自民党の杉田水脈議員が、かつてブログなどにアイヌ民族への差別的な投稿をした問題について「差別をするつもりは一切なかった。言い分を聴く事情聴取がなかったことは遺憾」と記者会見で語りました。前提として、杉田氏の投稿は札幌・大阪両法務局から人権侵犯と認定されています。それにもかかわらず、事実に反する発言を「言論の自由の範囲内」として動画サイトに投稿し続けていました。
 特定の集団を敵視し憎悪をあおる言動は憎悪犯罪につながる恐れがあり、放置すれば社会全体にとって大きなリスクとなります。差別をあおり、社会の分断を深める人物に、国会議員の資格はありません。深刻なのは、自民党が杉田氏の発言を問題視せず、部会の役職につけるなど重用していることです。いじめでもハラスメントでも、加害者が開き直るというのはありえることなのですが、それをしているのが国会議員だというのが非常に残念です。そしてこの「開き直り」は、自民党が直近10年の間に繰り返してきた行動そのものです。森友学園・加計学園・桜を見る会…。公文書が書き換えられるなど、国家の根幹を揺るがす重大な事件が発生したにもかかわらず、再発防止策の策定に最も必要な「原因究明」が果たされず、いつのまにやら忘れ去られてしまう現象を私たちは目撃してきました。主権者である国民を裏切るような行為は無かったのか、過去の出来事を忘れずに行動して参ります。
 最も注意しなければならないのは、これらの不祥事や不適切な言動に慣れてしまうことです。汚れまみれの雑巾で掃除をしても、きれいな道場にはなりません。都度絞って、きれいな雑巾であり続ける必要があります。だからこそ、杉田氏の発言を看過してはならないのです。
 杉田氏は「人権には定義がない」と主張していますが、憲法第11条では「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」とし、 人権を「侵すことのできない永久の権利」と明示しています。また、13条や14条でも人権の内容について示しています。それ以外にも、具体的な権利やどのように守るかは各法律によって示されており、障がい者差別解消法、男女雇用機会均等法など、それぞれの属性ごとに差別をなくすための法律が作られています。杉田氏の発言は事実と異なります。
 人権は国際社会における「普遍的価値」です。しかし、「人権は西洋の価値観」であり「日本に押し付けるべきではない」という主張が散見されます。確かに人権という考え方は欧州で生まれたものであり、それぞれの地域の事情を考慮する必要もあります。しかし、人が自由に考えたり表現できること、安全に働けること、教育を受けられること、差別を受けないことなど、人権が示す具体的な権利は、どんな地域であっても守られるべきものではないでしょうか。欧米の価値観の押し付けだと否定するのでもなく、かといって無批判に従うのでもなく、いかに人権という考え方が示す具体的な権利や価値を、我が事として捉えられるかが重要なのだと考えます。