中共独裁覇権台頭でも尚、嫌韓を煽り、大局の本質から目を背け続ける似非保守層の欺瞞・怠慢について | 真田大豆の駄文置き場だわんにゃんがうがおおおぉ!!!

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▼2023年3月21日

 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は21日の閣議で、元徴用工問題などの歴史問題に対する自らの立場を表明した。「日本はすでに数十回にわたり、私たちに歴史問題について反省と謝罪を表明している」と述べ、反日を政治利用しないよう呼びかけた。

 16日の日韓首脳会談で日本から謝罪表明がなかったと国内で反発がある点を意識し「韓国社会には排他的民族主義と反日を叫びながら政治的利益を取ろうとする勢力が厳然と存在する」と言及した。

 韓国の尹大統領は、韓国内で“反日”を煽る北工作員とこれを政治利用する左翼政党と闘っている(※今のところは)。これは歴代の韓国大統領の中で最も強い親日姿勢であり、同時に韓国自身に於ける最も筋の通った保守姿勢とも言える。

 又、他でもないアメリカ合衆国のホワイトハウスは、中共による台湾侵攻の危機を前に、日韓関係の改善を注視。更に、これによる日米韓他環太平洋地域の軍事連携の強化を重視せざるを得ない、こういった安全保障上の差し迫った現状がある。

 尚、日本国の自民党と結託してきた旧統一の韓国本部は、日本の信者から巻き上げた献金を永年にわたって北朝鮮に送金し続け、実質的にこの核開発を支援してきた。

 つまり、自民党は国家安全保障と引き換えに、いわゆる“マッチポンプ”で政権維持を最優先してきた売国政党と指摘せざるを得ない。これは調度、尹大統領が韓国内で政敵とみなす“反日”勢力と同様に、一方の日本国内では“嫌韓”を必要以上に煽って保身に利用してきた政治勢力(自民党)が、結果的に民主主義国同士の日韓軍事連携を分断、損ねる事に加担し、日本の国益ばかりか東アジア太平洋地域の安全保障も損ねてきたという、こういった“似非”保守への批判の論点にも繋がる。要は、韓国に於ける“反日”も、日本に於ける“嫌韓”も、両者等しく、北朝鮮や中共の分断工作にまんまと操られて、彼ら全体主義国家の覇権思想に利してきたコマに過ぎなかったという事だ。だが今の東アジアの差し迫った状況に於いては、ひとまずはそんな自民党の過去の売国の咎を追及するよりも、今後の国益最優先の外交への転換を期待する他無い。

 少なくとも、今の自民党、岸田政権の外交姿勢は、尹大統領の毅然とした政治姿勢の後塵を拝さなければならない程に、自主独立の精神に欠ける極めて情けないものだ。

 何がコオロギ食だバカヤロー!

 さんざんっぱら“食の安全保障”を大義名分にTPP等で非関税障壁を撤廃し続けてきた日米貿易外交の行き着いた先が、コオロギ。これを自主独立の精神の欠落と言わずして何とする!?

 但し、これは飽くまで日本政府の自主独立精神の欠落の一例として挙げたまでの話に過ぎず、決して日米関係を分断に貶めるなどといった企みを秘めた主張ではない。

 そもそも冷静に考えれば、日本国民の“食の安全保障”を支える第一次産業に過剰な合理化・自由化の原則を適用して外資流入、農産品の低価格競争の激化、輸出向け高級農産品生産体制と資本集約型の農業従事者だけが生き残れる競争原理、これらを導入できる様にする規制緩和を続けてきた結果、例えば現下ウクライナ侵攻情勢で波及した世界的な穀物原料価格の高騰等、この万が一の事態に対して、日本国は自力で国内の食糧問題を解決できるだけの生産、供給能力、或いはこれを支えていた筈の産業構造の多様性、この平時に於いては一見して非合理ないわゆる“非関税障壁”という国の要を既に失っていたのだ。挙句の果てが原料価格高騰による廃業が相次ぐ国内の酪農家への財政支援をしない代わりに、コオロギ食、この微毒、急性通風発作や神経毒が危ぶまれるばかりか、養殖時の餌はどちみち有事の際には輸入が止まるであろう海外産トウモロコシに依存している昆虫食材への全く無駄な財政投資が敢行される始末だ。こんな日本政府や農水省が国益度外視で日和見な愚策のツケを国内の農業従事者や国民の食生活に払わせるなんて、近代的な自主独立国家にあるまじき体たらくは、日米関係云々は全く関係なく、単純に日本国行政の国益志向の欠落、民主主義の機能不全、自滅、没落の話に過ぎないのだ。

 岸田、ウクライナ行くならロシアにも行け!

