みなさま、新年あけましておめでとうございます。

今年も、のろのろ更新ですがよろしくおねがいいたします。


今年もマイペースに自分の発信したいことを沢山書いていけたらなと思っております。


さてさて、昨年2011年は日本にとって大変ショックの大きい年でした。

3月の未曾有の大震災とそれに伴う原発事故、対応しきれない政府へのいら立ちが募り、国民は怒り

その思いは様々な形で”抗議者”となってデモや反原発運動といった形で拡がりを見せました。


その一方で、大阪ではその歴史上もっとも重要であったと思われる地方選挙がおこなわれ、府民、市民は

既成政党にはっきりとノーを突きつける、まさにドラマティックな結果となりました。


皆さんはこの一年の流れをどのように捉えられたでしょうか。


私は、英語を使い、学ぶものとして、自分の国で次々と起きるこれらの一連の出来事と大きな流れのようなものをどのように捉えていくべきかということは大変重要なことだと思いました。


このブログでは何度も書いているとおり、英語を使うと言うことは国際社会の一員として欧米諸国や他文化の人々と交流をしていくということ、そしてそのためにまず大事なのは自分のアイデンティティを持ち、自国を理解し愛することだと思います。


何を大層な、私はただ英語をマスターしたいんだ、そんなもん関係あるか!とお思いの方はそれで結構です。

どうぞ英語の使い方だけを頑張って勉強してください。


ですが、英語を使って何を成し遂げたいのか? 何を伝えたいのか? その強い思いが無ければ、英語なんてなんの役にも立ちません。せいぜい海外旅行で困らない程度でしょうか。


私は、日本人として今の日本は大きな転換期に来ていると思います。そしてその大きな流れを常に自分の感覚で見極めていくことは大事なことだと思います。


日本人は戦後からこれまで、敗戦と言う大きなトラウマを抱えながらアメリカの傘の下、ただただ平和に、穏やかに暮らしていくことだけを望んでいました。もう二度と繰り返さない、という大きな大きなスローガンのもと、必死でこの国を立て直してきました。そしてそれは大成功をおさめ、経済成長は著しく世界有数の経済大国となった日本は空前の豊さを謳歌してきました。


ところが、その過程で忘れ去られたものもありました。戦前の日本人が持っていたもの、そして敗戦によって失われたもの。それは、日本人としての誇りです。


正確に言うと勿論失われたわけではありません。日本はそれで誇りを失うような国ではありません。しかし、少なくとも公の場で堂々と愛国心を叫ぶようなことはしにくい環境と言うものが出来上がってしまったのです。


例えばアメリカでは堂々と愛国心を叫ぶことはむしろ当然です。しかし日本ではそれが許されない。

愛国というものに、軍国主義や帝国主義、天皇陛下万歳など、戦時中の”悪しき日本”の姿が付いて回る

からです。


しかし、今日本で起きている一連のこと、例えば大震災と復興にかける思い。そして大人しい日本人からは考えられないような”抗議者”としての一連の行動は、久々に日本人に、本来持っているべき愛国の気持ちを目覚めさそうとしているのかも知れません。


しかし、ここで私は再び考えてほしいのです。


あまりにも長い間奥の方に”愛国心”をしまいこんでしまっていたがために、その使い方を忘れてしまってはいませんか?


愛国心自体はポジティブな意味合いしか持ちません。そこに、他の国や文化を貶めるような意味合いは一切含まれていないのです。


以前も書いた通り、自分の国を学び、理解しようとする、そして誇りに思う気持ちはまた、他国の文化を敬い他文化の存在と誇りを肯定することに繋がるはずです。


それが、今の日本の愛国心はどうでしょうか。

ネトウヨと呼ばれる人々すべてが悪いわけではないでしょう。実際、ネトウヨというのは決して特定の特殊な人々ではなく、ごく一般的な人々がネットで意見を交わしている結果なのでしょう。


しかし、その一部の書き込みには人種差別的な発言や、他文化を貶し、貶めるような発言が多く見られることも事実です。


私は、偏狭的なナショナリズムと愛国心の違いを以前も書きました。盲目的に自国の文化が一番であるとすることと、自分の国を誇りに思うことは違います。他国を貶めて自国を、自分を誇りに思えるでしょうか。


