香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る

               白居易

 

大河「光る君へ」。

今回、枕草子の有名な「香炉峰の雪」の場面が描かれました。

やはりTVドラマという動画を見ると、自分の中でそのシーンが劇的に明確になるものですね。

 

一条天皇妃、中宮(皇后)定子に、仕える清少納言。TVドラマでも、初対面にして清少納言は、定子の高貴さに、目が♡になります。時は993年。定子17才、清少納言27才。

このことは、枕草子に書かれていることですが、高慢な清少納言がこの後定子に文字通り信従するのは、香炉峰の雪のエピソードにみるように、定子の教養と人柄によって心からの結びつきを得たところが大きいでしょう。

 

枕草子によると、

ある時、雪がとても高く降り積もったのに、格子を閉めて炭櫃を囲んで集まっていると、

(定子が)「清少納言よ、香炉峰の雪はいかがか」とおっしゃる。

清少納言が御簾を高く上げて外が見えるようにすると、(定子は)満足げに笑わました。

 

定子の問いは、白居易の詠んだ漢詩「香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る」を踏まえたもので、清少納言はこれを即察して対応したものです。

二人の間に高度な素養を共有する互いに敬意と信頼のある空間を感じさせます。

 

この項、枕草子の原文を掲げます。

 

【原文】

雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集りさぶらうに、

「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ」

と、おほせらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。

人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり」と言ふ。

 

この時、ドラマでは、定子の父、藤原道隆が権勢を誇り道隆一族絶頂の時として描かれていますが、この後、995年道隆が死ぬと定子の運命は暗転します。

「落ちぶれて袖に涙のかかる時ひとの心の奥ぞ知られる」といいますが、権力は道長に移り、一族の零落 とともに、定子を囲む人々も潮の引くように去っていきます。

 

そして、

最後まで定子に献身して、定子も最も頼りにしたのが、清少納言なのです。

生意気とされている、清少納言のこの態度はまことに天晴れです。

 

そのことを、示すのが、蝶を詠み込んだ定子の和歌です。

 

みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば君ぞ知りける 
                 中宮定子

歌意

人々がみな花よ蝶よといそいそ浮かれるこの日も、私の心の中をあなただけは分かってくれていたのですね。

 

この歌を単独で知った時、「君」とはてっきり、仲の良い夫である一条天皇と思ったが、この「君」は清少納言であった。衝撃的。

 

蝶に焦点をあててみると、この時代に、「花や蝶や」と浮かれている。誉めそやしている。という具合に、表現されている。つまり、現代における「蝶や花や」の使い方に通じる。

古代、和歌に蝶が出てこないことから、蝶タブー説がいわれるが、この歌から、広く世間的には蝶はポジテイブイメージが浸透していて現代の感覚に近い捉え方がされていると思われます。

 

 

このころには、藤原道長の娘である彰子が前例のない入内して、一帝2后となり。道長の権勢のゆえに定子の立場は弱化しているのだが、定子付きの清少納言とは立場を越えた信頼と思慕が生まれている。

皇后の立場でありながら、不遇をかこつ悲劇の定子が清少納言を頼りにした心情をあらわしています。

 

 

枕草子のその場面を略述すれば、

 

端午の節句の献上品の中に、風雅な薬玉と一緒に、「青ざし」という、青麦の粉で作った菓子がありました。(清少納言は)お盆代わりの美しい硯の蓋に青い紙を敷いて、その上に「青ざし」をのせ、「これ籬(ませ)越しに候ふ」(注)と申し上げて定子にお渡ししました


定子は節句の行事に勤しむ妹や子供たち、女房たちを引き合いに出し、

「みなが浮かれている中で、私に気を使ってくれるあなたこそ信頼できる」と、

青い薄紙の端を破って、歌をお書きになりました。何と素晴らしいことでしょう。

 

(注)ませ越しに渡された。ということは、古今和歌六帖にある下記の歌を踏まえてのこととて、定子はことさらに嬉しく思ったことでしょう。

 

ませ越しに麦はむ駒のはつはつに及ばぬ恋も我はするかな
(垣根越しに麦を食べる馬がほんのわずかしか食べられないように、手の届かない恋を私はしていることよ)

 

 

【原文】

 三条の宮におはします頃、五日の菖蒲の輿などもて参り、薬玉参らせなどす。

 若き人々、御匣殿など、薬玉して姫宮・若宮に着け奉らせ給ふ。いとをかしき薬玉ども、ほかより参らせたるに、青刺(あをざし)といふ物を持て来たるを、青き薄様を艶なる硯の蓋に敷きて、「これ、笆(ませ)越しに候ふ」とて参らせたれば、

   みな人の花や蝶やと急ぐ日もわが心をば君ぞ知りける

この紙の端を引き破(や)らせ給ひて書かせ給へる、いとめでたし。