 兵器供与してない唯一のG7国として停戦協定妥結を差配しろ!日露平和条約交渉中断してる現状じゃ、鈴木宗男の外交ルート使ってでもこれを打開し米国やEUも説得すべきだ。

 少なくとも、露と中を同時に敵に回す結果だけは避けてくれ!!!

 それが、独自の核保有軍備体制も自衛隊の交戦規定も諜報組織も持たない日本国がせめてもの国益を志向できる、現状で唯一残された選択肢ではないか!?

 

▼2021年5月2日
 日本国内の馬鹿な嫌韓勢、この一部の世論の傾向「だけ」に迎合、逃避し続け、日本国安全保障の大局よりも、政権与党支持率の安定「だけ」を最優先し続けてきた結果がこれ(↓)だ。おまけに、日米安保体制に丸投げで安穏できる時代は、程なくして終る。
中・韓が合同海上パトロール(2021年4月28日)

 ところで、韓国のアクション映画『アジョシ(※原題直訳は『隣りのおじさん』)』、作中の韓国マフィアの「この国は又、軍事政権から出直すべきだ」って台詞に表れる、達観した風刺が良い。私宮尾にとって、韓国のリスペクトできる部分の中の筆頭。
 言わずもがな、日本とは違い、韓国にはKCIAも軍隊も交戦権も備わっている。


 日本のネトウヨと違い、韓国では右左関係なく、男性は皆、徴兵制で基本的に軍隊訓練・配属経験(約2.5年間)を持ち、38度線の臨戦状態で時に戦死者も出しながら、又別の方面では、主に北からの司法界への思想工作とも闘い続けている。又、以下の動画で報じられる、批判ビラ散布の韓国在住の元脱北者は、いわゆる太陽政策路線のムン・ジェイン政権下で、自らの法律違反に対する社会的な制裁を覚悟で、朝鮮民族と東アジアの平和を望み、行動している。
 【韓国の脱北者団体 北朝鮮に批判ビラ散布(2021年4月30日)】 

 唐突だが、私宮尾は韓国で学生してた頃(1997年)、ソウル市内のとある登山道を散策中、北朝鮮の主体思想を喧伝する名刺サイズの赤いビラが無造作に、50枚近くの束が解かれたかのように、又、打ち捨てられたかのように、しかしどこか不気味な作為というか演出的な意図を直感させるといった現場に、2、3度遭遇した事がある。現地の友人によればそれは日常茶飯事なのだそう(※因みに、当時も、多分現在も、ソウル市内の住民の多くは、近場の小さな山々への散策を、日々の健康日課やデートコースとして楽しんでいる)。
 そしてその翌年1998年には、米国本土も射程圏内の弾道ミサイルテポドン1号が発射された。

 又、更に大きく時を遡って、朝鮮戦争の同族間の大虐殺を表現したピカソの【朝鮮虐殺 Massacre in Korea】は、当時の米国の軍事介入を一方的に批判していて思想的な偏重の謗りは免れないが、東アジアの安全保障上の教養の一環には違いない。

 例えば、東はロシア、西はドイツから国富の蹂躙を代わる代わる受け続けてきたポーランドは、「ヨーロッパの朝鮮」と、東アジア側からはしばしば理解される。そこで言わんとするのは、ポーランド然り、朝鮮半島然り、陸続きの人工的な国境の儚さから、民族の尊厳が蹂躙され続けてきた歴史を自負する、調度『進撃の巨人』で言うところの「壁の外側」でひしめき合う、又別の「壁の内側」に於ける、様々な事情、都合、利害と、これらによって規定されざるを得ない思想、正義、大義とこの群立の大局を、米国の核の傘に戦後75年以上守られ、只ひたすら金勘定にだけ集中が許されてきた日本人は、一体どれだけリアルに想像できるのだろう?という事である。更に差し当たり述べたい私見として、私宮尾には、まずもって韓国の極一部の反日勢も、又、日本の嫌韓勢も、更には、これらの間の下らない争いを傍から批判しているつもりでいながらも、では肝心の韓国や東アジアとの軍事的な均衡や連携による平和の維持や貢献の現実感覚に、発想が決して連結できていない日本の大方の世論までもが、皆等しく「頭お花畑」に映る。正に宮崎駿が常々批判するところの、大消費社会に耄碌させられた経済オタク、或いは「学ぶ事を知らないオタク民族」かのように。

