6/22(水)、プログラミング。
こう見えて、昔は自分でプログラミングしていたもの。(笑)
ワタシがこれまでに経験したプログラミング言語は、BASIC、FORTRAN、Assembler、LISP、C。
・・・っていうか、BASIC、FORTRAN、LISPって、今、使っている人いるのかな?(苦笑)
まだ漢字を今のようにタイピング(入力)できない時代。
PCの容量も16KB、32KBといった時代。
プログラミングに夢中になった頃、主に使っていたのがBASIC。
教えてくれる人がいたわけでなく、今のようにネットがあったわけでなく、頼りになったのは専門誌。
この専門誌に掲載されている読者が投稿したプログラムを打ち込みながら、命令を覚え、プログラムの書き方を参考に自己流でプログラミングしていた時代。
高校、大学と自己流で通してきたわけですが、大学を卒業するちょっと前にある方の作ったプログラムソースを見る機会があり、ソースを拝見し愕然。
「コメント」という存在、意味、意義、重要性を知る。
雑誌に掲載されていたプログラムもコメントと呼べるものは少なく、誰かにコメントをしっかりつけないとダメだよ・・・という教育をうけたことがあるわけでもないことから、コメントをつける習慣がなかったんですよねぇ。
本体のメモリも少ないので、コメントはつけず、変数名等も短く、自分がわかればいいでしょ、動けばいいでしょ・・・ってスタンス。
前述した、ある方のプログラムを見て、それじゃダメだ・・・とようやく気がつく。
・・・ってこともあり、中学、高校、大学あたりに作ったプログラムソースは恥ずかしくなるから見たくない、見たくない。(苦笑)
見たら死にたくなる。(笑)
もちろん、それからは丁寧にコメントを付けました。
コメントをつけるようになってから、プログラムも以前よりも見やすく、理解しやすいものに成長していった気がする。
その後、いろんな方のソースを見る機会に恵まれましたが、プログラムの書き方はもちろん、コメントの付け方も個性豊かでしたねぇ。
「自分がいなくなっても、すぐに誰かが引き継げるように綺麗なプログラム、わかりやすいコメントを書いているんだ」・・・とおっしゃる先輩。
「まずはしっかりと動くプログラムを作り、その後、丁寧にコメントを書く」・・・とスピード優先ながら、コメントも重要視されている方。
「自分が一生そのソースコードに付き合っていられるとは限らないから、コメントはしっかりと書いている」・・・とリファレンスマニュアルのように丁寧なコメントをつけられている方。
「コメントがなくても理解しやすいプログラムを書いているから、コメントはほとんど書かない」・・・とおっしゃる方。(苦笑)
「宗教的な話だけど、私はコメント不要派」・・・とワタシには理解できないことをおっしゃる方。(苦笑)
「コメントは殆どないけど、わからないことがあったらすぐに答えるから聞いてくれ」・・・と、これまた「?」なことをおっしゃる方も。(苦笑)
ふと、そんな昔のことを思い出した水曜日の朝でした。
ホント。
M.J.KOZOU