。 これらの学生がすべて「英語で」学び、「英語で」議論をし、「英語で」論文を書いていました。 まさしく英語はここでのグローバルランゲッジだったのです。そしてその使われ方は、シンプルに学問を学ぶ為の道具です。 


いろんな英語を話す人がいました。 それでも十分機能していました。 それはなぜかと言うと、学問の場に置いてもはやだれも「完璧に英語を話す」ことになど重点を置いていなかったからです。学ぶことにおいて、英語が完璧かどうかなど二の次です。勿論論文においては完璧な英語が求められましたが、それ以外のディスカッションや日常に置いてはたとえ片言と思われるような英語であっても本人らは何の不便も感じていませんでした。


道具として機能すると言うことはすなわちコミュニケーションが十分にとれるということです。 それでOKなのです。それ以外の目的があるでしょうか?


英語そのものを綺麗に話すことが目的という人はいないと思います。 相手に伝え、相手の言うことを聞く。分からなければ質問する。 このシンプルな使い方を出来るようになるにはそれほど時間はかかりません。 だから、私は英語を勉強し始めたその時から、そでに道具は手に入れていると言ったのです。


後は本人次第。これを上手くかっこよく使いこなせるようになるまで使わないぞ、と大事にとっておいた道具は錆ついて使いものになりません。 下手でも片言でもとにかく使ってみることによって、きっとコミュニケーションは成立するはずです。 それを目的とせずして何を目的に英語を学ぶことがあるのでしょうか?


たまに、ネイティブは英語を学ぶ必要がないから羨ましいと思うこともあるかもしれません。 それは良くわかります。でも、ネイティブ同士でたとえ英語を話していても多くの場合その道具はグローバルランゲッジではありません。大阪弁で話し合うおばちゃんみたいなものです。 

大学で多国籍の学生と英語を使って白熱した議論を展開する。その時の英語はグローバルランゲッジ。同じ英語でも、使われ方が全然違う。 

ネイティブがネイティブ同士の殻から抜け出すことができないとき、それはグローバルランゲッジとしての機能を失うのです。


みなさんは、もうその道具を手に入れているのです。ネイティブと同じく。


どう使うかは、あなた次第なのです。


それでは今日はこの辺で!

こんにちは、mikiです。


昨日に引き続き、きょうもcritical thinkingについて考えてみたいと思います。


そもそも学問をするうえで、それがどのようなレベルの学問であろうと(小学生であろうと大学生であろうと)クリティカルなものの考え方と言うのは自分自身で物事を考え、答えを導き出す上で必須だと思います。

なぜかと言うと、自分なりの結論を出すにはまず様々な角度からの物事の考察が必要になってきます。ここで集めるべきは客観的事実とそれに基づく見識者や専門家の意見、そしてそれらをサポートする更なる客観的事実です。


これらをまとめて情報と呼びますが、今現在日本のマスメディアで取り扱われている事柄はとてもじゃないけど情報とは呼べないようなお粗末なものばかりだと言わざるを得ません。


情報と言うのはいつも客観的であり、一切の歪曲やある一方に偏ったものの考え方を排除して残った純粋な事実とそれらに基づく見解でなくてはなりません。 しかしマスコミの流す”情報”というのは明らかに何か、誰かの意図をくんで一方的に捻じ曲げた、もしくはもう一方の見解や事実を巧みに隠した偏ったものであることが多いからです。


こういうことを大学の論文でやってしまうとまず間違いなくアウトです。 偏った見解のみしかのべられていない、もう一方のアンチテーゼに触れていないということは大きな減点対象となってしまうからです。


これは何もアカデミックな分野に限らず、日々社会生活を営む上で非常に重要なことだと思います。


私たちが社会人として数々の選択肢を与えられる中で自分なりの答えを見つけたり、有権者として選挙で投票する時、そして視聴者としてテレビ番組を見るとき。 すべての判断にはこのクリティカルシンキングが必要になってくると思うのです。


しかし我々日本人はそのクリティカルなものの見方をするのが非常に苦手です。 そもそもの体質なのかもしれませんが、これはやはり教育によるところが大きいのでしょう。 私が小さいころの教育でも議論を戦わせるような授業を定期的にやった覚えはありませんし、もしやっていてもお決まりのパターンの中で繰り広げられるなれ合いのような授業で、自分でいちから情報を探すことなどしませんでした。 目上の言うことをきく、先輩の言うことを聞く。口答えしない、反論しない。 先生の言うことは絶対。逆らうな。授業中に余計な発言をするな。


もちろんこれらの価値観すべてが悪いとはいいません。 日本独自の価値観として素晴らしいものもあると思いますしそこから生まれる日本の文化もありますので頭ごなしに否定はできないのかもしれません。


しかし、今の日本の現状を見るにつけやはり最低限の”テクニックとしての”クリティカルシンキングを身につけることはもはや日本人全員に課せられた重要課題のような気がしてなりません。


このままでは日本人は自分で物事を考えない、結論を出せない、誰かのいいなりになっている方が楽、ゆえに、気がつけば日本がなくなっていた・・・・ そんなことにもなりかねないような危機感を感じます。


クリティカルなものの見方と言うのは、昨日も言ったように決して相手を疑ってかかる失礼な態度ではありません。 むしろ、相手の言うことや主張することを良く噛み砕き理解し自分の考えの土台とするために必要なプロセスなのです。


これからは個人の時代と言われています。 大企業に勤め、どこかの組織に属していれば目立つこともなく楽に人生を送れる。そんな、組織が安定を保障してくれる時代は終わったのです。これからは自分で物事を考え、自分で結論を出し、自分で動いていかなければ世間に、世界にどんどん取り残されていきます。


個人と個人は、インターネットでつながっています。世界中のありとあらゆる情報が、個人レベルでその気になりさえすれば簡単に手に入れられる時代です。ネット上には様々な情報があふれています。 さまざまな意見が飛び交っています。その中で、何を信じ何を指針にしていくのか。 個人がすべてを決めるのです。


この傾向が顕著になるにつれ、既存メディアと呼ばれるテレビやマスコミは個人の考える余地をなくそうと躍起になっています。それは、もはや洗脳です。 そんなものに騙されるような脆弱な思考力では、すぐに流されてしまいます。 思考をやめてはいけません。 考える力をなくしてはいけません。 与えられるものをそのまま飲み込むのではなく、必死で噛み砕きましょう。 自分の力で飲み込みましょう。 飲み込みたくないと判断すれば、自分の考えで吐き出しましょう。 それが、これからの国際社会で生き抜く術です。 それが出来なければ、英語などできても何の役に立つと言うのでしょうか。


どうか、このことを忘れないでください。 


それでは、今日はこの辺で。