駅に立ちご挨拶をさせて頂いて以降、数多くの温かいお言葉を頂戴し、大変感謝しております。今回は、「水沼ひでゆき」について、自己紹介させて頂きます。

 新潟県出身の祖父と静岡県出身の祖母が戦後上京し、出会い結婚し、船橋で暮らし始めました。そこで私の母が誕生しました。

 母親は小学校の教師となり、私は船橋市高根台で誕生しました。

 日中母親が不在の時は、祖父母の家によく遊びに行っていました。祖父はエンジニアとして自営業を営んでいました。

 小学生の頃は野球を通して、みんなで一つの目標に向かって努力する素晴らしさを学びました。

 社会のことをよく知りたいと思い、親に学習塾に通いたいとお願いしました。その学習塾に通う中で政治に出会いました。当時「政治家は汚くて悪い大人だ」と思っていましたが、小学校6年生の時に野田さんと出会い、考えを改めました。

 中学高校ではサッカー部に所属し、1日20㎞の走り込みなどを通じて、気力と体力を鍛錬しました。

 政治の世界では、新自由主義が行き過ぎた結果として、格差の拡大が問題視されていました。運不運で一生を決めさせないために、仕組みとしてどう乗り越えられるかを考え始める契機となりました。

 大学では商学部・経営コースに進みました。松下幸之助氏の書籍に「真の政治は真の国家経営でなければならない」と書いてあったためです。日本におけるトップの方から学びたいと考え、当時人気も難易度も1番であった内田和成ゼミの門を叩きました。

 ボストン・コンサルティング・グループ日本代表として、数多くの経営者を指南してきた内田先生からは、経営に関する知識と現場経験に裏打ちされた競争戦略を学びました。卒業後も研究会に所属し、経済に関する見聞を広め、共著で本も出版しました。

 充実した大学生活でしたが、祖父が認知症となりました。祖母や母が懸命に支えましたが、簡単にはいきませんでした。その姿を見て「介護や子育ての責任を家庭に押し付けるのではなく、地域の一員として社会で支え合うべきではないか」と考えるようになりました。

 だからこそ就職先は損害保険会社を選びました。つながりを欠いたところに分断が生じるのに対し、保険は相互扶助という助け合いの精神で成り立っています。保険契約は運命共同体の船に乗るようなもので、共感も紡がれます。私はこの相互扶助の輪を広げながら、分断や不運を乗り越えるための力を蓄えて参りました。

 将来不安を無くし、再チャレンジ可能な環境を整えることで、どのような境遇で生まれ育ったとしても、夢や希望を持って様々なことに挑戦できる風土が生まれるはずです。私はそのような、希望と誇りあふれる日本をもう一度作り上げたいと考えています。

                                水沼ひでゆき