川ひとすじ 菜たね十里の 宵月夜 母が生まれし 国美くしむ
与謝野晶子
訳
一本の川と、見渡す限りの菜の花に、月の照る宵、母が生まれた国をいとおしい、美しいと思う。
前記事にて、末尾に挙げた一首ですが、なんとも郷愁を誘う美しい歌で、とても魅かれています。
良いリズム感の上句。一と十を詠み込んでいます。下句の「母」。晶子の生まれた故郷河内から、母も生まれた河内というより日本に繋がっているところが、万人の郷愁を誘うに違いないと思うのです。「母」の一語が時間的空間的な広がりをぐっと大きくしています。
美しい日本の原風景。国美しくむ。で接尾語「む」でむすんだところも、何ともぐっときます。
む=形容詞の語幹などに付いて、…のような状態になる(させる)、…のように振る舞う、の意の動詞を作る。
(例)かなしむ。
美しむ=(古語に)慈しむ。愛しむ(古語では熟した一語となっている)
いとおしむ。かわいがる。大切にする。愛する。
この歌の場合、「美しく思う」と訳してもよいのではないか。?
(例)紫式部日記
「我が心をやりてささげうつくしみ給(たま)ふも、ことわりにめでたし」
[訳] ご自分はいい気分になって抱き上げかわいがりなさるのも、もっともですばらしい。
ところで、この歌を反芻していて、ふっと思ったこと。
それは、唱歌「朧月夜」にそっくりということ。
唱歌「朧月夜」
- 菜の花畠に、入日薄れ、
見わたす山の端、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、にほひ淡し。 - 里わの火影も、森の色も、
田中の小路をたどる人も、
蛙のなくねも、かねの音も、
さながら霞める 朧月夜。
この唱歌の初出は、1914年(大正3年)。晶子の歌は1904年(明治37年)には発表されているらしい。
この風景、この光景は、日本人の心のふるさとのような風景であり、「朧月夜」の作者が晶子の歌に影響されていたとしても、作らるべくして作られ、私たちの郷愁を誘うものであり続けてきました。
さらに、この情景は、言葉を切り詰めると、蕪村の句になります。
「菜の花や月は東に日は西に」(与謝蕪村)