3/11(月)、13年。
もう13年ですか。
あの日、いつものように半蔵門のオフィスで仕事をしていたのですが、これまでに経験したことのない大きな揺れ。
デスクの下に隠れたかったものの、デスク横の大きな棚が今にも倒れそうな様子を見てあわててその棚を押さえる。
今考えれば、棚など気にせずデスク下に隠れるべきだったか?
ワタシを含め社員全員、揺れが落ち着いたところで階段を降りビルを出て近くの公園に避難。
続く余震で目の前の複数のビルがグラグラと揺れている。
その揺れる様子から、目の前のビルが倒れたらこの公園も危ないんじゃないか?と多くの人が思ったのか、公園の奥へ奥へと移動しようとする人、人、人。
(前にも書いたかと思いますが・・・)
その中にはTV局に来ていたと思われるタレントさん達もズラズラ。
当時、毎日のように地上波でその顔を見た某タレントさんが「どいて、どいて!」と人をかき分け、人にぶつかりながら奥に進もうとする姿は忘れられない。
(その後、この某タレントの顔がTVに映るとチャンネルを変えてしまうワタシ(苦笑))
業務委託的に仕事をお願いしていた方がちょうど取材のために現地にいらっしゃって数日間連絡取れず。
(その後、大変な状況から脱せられ無事生還)
地震によるビルの揺れに耐えられず出社ができなくなったメンバー。
アノ人、コノ人の唖然とさせられる言動。
3.11の文字を見るとアレやコレやソレやを思い出す。
一方、その日に半蔵門から自宅のある横浜まで歩いて帰ったのは良い思い出。
5時間半以上かけて歩いたわけですが、不思議と苦痛や不安はなく、歩いたことのない道を歩くのが不謹慎ながら幼い頃の冒険のようで楽しかったのは事実。
とはいえ、停電で消えている交差点の信号機を見るたびに事態の重さ、深刻さを感じたのも事実。
今も5時間半歩けるかな?
いや、すぐに「ピキっ!」とサインが出てしまいそうで無理かもねぇ。(苦笑)
ホント。
M.J.KOZOU