 ところで私宮尾は、韓国の「国史」教科書で、あくまで韓国側から見た東アジアの近現代史を、学生当時は無批判に学んだ経験を持つ。だからこそ、国境、『進撃の巨人』で言うところの「壁」で隔たれた内側と外側とで、記述される歴史の客観性などというものの無力さ、儚さ、ご都合主義加減が、痛いほど分かる。仮に百歩譲って、いずれかの歴史記述に確固不動の真実味や学術的な正当性や普遍性(笑)が認められたとしても、こんなものは、核の脅威を軸に維持されている国際社会の軍事的パワーバランス、この厳然たる世界平和の基礎の前では、この都合次第で幾らでも摩り替えられ、覆される、所詮道具の一つに過ぎない。歴史とは基本的に、軍事的な力学を根拠に、官軍への脚色と、賊軍への排斥で、その都度綴られてきたという大前提でしか、この信憑性なる疑わしい虚構への、僅かばかりの検証にすら耐えられない。そんな事は、教養を多少なりとも積んだ知性にとっては、取り立てて言及するまでも無い常識中の常識である。
 そもそも朝鮮半島の地政学的条件下では、大陸の中国や蒙古やロシアからの軍事的脅威と対峙せざるを得ず、例えば朝貢外交、閔妃の日和見外交、日韓併合、そして独裁軍事政権下の反共教育から一転した、太陽政策下の反日教育への行政的な方針転換すらも、これら全ては皆、朝鮮半島固有の安全保障上の判断をバックグラウンドとして共有しているという意味において、全て一貫してる。つまり、韓国の反日教育の本質とは、福島みずほや朝日新聞記者による、1990年代の頭辺りの歴史の捏造の発端を糾弾した所で決して解決できる訳もない、そもそもから、韓国の地政学的条件下では、防衛戦略の手段としてなら、たとえ反日史観の捏造すらも渇望せざるを得ない土壌が元から備わっていたという風に、より根深い問題として捉え直すのが、より現実的だ。所詮、それぞれの国益次第で幾らでも書き換えられてしまえる歴史、歴史観なるものを、それぞれの国益を超越した次元で統一しようなんて非論理的で非合理的で非現実的な発想自体が、土台から幻想に過ぎないと、日韓両者とも、いい加減気付けよって話だ。

 むしろ私宮尾には、韓国の反日教育を殊更に「解決すべき問題」として意固地に捉え続ける、この「壁の外側」への想像力に乏しいお花畑に篭り続ける日本側の世論の安直さが、この民主主義陣営の仲違いで得をする、つまりこれを狙っている社会主義陣営の中国、北朝鮮の分断工作にまんまと乗せられ利用されている、間抜けな駒にしか見えない
 というのも、韓国の実際とは、そもそも反日史観のみで日本の全てを捉える等といった、巷に溢れる虚像とは程遠く、むしろ若者世代の日本文化への憧れは、国際結婚、日本への移住を決断させるレベルで、現在も尚、強烈であり続けていて、にもかかわらず、日韓関係が慰安婦や戦後賠償問題のみで極端に悪化した現状こそは、正により大局の視野で、中国共産党や北朝鮮の独裁的且つ軍事的な脅威に対する安全保障上で不可欠な、日・米・韓の軍事連携と、この基礎となる民主的な経済・文化交流の良好関係の維持とを、何が何でも死守すべきだった筈の日韓外交当事者同士と、これを監視すべきだった筈の世論同士に於ける失態以外の何物でもない。
 それでも更に百歩譲って、かつての米ソ冷戦構造下での日米安保体制、このバブル崩壊以前のインフレ景気に支えられ、大陸の社会主義陣営に対し、軍事的優位を誇れていた米軍庇護の下の日本の安全保障体制でなら、例えば韓国に対する「助けるな、教えるな、関わるな」の下品な戯言も、功利的で下世話な道理の範疇に限っては、許される余地が有ったのかも知れない。しかし実際の現状は既に、中国覇権の台頭と、「世界の警察」縮小に転じた米国によって多極化が進む一方の国際社会秩序であり、ここでは独自の軍隊も交戦権も諜報機関すらも持たないままの日本が、「非韓三原則」と下品に強がって、韓国軍との連携まで放棄するなどといった蛮勇は、決して許される筈もない、正に自滅行為そのものだ。
 果たして、コロナ禍ですら財政出動を渋り続ける日本国政の底無しの無知蒙昧に期待し続ける無謀さと、片や、反日史観という、もはや解決不可能で根深い問題に対し過剰に肉薄し続ける不毛さとを、日本国民はもっと賢く自覚し、現実主義的に見定めるべきだと、私宮尾は思う。

