君や蝶我や荘子が夢ごころ   松尾芭蕉

 

荘子の「胡蝶の夢」を踏まえた句。

 

以前に、同じく「胡蝶の夢」をふまえた蕪村の句は紹介しました。(下記リブログ)

うつつなきつまみごゝろの胡蝶かな   蕪村

 

「胡蝶の夢」とは、荘子の有名な説話ですが、「私(荘子)は、夢の中で胡蝶になりきっていたが、目が覚めてみると自分が夢の中で胡蝶となったのか、自分は本来胡蝶であって今荘子であるのか、私にはわからない。」

 

この話は、実は非常に深遠な老荘思想の本質をあらわしたものといえ、芭蕉は格別に傾倒したようです。

というのも、芭蕉は「栩々斎」という俳号ももっていて、これは胡蝶の夢の原文にある「栩々然(くくぜん)として胡蝶為り」からとったものです。

 

胡蝶の夢については、下記を参照ください。

また、今回、次のような解説をみつけました。

胡蝶の夢の意味するところをわかりやすく述べてあります。ので、貼っておきます。

 

荘子は、夢について次のようにも語っています。

「夢の中で歓楽を尽くした者が、一夜明けると、辛い現実に声を上げて泣き、夢の中で悲しんだ者が、一夜明けると、けろりとして猟を楽しむ。夢を見ているときは、それが夢だとは気づかない。夢の中で夢占いをすることさえあるが、目覚めてはじめて夢だったと気づくのだ。人生にしても長い夢のようなもの、真の悟りに到達した者だけが、それが夢であることに気づくのだ。だが、愚かにも人々は、目覚めた人間を以て自任し、小知をこれみよがしにふりかざし、何が貴いの何が賤しいのと論じたてる。まったく救いようのない連中だ。孔丘(孔子)にせよ、お前にせよ、みな夢をみているんだ。いや夢だといってる私も例外なしに夢をみているのだ。こういえば、さぞかし奇怪千万な意見と取られるだろう。わからないのが当たり前、この説を受け入れられる大聖人は、数十万年に一人出るか出ないかというところだからな」

岸陽子訳「中国の思想・荘子」徳間文庫より抜粋

 

さて、掲題の句ー君や蝶 我や荘子が夢心ーは、どう解釈するのか。

勉強不足のため、確たる答えは得られておりません。

 

直訳すれば、

君は蝶です。そして私は荘子が見たと同じ夢心にあります。

 

検索すると次のような解釈があります。

○荘子さん、あなたが夢で蝶になったように、今、私は夢であなたになっているのですよ。

○君が蝶なら、私は蝶の夢かも。

 

難問です。どなたかお知恵をお貸しください。

 

 

以前に、同じく「胡蝶の夢」をふまえた蕪村の句は紹介しました。