「魏略」とは、魏末から普(西晋)初(3世紀中後期)に著わされた史書。

 

そこには、倭人の出自として、自らを中国古王朝周の太伯(たいはく)を祖とするとしている。そして、九州にいた一族が火山噴火により、北上をはじめ、邪馬台国を建てていた同族に救いを求めたが拒否され、飛鳥に辿り着いて大和を建国した。とある。

 

仲麻呂は懸命の努力をして、皇帝以下の信頼を得る。そして秘書監の地位まで上りつめ、極秘資料の集積された書庫に入ることに成功する。ついには、帰国の許しを得て魏略のうち日本のことが記されている第36巻を持ち帰る。しかし偽書の疑いが出た上に、船が遭難して帰国自体失敗に終わる。

 

唐に戻った仲麻呂は、さらに玄宗皇帝の信認を深め側近として近侍するが、755年安禄山の乱(安史の乱)勃発。皇帝は都長安を放棄して逃亡。楊貴妃賜死。仲麻呂も後妻である楊貴妃の姉とともに帝に従ったために絶体絶命の危機を迎える。

 

(つづく)