 少なくとも韓国との友好を断っては駄目だ。
 ところで話は多少逸れるが、例の靖国散策の件で中国マーケットに対し謝罪せざるを得なかった声優を擁護するならともかく、あろうことか自らのビジネス保守論客としての体たらくは棚に上げ、この日本の自主防衛にも景気対策にも目を背け続けてきた似非保守の長年の怠慢によって結果された、いわゆる戦後レジームに於ける被害者にして、紛う事なき、日本文化の一線級の担い手に他ならない彼女を糾弾し、むしろ文化的自滅も意に介さない極一部の脳たりんの世論を煽り、こうやって味方に仇なし、つまり国富に泥を塗り、ビジネス保守自らの購読者の信頼だけは確保し満足できてしまっている外道、詐欺師の方こそ、よっぽど売国奴なんじゃないでしょうか!

 かやのん頑張れ!

 

▼2021年5月3日

Q:【中国覇権の台頭】って、美味しいの?
A:東アジア太平洋地域に展開可能な合衆国太平洋軍(USPACOM)と中共軍との軍事力比較(※2025年への予測)。

合衆国太平洋軍によるレポートに於ける図解。


※尚、米国科学者連盟(FAS)は、上の図が、合衆国太平洋軍(USPACOM)自らへの過小評価をもってする、中共軍の脅威への過大評価が意図されていると批判している。因みに米国科学者連盟(FAS)とは、核廃絶運動の非営利組織である。さすが民主主義国家、言論の自由が担保されている。しかし、それは「言論の自由が担保されている」様に見せ掛けた、結局のところ、合衆国なりの自作自演、陽動戦略の可能性も又、全否定できない。従って、いずれにしても「情報」なんてものは疑って掛かるのが基本を大前提に、本稿に於ける【中国覇権の台頭】の具体例の一環として参照されたし。図の掲載元 ⇒ 米国科学者連盟(FAS)

https://fas.org/blogs/security/2020/09/pacom-china-military-projection/

 

米軍だけヴァージョン(※2025年への予測)。

米軍だけヴァージョン(※2020年当時)。

▼同日

 軍事費を伸ばしたナチスと、デフレ下の緊縮財政に血道をあげたイギリスやフランスとの間で、軍事的均衡が崩れ、第二次大戦が結果された。その歴史的な教訓から、現在の日本国の国防予算への財政出動によるデフレ脱却は、後のインフレ景気や税収増大(※増税ではなく、税収増大であるところがミソ。むしろ減税による税収増大こそが【デフレ対策=インフレ政策】が想定する本質に近い)に繋がり、よって、財政健全化も包括的に解決するばかりか、中国共産党一党独裁体制と日本国との軍事的な不均衡も解消に向かわせ、開戦の危機すらも回避させるという道筋が想定される。

 

 

