名古屋の建築家ブログ

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住宅建築や店舗建築を扱う建築家の日常

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三寒四温の季節はとかく体調を崩しやすいので

体調管理に気をつかなくては  

 

僕自身アレルギーがあるので季節の変わり目は

何かと日常の生活に神経を使います。

スタッフの一人もスギ花粉と闘ってます。

 

住宅を設計する際にいつも気に留めることのひとつに

人に優しい素材をできるだけ使うことです。

 

今年も寒かった冬も終わろうとしてます。

家の裏の公園の桜の🌸蕾も、今か今かと硬い蕾に

春の陽光を注ぎながら花開くのを待ってます。

やがて春の訪れが桜の開花とともにやってきます。

 

先日、京都の宇治に行ってきました。

宇治川に沿ってお店がいくつかある中に

小さな骨董屋さんがあります。

その店に、素敵な茶碗があって値段を見たら

50万円と値札がついていました

その茶碗でお茶を喫している自分を想像して見ました。

宇治にはお茶屋さんが沢山ありますが

そのうちの一軒に中村藤吉本店で抹茶を買いました。

最近お茶の世界に少しハマってます。

一期一会を堪能しながら宇治歩きをしてきました。

熊本の大震災胸が痛みます。熊本の皆さん頑張ってください。

一日も早い復興祈っています。


一年前から熊本城を見たいと思い続けて、震災の10日前に熊本に行ってきたばかりでした


名古屋の出身の築城の名手である加藤清正が建てた城は天守は当時のものではないですが

見事に復元されて素晴らしかったです。


天守閣以外に感動したのはそのすぐ近くに建っていた地下1階地上5階の宇土櫓でした。この宇土櫓はその当時のままの建物です。


地震で天守の石垣や、そのほかの石垣が崩壊する中でこの400年前に造られた宇土櫓とそれを支える石垣はほとんど無傷だったそうです。


私は、一番先に古い建物である宇土櫓が大きな被害を受けただろうと心配していたのですが

ほとんど無傷だったとあとで聞いた時は驚きました。


築城の名手であった清正の自信に満ちた顔が浮かびます


熊本に行ったその日に熊本の馬刺しで一人で一杯やろうと思って入ったこじんまりとしたお店で

そのお店の常連の中川さんという方から話かけられ、意気投合してまたの再会を約束しました

2日後に彼の会社で販売している海苔の加工商品を送っていただき、熊本の人の温かさを感じていた

矢先での大震災でした。すぐにメールでお見舞いの言葉を送りましたが、彼の家族や彼の会社のひとたちは無事だったそうです。


磯田道史さんの天災から日本史を読む直すの中で天正の大地震のことが書かれていました

天正の大地震がおきたのは小牧、長久手の戦いの翌年1586に起きたとされています。

この地震がおきなければ2か月後に徳川家康は豊臣秀吉の総攻撃を受けるはずだった、しかし

地震でそれどころではなくなり、攻撃は取りやめになり、その後和睦を結び、秀吉亡き後に関が腹の戦い、大阪夏の陣、冬の陣で勝利して、徳川幕府を開くわけですが、もし天正の大地震が1586年に起きてなかったら、家康は秀吉に攻撃されてその後の家康の力はなかっただろうと思います。

当然徳川の時代はなかったはずですし、江戸が栄えることもなかったとみていくと、いまの東京中心の時代はあり得るはずはないわけです、地震一つでその後の歴史が大きく違っていく、歴史を様々な角度から見ていくと面白い妄想ができそうです。



昨日日帰りで京都に行ってきました。昼頃着いたので、先ず伏見区にある醍醐寺に行きました

醍醐寺は以前から行ってみたかったのですがやっと実現しました。

醍醐寺は平成6年に世界遺産にも登録されていて桜の咲くころは大勢の観光客が訪れています。

特に見たかったのは、三宝院の中の表書院の濡れ縁から見る豊臣秀吉が「醍醐の花見」に自ら基本設計くをしたとされる三宝院庭園でした。写真撮影は禁止となっていたので撮れなかったのですが見事な庭です。多分、長谷川等伯が描いたであろうとされている松の絵が表書院の床の間に収めてありました

以前、等伯の絵は智積院で見学してきたので、タッチからすると等伯の描いたものに間違いないと思います。

朱色に塗られた伽藍を抜けて森閑とした道を抜けると国宝の金堂が見えてきます。それよりもその反対側に凛としてそびえ建っている国宝の五重塔に僕の目は吸い寄せられていました。

中はみることができませんでしたが、中の壁画は日本密教絵画の源流をなすものと言われています。

まだ奥に進んでいくと、祖師堂、不動堂、大講堂や女人堂、池のほとりにひっそりと建っている弁天堂は秋の紅葉のシーズンにはライトアップでまるで池の中に浮かび上がっているように見えるそうです。

紅葉の頃にまた行ってみたいものです。

もっと奥は醍醐寺開創の地である上醍醐があるのですが、まだ一時間くらい上り坂を上がっていかなければならないとのことだったので、今回はやめときました。

作られた庭と自然とがみごとにコラボレーションしていて感性を擽られぱなしでした。


次に醍醐寺は京都の東の端でしたが、こんどは西の端の右京区にある妙心寺に地下鉄東西線に乗っていきました。妙心寺の目的は法堂の天井に描かれた狩野永徳の弟子である狩野探幽の天井画雲龍図を見る事でした、永徳も天井雲龍図は描いてはいたのですが建物が消失したため現存していません

見る位置によってくだり龍に見えたり、のぼり龍にも見える一眼の龍の目に睨まれて恐ろしささえ感じるようでした。

法堂に納められている、吉田兼好の徒然草の中に出てくる「およそ鐘のこえは黄銅調なるべし・・・・浄金剛院のこえまた黄鐘調なり」とある鐘をみてきました、国宝だそうです。

退蔵院のいくつかの庭も素晴らしかったです。

今回は二つの寺を見てきました、最近戦国時代の頃のものに興味を持つようになりました、きっかけは

阿部龍太郎の長谷川等伯の一生を描いた小説等伯を読んだことから始まりました。

きっかけはどうであれ当分この時代にハマっていくようです。

最近三連休が増えたように思うが、三連休の取れない男のひがみに聞こえてしまうのかな

今日までの三連休は良い天気が続き久しぶりの行楽日和で、出かけられた人達にとっては良かったですね


衆議院が解散して、この師走に選挙が行われます。丁度二年前の今頃も当時の民主党政権の野田首相が解散総選挙をして民主党が惨敗し、自公の政権に変わり、この二年間阿部内閣のもとデフレからの脱却と銘打ちアベノミクスなる経済政策を推し進めてきました。この師走の選挙は阿部さんが自らの政策を今後続行していくための国民に信を問うための選挙でもあると思います。

選挙をする以上、当選する議員はこれからの日本の経済またこれから待ったなしの高齢化社会に向けての様々な課題に自らの命を賭けて国のため、国民のために汗水を流して頑張ってほしいものです。


時々仕事で東京に行くのですが、行くたびに感じるのは、東京は既にオリンピックに向けて、再開発も含めて建築ラッシュになり始めています。民間工事に関しては、地方との格差がで出ています。名古屋あたりは駅前の再開発に伴う工事は別にしても、来年は民間の工事は減ると思います。特にマンション販売が好調ではなくなってきているのを見ても既に住宅の着工数が減ってきています。