元プロ野球選手で、解説者の加藤博一氏が亡くなりました、まだ56歳の若さでした
シーズンオフだから、プロ野球ニュースは見てなかったのですが、昨シーズンも出演していたよね、たしか。
加藤さんの現役時代の成績は、たぶん一般の人が見たら、「この程度だったの?」って思うくらいのものです。
実働16年で規定打席に達したのが2回だけですから。
プロに入ったときの球団が西鉄ライオンズで、一軍ではわずか3試合に出ただけで阪神へ移り、しだいに出場試合数を伸ばしていき、1980年に初の規定打席到達、そのときの打率は.314でリーグ5位、盗塁も34で広島の高橋慶彦とタイトルを争いました。
これでレギュラーをつかんだかと思われたのもつかの間、翌年から打撃不振に陥り、大洋へトレード
大洋では1985年に監督に就任した近藤監督が屋敷、高木豊とともにスーパーカートリオとして売り出したため一気に知名度が上がりました。
この年、2度目の規定打席到達、48盗塁を記録するなど選手生活のピークを迎えました。
このとき、スーパーカートリオの一角に入っていなかったらその後の解説者人生はなかったかもしれませんね。
1980年代はプロ野球が一番熱かった時代かも知れません。
巨人一辺倒が終わって群雄割拠の時代で、今のようにFAもなかったから各チームに「ミスター」と呼ばれるような選手がいました。
スーパーカートリオが結成された1985年のプロ野球はどんなだったか。
セリーグは阪神が21年ぶりの優勝、219本塁打を放った強力打線で日本シリーズまで制しました。
パリーグは西武が2年ぶりの優勝、前回優勝時のメンバーから若返りを図ってました。
今では浜のおじさんと言われる工藤もこのとき22歳、最優秀防御率のタイトルを取っています(この頃すでに主力投手だった人が今もプレーしているのはすごいことだ)。
そして打者では彗星のように現れた秋山幸二がいきなり40本塁打を放っていました、ちなみにこの頃の背番号は24でポジションはサードでしたね。
個人タイトルでは、両リーグに打者の三冠王(バース、落合)がいた珍しい年です。
この二人は翌年も三冠王を獲得していますので、2年間も打撃3部門はこの二人に独占されたわけですね。
ゲームの話になりますが、初代ファミスタが発売されたのもこの頃です。
ファミスタからプロ野球を見るようになった子供もいたことでしょう。
とまあ、昔話をしてしまいましたが、加藤氏はいい解説者だった。
ろくに取材もしない、選手の名前もおぼえてない、試合もろくに見てないから言ってることが頓珍漢、しかもしゃべりも下手くそという解説者がけっこういるなか、ちゃんと現場に通って、しゃべりも明るく楽しい真っ当な解説者でした。