▼同日
 例えば、哲学オタクがシコシコしてられる日常すらも、結局のところは近代的主権国家同士の軍事的均衡という、この厳然たる国際社会の平和の基礎に守られる事によって、初めて成立している。従って某は、一神教や汎神論の一長一短を批判的に検証する文学的な精神姿勢ばかりでなく、有事に備える民主的且つ現実主義的な精神姿勢とも同時に向き合い、これらの間に於いて必然と生じる矛盾に対し、苦悩、葛藤をもって対峙すべきなのであり、この視座というか思慮というか覚悟すら持ち合わせずに、一体全体何をもってして哲学オタクを自称し得ると言うのだろう、片腹痛いわ。それが嫌やだと言うなら、近代以前まで異世界転生するなり何なり、勝手にしてろという話だ。じゃなければ、『風の谷のナウシカ(漫画版全7巻)』『進撃の巨人』『リヴァイアサン(トマス・ホッブス)』『意志と表象としての世界(ショーペンハウアー)』等を読み返すくらいはして、まずは自らの議論前提に於ける自己欺瞞を徹底的に炙り出せ。あと、コロナ禍収束したら韓国の南北境界線に観光しとけ(※最も手軽な戦線見学)。又、まだ若いなら自衛隊体験ツアー。それすら拒絶するなら、もはや残された選択肢は、没思想的で子供騙しにもならない月並の小説や漫画やアニメの作家でも目指すか、或いは暴力に訴えて社会を変えるか、でなければ自ら命を断ってこの世を完璧に拒絶してみせるしかない。いずれにせよ、つまるところ思想文献そのものや、思想誕生の時代背景ばかりに視野を奪われ、そもそも哲学者たる自らの生まれ育った時代の現実感覚から乖離した自己完結的な「哲学」なんぞは、どこまでも糞ゴミ未満の自慰行為に過ぎないと、恥を知れ

 

▼2021年5月4日

【「汚濁」から「生きねば」を搾り出し続ける、苦悩と葛藤の超大天才、宮崎駿】
 この際述べておくが、私宮尾は【軍備増強による軍事的均衡が平和の礎となる】という歴史的教訓を、現実主義的な洞察の前提として看做す点が、最も尊敬する宮崎駿のそれと「必ずしも」一致しない事実を、勿論自覚している。だが【軍事的不均衡が人類への蹂躙を悪戯に招く】描写すらももはや当然の如く『風の谷のナウシカ』に包括的に表現されているのも又、厳然たる事実である。
 そもそも恐れ多くも、「人間の尊厳への冒涜」を極限で体験した生き証人であり、且つ知性、思想、技能、洞察力、全方位に渡って超ド級のバケモノに他ならない宮崎駿は、【軍事的均衡】と【軍事的不均衡】とのいずれかを選んで、得られるモノと、そして逆に失うモノとの間で生じざるを得ない必然的且つ普遍的な矛盾や欺瞞、又【軍事的均衡】【不均衡】両者共々のそれぞれ相応に予見される不確定性、又そもそも【平和(※主に大消費社会)に伴う醜悪な欺瞞】にまで洞察が及び、葛藤し続けている。帝国海軍に零戦の部品を納品する家業に生れ落ち、戦記小説や戦線記事や戦闘機の形態的美学やロマンに興奮を抑えられない自分と、片や病弱な母や自らの美徳まで根こそぎ蹂躙した空襲避難の記憶、つまり戦争を憎まずにおれない自分と、これらが矛盾し混在する自意識と、彼は常に葛藤し、苦悩し続けている。それは宮崎駿の作品にも例外無く繁栄されており、フィルムの隅々に渡ってそれに基づく表現が垣間見れる。
 しかし宮崎駿は、その極限の苦悩に、例えば太宰治の様には決して押し潰されず、最後には必ず「清浄と汚濁こそ生命(ナウシカ7巻P200)」と、腐っても人類の自律性の尊厳を、これまた執拗なまでに懐疑しながらも、でも結局は何だかんだで肯定的に、抱擁するかのように訴え抜き、果たして「生きねば」のテーマを貫く。従ってそれは「生まれてきてよかった」にも堂々と繋がり、『となりのトトロ』を誕生させた。
 【児童文学というのは、人間の存在に対する厳格で批判的な文学とはちがって、「生まれてきてよかったんだ」というものなんです。生きててよかったんだ、生きていいんだ、というふうなことを、子どもたちにエールとして送ろうというのが児童文学が生まれた基本的なきっかけだと思います(※宮崎駿botから引用)。】
 【宮崎駿監督 揺るぎない作品ポリシーを振り返る「子どものために作りたい」「この世は生きるに値する」
 つまり私宮尾にとって、宮崎駿はもはや【軍事的均衡か不均衡かの問いに是非も糞もあるか】風な洞察を済ませた、更に遥か先で、そもそも人類を懐疑し尽した上で尚も「生きねば」を押し通し、例えばナウシカら人造人類の尊厳の為なら、たとえ彼女らや、核汚染浄化装置の腐海を作った自然愛護主義の古代人類の尊厳でさえ、ナウシカの意志によって完膚なきまでに虐殺、蹂躙し返させ、片方の人類の尊厳への冒涜に容赦なく報わせる報復律、この人類の不可避的で厭わしき自然権的な宿命たる大矛盾とも向き合い、こうして【軍事的不均衡】を選んだ平和原理主義の欺瞞に伴わざるを得ないおとしまえをしっかりとつけさせた、どこまでも「生きねば」を頂点に、一切の妥協や忖度に容赦せず、光と闇、愛と暴力、優しさと残酷さ、全てを見渡し尽くす、この超人的な覚悟が据わった超大天才だ。
 宮崎駿は、この醜悪に呪われた人類の宿命と世界とから「生きねば」を搾り出し続ける苦悩の大天才だ。従って私宮尾にとって、彼以上に苦悩を伴わせられつつ尚も尊敬に値すると看做し続けざるを得ないといった風な人物は、まず他に存在し得ない。絶え間無き矛盾、欺瞞、苦悩、葛藤、・・・、しかし「生きねば」だけは絶対手離さない、例えば「自滅欲動」のフロイトですらもお手上げ、この超強靭過ぎる精神性が、人類普遍の宝でなくて、果たして他に何と呼び得るのであろうか?

