6月18日のお話の

ラストとなります。


あやしアヤシの

飛鳥座神社(アスカニイマスカミヤシロ)

に訪れたあと、


『酒船石』に行きたい!

といったのは

わたしではなかったっけ?


おそらく

『月刊ムー』などの

アヤシイ雑誌でその存在を知ったのかも知れなくて…


ご多分に漏れず

いいですよ〜

ソノちゃんは車を走らせたてくれる。



バリ島の棚田を思わせるこの風景を

少しだけ走り、


駐車場に着きました。



するとここは

公園として整備されているみたい。


くだんの酒船石』は

竹林を登った

岡の上にあるようだ。



そうして、

こんな

竹林の中ほどに

それは存在した!



『酒船石』



青竹の

なんとまっすぐで

なんと美しいこと!



そんな中に

ここは存在した。



案内板にもあるように

用途に関しては諸説あるようで

決めてはない。


未だかつて

謎の石造物のまま

竹林の中に眠る。



しかも、

どなたがいつの時代に作られた?

といったことも。



こんな記事を見つけました。



こちらから転載させていただきますね。





それにしても、

不思議だなあ。



竹って

宇宙から来たのだっけ?



その足元に咲く紫陽花は、

すぐ近くにある紫陽花と全くことなり、


竹のエネルギーを一心に受けているように感じたのね。



その後

え?

こんなのもあるよ?


すぐ近くの

『亀型石造物』

なるものもよってみた。



『酒船石遺跡は、奈良県明日香村岡にある、いくつかの石造物からなる遺跡。 以前から知られている酒船石に加えて、平成12年の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ぶようになった。』




こちらは酒船石の丘のすぐ下にあり、

グランドの地下に埋もれていたものだという。

最近になっても続々と発掘される石造物…

飛鳥は屋外深い。



6世紀末から7世紀、断続的に都が置かれた飛鳥は数多くの石造物が造られた。今でも地面を数十センチも掘れば必ず石に行き当たると言われる。多くが水を流す石溝だ。「中心を流れる飛鳥川の水を管理する技術が発達していたのでしょう」。村教育委員会の相原嘉之さんは言う。


2000年、酒船石の丘の麓で亀形の石造物が発掘された。導水施設であることは明白だ。水は小判形の石槽に導かれ、上澄みが亀形の石槽へ。ここでも水に関する儀式が行われたはずだ。「石と水の都」だった飛鳥京。その面影を石造物は今に伝えている。




斉明天皇がこの亀石に

お水に太陽を映して

天皇祭祀を行ったという言い伝えあり。



『抱き神事だ!』


わたしは飛騨王朝の池に太陽を映して神事を行った話しを思い出した。



『どこを掘っても遺跡がでる。』


ほんとうにすごい土地なのだね。




今朝の豪雨からは想像と出来なかったような、

青空が出て来たよ。



ここから

すぐ近くにある

今夜のお宿に向かいます。


民宿『吉井さん』






想像以上の

おもてなし❣️


ありがたや〜。


しかし、

この後

想像もしなかったアクシデントが

われら三人を襲うのです。


続きます。