スペイン出発前の最後の仕事 その6. | 水谷孝のブログ「つれづれなるままに」

おはようございます!

 

みなさんご機嫌いかがですか?

 

前回からの続きです、、、

 

ラジオ出演が終わって、いよいよ退職まで残すところ、あと1ヶ月となったので、最後の1ヶ月の指揮は、全て兄に取ってもらい、僕は補佐として、兄の指揮ぶりを見守ることにしました。

 

ところが兄が指揮を取り始めた途端に、兄とスタッフたちとの間に、予想もしていなかった、強い軋轢が起こったのです。

 

原因は兄のやり方にありました。

 

僕が何らかの組織のリーダーになるときは、常に僕の頭の中には「一人ひとりが自由に意見を言えて、一人ひとりの持ち味が発揮され、みんながハッピーな気持ちで仕事が出来るようなチームを作りたい」という気持ちがあります。

 

なので宇都宮のホテルをオープンした時も、そのようなチームを目指しました。

 

幸いなことに、宇都宮のホテルは、オープンの時から、僕が贔屓目に見ても、素晴らしいチームが出来上がっていました。

 

スタッフも全員がハッピーでした。

 

オープンして1ヶ月も経たないうちに、ホテルの評判を聞いたラジオ局のディレクターが、僕にラジオ出演の依頼に来た事実を見ても、僕も含めた全スタッフのハッピーな気持ちがお客さんたちに伝わり、その結果多くのお客さんに、僕たちのホテルが愛され始めていた証だと僕は思いました。

 

ところが兄が目指した体制は、僕とは全く正反対の、100%兄のワンマン体制でした。

 

兄が優先的に考えたことは、スタッフたちがハッピーに仕事をすることよりも、ホテルや会社が繁栄することでした。

 

社長にとっても、兄同様に会社の繁栄が最重要だったので、スタッフの幸せを重視する僕のやり方よりも、兄のやり方の方が良かったようです。

 

それにしてもまさか僕の後を継いだ兄が「誰にも意見を言わせない100%ワンマン体制」を敷くとは夢にも思いませんでした。

 

僕は人に比べて才能が豊かな方ではないので(ですから何事も全力で頑張らないとだめなのです。苦笑)、何事も僕一人だけの頭を使うよりも、スタッフ全員の頭脳も活用した方がいいと、常に考えているのですが、兄は僕と違って、人一倍才能が豊かだったので、おそらく自分一人が全ての作戦を考え、スタッフ全員が黙って兄の命令に従えば全て上手くいく、と考えたようです。(確かにその後、会社は兄のワンマン体制で、急成長をとげました。)

 

しかし入社以来僕に対して自由に意見が言えて、ハッピーに仕事をしていたスタッフたちにとっては、兄の100%のワンマン体制は、衝突を生む以外の何物でもなかったのです。

 

スタッフたちを、自由な雰囲気の中で、教育したのも僕自身でしたし、兄を僕の後任として引っ張ったのも僕自身でしたから、兄とスタッフたちの衝突には、強く責任を感じてしまいました。

 

僕と兄は、それ以前に三回だけ一緒に仕事をしたことがありました。

 

三回ともホテルの仕事でした。

 

一番最初は、兄が大学4年生で、僕が大学1年生の時でした。

 

大学卒業後はホテルマンになると決めていた兄が、大学最後の夏休みに、茨城県の「鹿島○○○○ホテル」という、オープンしたばかりの新しいホテルで実習をすることになり、その時に兄から「俺がこれから研修に行くホテルで、夏休みの間だけ、プール要員として、学生のアルバイトが必要だって言うから、どうせ暇なんだから、孝もアルバイトで来いよ。」と誘われて行ったのが、初めて同じホテルで兄と一緒に仕事をした最初でした。

 

もちろんこの時は、兄は研修生で僕はアルバイトという、立場で言えば、二人とも一番下の下の立場でしたから、まさか自分の兄が、将来トップに立って権力を持った時に、超ワンマンなトップになろうとは夢にも思いませんでした。

 

二度目に一緒に仕事をしたのは、翌年のことでした。

 

翌年兄が大学を卒業して、箱根に8月にオープンすることになっていた「箱根○○○ランドホテル」というリゾートホテルに就職した時でした。

 

ホテルのオープン直前というのは、どこのホテルでも、猫の手も借りたいほど忙しくなるので、オープンするまで、アルバイトを採用することが多いのですが、その時も兄から「孝、うちのホテルは、この8月にオープンで超忙しいから、夏休みにバイトで来いよ。」と誘われたので、親友を誘って行ったのが、兄と一緒に仕事をした二度目でした。

 

この時も、兄は入社したばかりの新人でしたから、上司の命令に従っていただけだったので、まさかこの兄が将来トップに立った時に、超ワンマンになるとは、この時も1%も想像できませんでした。

 

しかも兄は、僕に対してはワンマンなところは全くなく、幼い頃からいつも自由にお互いに何でも言い合った大の仲良し兄弟だったので、僕は兄のことをよく知っていると信じ切っていました。

 

もしその時に、誰かが「将来あなたのお兄さんは、部下たちに対して、意見も言わせないような超ワンマンなトップになる」と、言ったとしても信じなかったと思います。

 

三度目に兄と一緒に仕事をしたのは、僕が23才の時にロンドンで結婚して、妻と息子を連れて、日本に帰った時に、兄に誘われて、当時兄が働いていた「東京○○○ホテル」という、東京の月島にあった会員制のホテルに就職した時でした。

 

この時は、僕が4年半後に退職した時(僕が28才の時でした)には、兄は31才で中間管理職になっていましたが、それでもトップには、まだまだ遠かったので、この時も将来兄が超ワンマンなリーダーになるとは、夢にも思いませんでした。

 

以上が、実際に僕が兄と一緒に仕事をした三度の体験ですが、これでおわかりのように、兄が僕の後を継いで、トップに立った途端に、超ワンマンなトップになることなど、予想も想像もつかなかったのです。

 

しかし現実に兄が僕の後任として、指揮を取り始めた途端に、スタッフ全員が「部長(当時の兄の肩書)のやり方にはついて行けません。」と、僕に直訴してきたのですから、僕の立場としては放っておく訳にはいきませんでした。

 

続きは次回のお楽しみに!

 

それではまた来週の金曜日にお会いしましょう!

 

みなさんお元気で!

 

スペインのイルンより心を込めて、、、

 

水谷孝