 

▼2021年5月8日
 【「コロナと国家」作家・榎本憲男氏 評論家・中野剛志氏 対談インタビュー

 動画10分過ぎ辺りから、中野先生の口から『シン・ゴジラ』!しかも、良く描けているって肯定的な感想を述べてらっしゃる!!!「はぶられた官僚が頑張る」「ふはは(笑)」みたいなやりとり。
 17分~。「ナショナリズム」とは「国民主権」寄りの概念であり、「経済ナショナリズム」とは国民経済ありきの国家論。国家という概念が一過性のものかのように吹聴していた、かつての『歴史の終わり』的な通説は、今や、ブレグジットや国境の壁(バイデン政権も継承中の公共事業)やコロナ禍ではどこへやら。
 25分~。個人消費は限界がある。例えば同じ10万円支出でも、高級コースなら可能だが、牛丼チェーン店なら一食で200杯前後を平らげなければならず、不可能。従って、国家の市場への介入を否定し、自由放任や見えざる手を肯定し続けた挙句、貧富の格差が拡大し、極一部の富裕層以外皆貧困層になれば、必然的に需要(消費+投資)は縮小する。つまり、国家権力やナショナリズムを極端に否定し続ける事は、国民経済の需要と供給で回り続ける全体のパイを縮小に向かわせ、究極には、国民経済全体を疲弊させる。それはとりもなおさず、資本主義の危機である。
 27分~。何故自由放任の古典派経済学が権威を確保し、格差拡大や資本主義の危機まで正当化され続ける?
 30分~。中野先生持論。17世紀ホッブスの「万人の万人に対する闘争」の時代を経た国家不信の反動から、自由市場に介在するのは神のみえざる手以外認めない古典派経済学に飛び付く幼稚な精神土壌があった。古典派経済学の幼稚さに牛耳られた政治経済学業界は、この査読文化まで篭絡された。
 36分~。古典派経済学派はセオリーとか理念しか言わず、例えば刷った分だけ書籍が全部売れるみたいな現実と乖離した妄言を平気で吐くが、MMTは歴史的な事実や実際の統計データ渉猟分析に基づいてファクトで闘っている。
 54分~。格差拡大を嫌うのに思想の右左も関係ない。何故なら、格差が拡大すると、富裕層と貧困層との間で話が通じ合わない状況が生じ、結果、国民統合が破綻して国民国家が分裂しかねなくなるからだ。

