拙著、『日本を捨てた男たちーフィリピンに生きる「困窮邦人」』の文庫版が今月20日に発売されることになりました。
 単行本の発売からはや2年。その間に自分の身に起きたことを含め、「あとがき」に色々と書かせて頂きました。
 解説は作家の橘玲さんに書いて頂きました。フィリピン事情にも精通していらっしゃる橘さんならではの読み応えがある解説です。
 
 ということでなかなかブログの更新ができない。来週からまたバンコク。そして久しぶりのミャンマーに行ってきます。

 
 昨日の夜、バンコクから戻りました。去年の年末からこれで4回目の訪問だったが、回数を重ねるごとに充実感と手応えを感じています。
 それにしても宿泊先のホテルのネット環境が悪くて、久しぶりにキレた。滞在初日と2日目は〆切り原稿の作業に追われていたんだけど、何しろネットがつながらない。前回訪問時はそんなことがなかったのだが。
 フロントに問い合わせると、太ったおばさんが「今修理中だ」と説明しているが、待てども一向によくならない。
 だから近くのショッピングモールに行って、作業をするはめになった。すでにホテルの代金はまとめて支払っているので、今更変更するわけにもいかない。翌日も同じ・・・。ネット難民か。
 その日の取材が終わると主に、タニヤプラザが近いサラデーン駅のカフェに朝までこもった。でタクシーでホテルに帰って寝るという生活が続いた。
 ネットに頼らざるを得ないという状況が何となく嫌なのだが、仕事が成立しない以上、仕方がない。現在、柳田国男さんの「壊れる日本人」(新潮文庫)を読んでいるのだが、ネットと携帯に依存することで、つまり効率化を追求してきた代償として、失われるものも多々あるという指摘に、非常に共感した。
 とはいえ、次回バンコク滞在時のホテルはどこにしようか。
 あほだとは思いつつ、Yahooで自分の名前を検索してみると、僕のブログが一番上に出てくる。知り合いからも時々「ブログ全然更新していませんね」と言われることがあり、久しぶりにメールを頂いた方々からも「今からブログを拝見させて頂きます」などと言われると、「意外とみんなブログを見てくれているんだ」ということに気づき、嬉しくなって更新することにした。

 更新できなかった言い訳を言うつもりもないけど、僕の中ではブログの存在自体が消えてしまっていた。

 本音を言うと、連載に追われていて「ブログなんか書いていられるか」という半分やけくそな状態だった。もしブログをチェックしてくれている人がいたらすみません。でも、読者がいることを知って、やっぱりそれはそれで素直に嬉しい。

 先日、ノンフィクション作家の角幡唯介さん(「空白の五マイル」で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞のトリプル受賞)とマニラでお会いした。取材でフィリピンにいらっしゃったとのことで、少しお手伝いさせて頂いた。最近、「アグルーカの行方」で講談社ノンフィクション賞を受賞され、最も乗っているノンフィクション作家さんではないかと思う。

 僕の方はというと、連載の原稿がたまっていて、数日前から自宅に缶詰状態になっていて、人ともろくに話をしていない。唯一、ご飯を食べにコンドミニアムを出る時に、警備員に声を掛けるぐらい。このまま部屋にこもっているといつかカビが生えてくるんじゃないかというぐらいに、鬱々としている。
 
 誰か話し相手になって下さい!!

 明日(6日)発売の集英社刊「Kotoba」は、連載「若者はアジアをめざす」の第3回目になります。これまでの連載とは少しトーンが変わるけど、僕の思い入れも強いです。
 
 http://shinsho.shueisha.co.jp/kotoba/

 どうぞお見逃しなく。

 最近、一眼レフをかばんに入れて持ち歩くようになった。これまではパソコンを入れていたのだが、これだと写真が撮れない。それだけの理由である。
 
 街を歩くと被写体にあふれていることに気付く。普段何気に見える景色も、レンズを通して見ると、視点が変わる。

 ー写真とは切り取るものだー

 写真をやり始めた時、友達のカメラマンがそう語った。だから、僕もそう言うことにしている。

 昨日、首都圏パサイ市を歩いていると、手を出してお金を求める少女が現れた。肩からぶら下げていた一眼レフのレンズを向けると、少女は最初嫌がった。しばらくすると友達が現れ、ようやく笑顔に戻った。スクリーンに映る自分の顔を見て、2人はあどけない表情を見せた。

水谷竹秀のブログ-友達が来て笑顔に戻った少女

 フィリピンではもうブローニー(中判カメラ)のフィルムを手に入れるのは難しい。フィリピンに住み始めた7年前は、マミヤ645を持ち歩いてシャッター音を楽しんだ。デジカメに移行してから、シャッター音を楽しむということがなくなった。つまり、デジカメは撮っている気がしない。これは銀塩時代から写真をやっている人ならみんなが思うことだろう。

 集英社の担当者さんに勧められ、またブローニーを使おうと思っている。フィリピンではフィルムが手に入らない上、現像所もどこにあるのか分からなくなったから、数年前に実家に持ち帰った。今度実家に帰った時、ブローニーとフィルム100本を買おうか。でも撮影してからの現像はどうするのか。現実的には色々とめんどくさいことが多い。

 こないだ情熱大陸をユーチューブで見ていたら、藤代冥砂さん、梅佳代さんが未だにフィルムで踏ん張っている姿がどことなく羨ましく映った。

 僕もこの流れに乗ってブローニーを復活させよう。

 
 久しぶりにブログを更新した。4カ月ぶりぐらい。集英社学芸編集部のサイトにリンクされていたことに最近気づき、担当者さんから「ブログも書いて」との要望があり、更新することにしました。

 http://gakugei.shueisha.co.jp/links/index.html

 ネット社会へ移行してからというもの、フェイスブックやツイッター、ブログやらで自己主張が可能な世の中になり、おそらく大半の人々はネットに割く時間が多くなっているような気がする。ツイッターとブログに書き込みをするだけでも結構手間暇かかる。

 そういえば最近、ネット時代になってから、日本全国で発行される新聞の発行部数が年々100万部ずつ減少しているという話を聞いた。
 
 この影響を受けているのか否か、分からないが、フィリピンはここ数年、日本のメディアがどんどん撤退している。マルコス独裁政権崩壊へと導いた1986年のピープルパワー革命では、日本のメディアを始め、海外のメディアがここフィリピンへ駆け付けた。ピープルパワー革命をめぐる一連の動きを写真に収めた米国人ジャーナリスト、キムホメニチ氏は翌年、ピュリッツァー賞を受賞した。フィリピンは当時、ジャーナリストにとっての登竜門だったのだ。

 だが、時を同じくして日本のフィリピンクラブで働く女性が増えるに従い、フィリピンのイメージが低下していった。後に「じゃぱゆき」と呼ばれるこの現象の影響で、裏社会とつながりのある関係者がフィリピンに出入りするようになり、保険金殺人事件や逃亡犯などの潜伏場所としてフィリピンが位置付けられるようになった。つまり、フィリピンの報道価値が下がってしまったのだ。

 そしてネット社会、出版業界の不景気などの影響で、数年前からテレビ局が相次ぎ撤退。今残っているのはNHK、日本経済新聞、共同通信、朝日新聞の4社だけになってしまった。恐らくこれはフィリピンだけに限ったことでもないだろう。日本から見て、報道価値がないと判断される国の支局は撤退を余儀なくされる。
 
 時代の趨勢といえばそうなのかもしれないが、現地にいる新聞記者としてはやはり寂しい。