また、”相手がそうだから仕方ない”というのもいいわけにはなりません。目には目を、ではだめなのです。

そしてじぶんが変わらなければ相手も決して変わりません日本という国が、他国をいたずらに貶めるような国だと私たちの世代で認識されてしまってはいけないのです。


今、私たちはこれまでずっと奥の方にしまっていた大事なものを少しずつ持ちだし、感触を確かめているような

そんな段階に来ている気がします。そしてその大事なものを使い方も考えずに振り回さず、もう一度手にとって

よく確かめてほしいのです。


自虐史論によって底辺まで引きずり降ろされた日本人の誇りをもう一度取り戻すために、今自分は何をするべきか。


私は、日本人がもう一度日本のことをまずよく学ぶこと。それが第一だと思います。学ぶと言っても何も日本史を一からやり直せと言っているわけではありません。 戦後から今までの歴史、特にいま領土問題がある竹島や尖閣諸島、そして最近よくニュースになっている慰安婦問題がどのように生まれ、どのような経緯をたどったのか。調べればいくらでも出てきます。そのようなことにもっともっと関心を持つこと。


そして、特に新成人になられた方々もいらっしゃるので、大事なのは選挙に行くこと。この間の大阪の選挙を見ても選挙に行くことの大事さは明らかです。今の日本を変えたいと思ったらまず選挙に行きましょう。選挙に行かずしていまの日本の政府に文句をつけることはやめましょう。


そして、英語。英語を学ぶことはもはやその次に来るほどの重要性があると思います。私たち日本人はこれまで、自分たちの言葉で世界に向けて発信しなさすぎだったのかもしれません。 自分たちの言葉で、自らの力で、どんどん世界に向けて思うことを発信していきましょう。そのための道具が英語です


これらのことを一人一人がしていくだけで日本は飛躍的に良くなっていくはずです。


あの大震災を経て今なおこの国に生きる私たちは、生かされているのです。なぜかと言うと、私たち

一人ひとりにはそれぞれ使命があるからです。その使命を果たすことが、あの震災で犠牲になられた

方々にたいして今私たちが出来ることなのではないかと思います。


もうすぐ大震災から丸一年。その時を前に、もう一度自分たちが生まれ、はぐくまれたこの国について

考えてみるべきではないでしょうか。


それでは今日はこの辺で!

皆様、本当にお久しぶりです!(*^ー^)ノ

しばらく忙しい日々が続いておりなかなかブログを書く暇もなく・・・

書かない日が続いてしまうと今度は次に何を書こうかさんざん悩んでさらに書けないという

謎な状態に陥ってました。


よく考えればこんな個人ブログ何を書こうがいいだろう、ということで!


久々のブログは、イギリス英語の傾向と対策?について書いてみたいと思います!


日本では、比較的イギリス英語に好意的なイメージを持たれているかたも多いかと思います。

クイーンズイングリッシュだとか、アメリカ英語よりも綺麗な発音だとか、はたまたイギリス英語を話す

帰国子女の希少価値なのか、比較的よろこばれるケースが多いです。


私もよく、アメリカ帰りの友達に「これ発音してー」とか言われてからかわれたりもするのですが(;´▽`A``


しかしながら、イギリス英語というのは非常に厄介でもあります。


まず第一に、いわゆるBBC英語と呼ばれる標準語を話す人がロンドンでさえ少ないということ。

これは、イギリスの英語が必ずしも地方という要素だけではなく、その人の生まれ育ちや階級によって

かなりの差が出てくるという独特の理由もあります。


そして、何よりも日本人にとってはやはり聞きなれない発音が多く、アメリカ英語を中心に勉強してきた

私たちの耳には大変なじみがないということもあります。


しかし、最近はTOEFLでも各国のアクセントの英語をリスニングに取り入れるなど、需要が増えつつあります

しなんといってもロンドンは英語の本場でもあります。


そしてイギリスのミュージックシーンやファッションシーンは若者には刺激的で魅力的だということも

もちろん忘れてはいけません。


ということで、イギリス英語のちょっとした知識はあって損はしないのではないかと思います。


さて、前置きはこれぐらいにしてイギリス英語の特徴といえばまず何と言ってもあの発音だと思います。

はっきり言って、最初渡英した時はほとんど何を言っているのかわかりませんでした


あのポキポキとした話し方、鼻が詰まったような独特の声。 何のとっかかりもないように聞こえました。


まずよく知られるアメリカ英語との違いといえば、Rの発音がとてもあっさりとしていていわゆる”巻き舌”