▼2021年5月9日
 【「日本スゴイ!」論を展開する老害評論家に中野剛志がブチ切れ(H23/12/31)】 

 【あげません!】ウマ娘MAD

 竹島(※注釈1)、北方領土、ゆくゆくは尖閣も、結局は全て日本が軍事的均衡を放棄し続けているから盗られた。そもそも自衛隊は、自国の生命と財産を守る交戦権の発動が許されてない(※交戦規定(ROE)が存在しない)。仮に拉致被害者奪還作戦が決行されたとしても、自衛隊は米軍の後方支援に留まり、この戦線に於ける作戦詳細や逐次の情報共有すら許されない。
 交戦権を持たない自衛隊は、幾ら訓練や装備に長けた精鋭だろうが、どこまでも宝の持ち腐れの非実力組織で、これをもって軍事的均衡が達成されてると考えるのは、幻想に過ぎない(※この程度の話は既に『劇場版パトレイバー2』の冒頭で語られている)。
 只、仮に自衛隊が霞ヶ関にクーデター決起するなら話は又別だが。
 つまり、以上は軍事的不均衡による日本人への蹂躙の現実と直視した話。
 そもそも、不完全な理性や理念や思想哲学ばかりか、ややもすれば映画やアニメにすら影響を受け、解釈され、規定される「現実」とは、もはやどこまでも「虚構」の一種に過ぎず、要は、様々なレベルの虚構感覚、現実感覚、このどちらに言い換えても構わない認知能力に於ける向上心や好奇心の弱い群を、オルテガは「衆愚」と批判し、宮崎駿は「オタク」と侮蔑する。
 日本のアニメ業界が宮崎駿以外ほとんど視野狭窄的オタクな事実はもとより、思想界や学界の右も左も、近代民主主義の根幹から国際社会の大局までを見渡し、概観できるシン・近代人がほぼ全滅で、やれ愛国オタク、デフレ放任の緊縮財政オタク、人権オタク、自民党オタク、非暴力無血平和妄信オタク・・・、このようにどこもかしこもオタク、オタク、オタクばかり。しかも彼らは皆自らの視野狭窄な奇形の近代人としての自覚が全く無いのだから、もうオワコンもいいところですわ。没落日本万歳。
※※※【注釈1】※※※

 尚、「韓国に竹島が盗られた」件について、私宮尾は、交戦権を定めない自衛隊を自衛隊のままでいさせる日本国とこの民主主義的な世論の欺瞞に最も大きな原因、責任を見出す。従って、竹島を盗られても尚まともな自衛の為の防衛体制に改められない日本が、自らの近代的自主独立国家としての落ち度は棚に上げながら、竹島の件で韓国を一方的に批判する事も、これを理由に日韓友好を断って、より大局の脅威たる中共独裁体制への軍事的均衡の備えの理に反する自滅の判断を下す事も、共に空恐ろしく幼稚で愚かだと考える。つまり、北緯38度軍事境界線まで国土が後退し半減した朝鮮半島の地政学的条件に於いて、大陸からの軍事的脅威に陸続きで常に晒され続け、これによって人・モノ・金の移動の制約も厳しく、つまり国民経済の規模(人口や自然資源)が小さい彼らが、いざ、自衛の為の武力行使の権限すらも放棄する隣国の離島の防衛不備が野放しになっていたら、これに侵攻し実効支配の既成事実を積み上げ、版図拡大の現状変更に打って出るのは、近代的自主独立国家の志向性として当然としか言い様が無い。従って、「竹島」が「独島」になった責任はどこまでも日本の平和ボケ的な怠慢にあるのであって、少なくとも日本国憲法に「自衛隊」ではなく、自衛の為の「軍隊」及び「武力行使の権限の保有」を明記しない限りに於いて、竹島奪還や韓国批判を展開する議論の一切は全くのお門違いというか論理破綻に他ならず、ましてや中国との軍事的不均衡が拡大する一途の安全保障問題を直視する上では、むしろ無駄どころか弊害でしかない。私宮尾はどこまでもそういった、【軍事的均衡こそが平和を維持する基礎】という歴史的な事実や教訓を前提とした上で、「日韓友好を断ってはならない」という現状認識を主張するものである。このように、竹島の件だけでなく、ゆくゆくは近い将来の尖閣諸島の喪失や、新型コロナ禍に於けるデフレ放任の緊縮財政及び消費増税の惰性的な政治判断による更なる国民経済の縮小等から、いわゆる「取り返しのつかない現実」を汲み取れず、只口先だけの平和だの愛国だの人権だの絆だの子供の未来だの夢だのと、現実直視を伴わない逃避行を続ける日本は、只ひたすら没落の道を突き進むしかないのだ。

 新型コロナ禍でも頑なに財政出動を拒み続ける現行の日本政治ごときが、いざって時に防衛出動を決断し、国民の生命と財産を守れると信じられるとでも?私宮尾には絶対に無理だ!!!ゴジラに向けた防衛出動の決断のタイミングを僅かに逸した罪過に対し、内閣総辞職ビームでもって冷徹に報わせられた大河内清次内閣は、むしろ現実よりもよっぽどあっぱれだったという話だ!!!