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魑魅の名は聞かじ短き花の径

(ちみのなはきかじみじかきはなのみち)

         あき坊 

 

昨日投稿されたあき坊さんの作品です。

あまりにも、良くできているので早速掲載させていただきました。

 

直訳

短い桜花の径に、魑魅が出てきたが、名前は聞くまい。

 

魑魅=水の神、山川の神と言われる

 

桜花というのは、特に、花曇りの、あるいは朧夜の淡墨桜など、もうその名の通り、ぼわっと何か、妖怪が浮き出るような感じがします。ですから、「魑魅」と「短き」と「桜」がすごいピッタリ感があります。

 

なにか、蕪村の俳句を思い出させます。

蕪村の妖怪好きは有名です。

例えばこんな句があります。

 

化けそうな傘かす寺の時雨哉      蕪村

傘(からかさ)も化けて目のある月夜哉

公達に狐化けたる時雨哉

草枯れて狐の飛脚通りけり

 

      ♧

 

ここからは、自分の妄想です。

 

京都の桜といえば、丸山公園の枝垂れ桜。若い時に見たきりですが、その時、建礼門院徳子との関連を印象付けられていて、自分の脳内では桜と御所の女房、公達たちの亡霊が結びついております。

この魑魅。命短い桜花に、壇ノ浦の水底の都に住むと信じて沈んでいった女房や公達たちの亡霊が宿ったのかもしれません。建礼門院ゆかりの、あるいは寂光院の汀の桜の精に身をやつしてきたものかもしれません。


円山の枝垂れ桜や篝火も徳子尼のいます闇は照らさず  

               与謝野晶子

 

うつし世の淋しさここにきはまりぬ寂光院の苔むせる庭   

                 々

 

 

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