のようなものが殆どないことです。 

例えば、park, car, garden, hardなどの単語の発音は、アメリカ英語と違い[a:] の発音になり、rは発音されません。

同じように、work, turn, person, bird などの単語もrの発音はほとんど聞こえません。

four, more, bored, doorにいたっては、[オー] という風にしか聞こえないのです。


また、sure, pure, tourなどに関しても、[オー]としか聞こえず、 特にsureは返事などによく使用される単語

ですが私は最初???と思うことが多かったです。ショー、ショーという風に聞こえるからです。


さらに、よく知られる違いといえばcan'tがカーントと発音されることです。 aunt, class, half, fast, bathなどもおなじパターンの発音です。


そして、イギリス英語において特徴的といえるのはやはりtの発音でしょうか。


例えば、butterやbetterなど、tが二つ重なるとき、このttは大変強く発音されます。 アメリカ英語のように、

[べらー] という風に聞こえがちな、いわゆる”流す”ような発音の仕方はイギリスではほとんど見られません。

betterなどは、ttが強調されすぎてうしろのerももはやなくなり、[ベタ] または、[ベツァ]と、ぽきっと途切れたような短い発音になります。


Not at all. と答える場合も、tは一つですがその直後に母音が続き、tが強調されます。


このようなtの強いtの発音がある一方で、イギリス英語によくみられがちなのがtの発音の脱落です


例えば、Martinという固有名詞の発音が[マーイン]のように発音されたり、communityという発音が

[コミューニィ]と聞こえたりします。これはかなり厄介です。まるで別単語のように聞こえてしまうからです。

しかし、イギリス英語ではこのtの欠落は大変よく聞かれる特徴なので、注意が必要です。startedの発音も、

[スターエッ]のようになります。これはなれなければなかなか聞き取れないかもしれませんが、知っておくだけでも有効だと思います。


イギリスの英語は、庶民的であればあるほど聞き取りにくいという特徴があります。

テレビを見ていても、ニュースキャスターでさえ個人差があり、何がスタンダードなのかという定義さえ

存在しないかのようです。 


労働者階級の方々の英語はもちろん中流階級の方々の英語と大きく違いますが、それぞれの階級の人が

それぞれ自分の英語にある程度の誇りとアイデンティティを持っているため、このようにテレビでさえ

さまざまな英語が聞こえてくるのかもしれませんね。


そういう意味では、地方差とはまた違う、バラエティに富んだ英語があふれており非常に面白いともいえます。


その分英語を学ぶ側としては厄介ですが、イギリス英語に興味を持つとその社会的背景や歴史的背景

など、英語そのものに興味を持つようになります。これは非常に興味深い世界です。


前にもお話ししたように、英語を学ぶということはその文化まで学ぶということです。

決してただの言葉の翻訳のみを理解すれば終了ということではありません。


ぜひ興味を持って、イギリス英語にもチャレンジしてみてください。


それではこの辺で!ヾ(@^▽^@)ノ

また近々アップできるように頑張りますのでよろしくお願いします。



みなさんこんにちは、お久しぶりです!

長い間ご無沙汰してしまいました・・・ 


季節はすっかり残暑になりましたね。昔から日本の夏は好きです。浴衣に夏祭り、花火にお盆、お墓参りに蚊取り線香。 日本の夏って物凄くノスタルジック。おばあちゃんの家のにおいだとか、子供の時遊んだ風景が脳裏によみがえるかんじがあります。あの名曲「少年時代」がそういうノスタルジックな日本の夏を素晴らしく表現しているなぁと思います。


さてさて、今日はちょっとした映画の話。


昔からちょくちょくハリウッド映画には日本人が登場します。 しかしたいていの場合、それはちょーっとおかしいんじゃ・・・?と思うような描かれ方をされていますよね。 古くはティファニーで朝食を、そのあともブラックレインやロスト・イン・トランスレーションなど。日本人として、そんな奴いないだろとかそれはないよ、って失笑してしまうことも多いと思います。


