人生って、もどかしいものだなぁ、、、と今さらながら思う。
前記事の最後の部分で「500円玉貯金」の話を書いたが
それはモチロン【いつになるかわからないけど、次なるディナーショーに備えて】だったのよ。
自分には元来不得意なことなんだけど、そのコツコツ感にね、なんとなく惹かれる感じで。
意識的に500円玉を作ることはせず、必死にひたすらでもなく、でもね、6年半が経過した現在
『たとえば、全公演に当選+その際の往復の航空運賃+その間の宿泊費+その他もろもろ必要な費用』
それらすべてを余裕で賄えるくらい貯まっていた。
自分のことながら相当驚いた。心底驚いた。
だが、しかし、
私は今回、中森明菜のためにその500円玉たちを放出することは叶わない。
人にはそれぞれ事情や、背景や、置かれている環境ってやつがある。
優先順位どーのこーのでは片付けられないこともある。
ごめんね、明菜ちゃん
あなたと同じ空間の空気を吸い、見届けることがあなたに対する敬意だと思っているけど
今回は行けないや。すまん。。。
でさ、
6年半分の500円玉たち
パーッと使うことにしたの(笑)
ムダに散財する気なんてないけどさ、パーッと使うことにした。
これで溜飲が下がるか、否か、、、は私にもわかんないけど。
これは、相対か?絶対か?
他との比較によって語られるのが「相対」
そうではないことは【絶対】
さぁ、今回の件はどちらでしょうね。
かなり以前の話になるが
『高い100円もあれば、高くない100万円もある』的なコピーのコマーシャルがあった。
何の(どんな商品の)コマーシャルだったのかは覚えていないんだけど
このコピーは今でも、かなり気に入っている。深~く納得できるから。
そりゃね、100万円は高いですよ。充分に高額ですよ。私、庶民だし。
逆に100円は、まぁ、私の財布の中にさえ、いつでも入っているレベル。
だけど、それだけじゃあ語れないのが物事の価値ってヤツでね。
そんなに簡単な話ではないからおもしろいワケでね。
あらららら?
この流れだと「故に、今回の件は相対である」になっちゃうね。
それはちょっと本意ではないなぁ。
論理が破綻しているので、もう寝よう。
2017年の年末から地道に続けていた〈500円玉貯金〉の額を初めて確認した。
「へーっ、こんなに自堕落な私のような人間でも結構貯まるんだー」
この現実こそが【絶対】なのよね。うんうん、ひとり納得。
さぁ、寝よう。
取り敢えず、自身の無事を確認する。
今年は今日にした。今日に決めた。そして行ってきた。
毎年の恒例行事【人間ドック】
去年はね、7月13日だったの。
決めたのよ。『よっしゃあ~5月1日と7月13日のローテーションにしましょう。』と。
だってさ、明菜ちゃん。
本日の「スローモーション―JAZZ―」をくどいほど聴けるのも、WOWOWプラスにずーっと出てるあなたを凝視できるのも、
すべては【命があるから】なんだもん。結論は。
そしてなにより
「デビュー記念日おめでとう」を言える幸せを味わうためには、当たり前だけど生きてなきゃダメなのよ。
さてと
死ぬの生きるのと大げさな物言いになったけど(笑)
いろんな想いを噛みしめながら、いろんな想いに包まれながら、2024年5月1日の夜は心地好く流れるのでした。