映画の中の登場人物というのは大抵記号化された何かであることが多いです。例えば、キャリアウーマンで仕事に生きるけど恋愛はいつも上手くいかない独身女性、という「記号」。 太っているけど愛嬌のある、一番の親友という「記号」。 マッチョでFBI捜査官、学生時代から女の子の憧れの的という「記号」・・・ 記号化される何かというのはそういう大勢の居るかもしれない人々の最大公約数のようなものなのです。


そして、「日本人」というのも一つの記号です。 そして記号と言うのは分かりやすくなければなりません。日本人であるということがアメリカ人(聴衆)に最もよくわかる形で登場しなければならないのです。 そうでなければわざわざ日本人を登場させる必要もないわけです。


その記号を示唆するものが、例えばメガネであったりビジネスマン(サラリーマン)でワーカホリックというイメージであったり、背が小さい、もしくは体が小さい。そして女性ならば髪の毛はストレートのロング、目は一重で切れ長で・・・ 要するに彼らはいつも本来の日本人の姿を映すためではなく、アメリカ人というその映画を見るであろう聴衆にとって最もわかりやすい形で登場するのです。


アメリカ人のイメージのなかに、西洋人よりもスタイルのいい日本人やかっこいい日本人、ルックスのいい日本人や目が大きくて鼻筋が通った日本人と言う「記号」は存在しません。 そんなものは日本人と言う記号を登場させる上で何ら意味のないものです。それらは聴衆にただしく日本人であると言うメッセージを伝えてくれないからです。


よくネットなどで言われることのひとつに、「西洋人は日本人とは美的感覚が違う。だから、日本で人気のある俳優が向こうでも受けるとは限らない」というものがあります。確かに多少美的感覚は違うとは思います。 しかし、それよりも大きな要因は映画のなかの記号としてぴったりかそうでないか、ということなのです。


アメリカ人は、西洋人よりもルックスがいい、ヒーローのような日本人は必要としていないのです。そのような役はわざわざ「日本人」として登場する意味がないのでしょう。 


現に、私がイギリスに居る時日本の雑誌を見せてみるとイギリス人の若い女の子たちはみんな日本で人気のある俳優さんたちを見て「wow! sooo good looking!」 などと言って喜んでいました。「INCREDABLY HANDSOME!」などと言われていました。 美的感覚がそこまで著しくちがうというのもまた日本人の勝手な解釈だなぁと思います。


美的感覚以前に、日本人としての役割と言うものがいまだ歴然と存在するのでしょう。 彼らが求めているものはお決まりの日本人像ということなのです。


そしてその日本人像は、舞台がハリウッドからアジアに変わるとまた変化します。 ハリウッドではメガネをかけてワーカホリックでまじめで、奇妙だけどどこか愛嬌のある存在として映っていたのがアジアに行くと突如として日本人は残虐で恐ろしく右翼的、戦闘的思想の持ち主であり危ない存在として描かれたりします。これもまた、一つの記号。日本人としての記号です。


このように、海外の映像に登場する日本人は日本人として求められる日本人像を日本人俳優が(時には日本人以外のアジア人の俳優が)わざわざ演じている(それもきっと奇異に思いながら)ことが非常に多かったのです。

しかし、この状況もすこしずつ変わりつつあるのではないでしょうか。 例えば渡辺謙さんという俳優は必ずしも一昔前のいわゆる日本人としての記号をそれほど色濃く踏襲してはいません。 最新映画のシャンハイでは冷酷な軍人を演じていらっしゃるあたり、まだまだ完全にはぬぐい切れてはいないのかもしれませんがそれでも少しずつ、映画の世界でも日本人の実像と言うものに以前よりもだいぶ深く迫りつつあるのではないでしょうか。


これからの時代は、日本人というものが記号のひとつとして扱われるのではなく、例えば「太っちょで愛嬌のある優しい親友」や「昔から女の子にもてもてだった捜査官」が、たまたま日本人だった、というように日本人がそれぞれのコミュニティで自然に溶けあい共存している、 記号として生きるのではなくあくまでもコミュニティの一員として生きている、そんな姿が描かれる時が来るのかもしれません。 映像と言うものは実社会を反映し記号化し映し出すものです。 私たち一人ひとりの日本人が海外で生き生きと活躍し、コミュニケーションをとり、活動していればそのような時代がすぐ先に見えてくるかもしれません。


それでは今日はこの辺で!