この旅はまったく

行き当たりばったり…


二日目のお宿は明日香村に取っていたので、

当然

飛鳥を目指して行くのだけど、


最初はまったく行く予定がなかった

『高松塚古墳』に行くことに。


初日に

下市口からすぐに天川村へ行かずに

お酒を買いに明日香村のスーパーへ行き

石舞台を目指したら、なんとキトラ古墳の前に出て

それじゃあ、とキトラ古墳の壁画体験館にて

学芸員の方からすごい話しを聞いたもので。


『キトラ古墳と高松塚古墳、藤原京跡と平城京跡は、一直線にあるんです。だから、どちらもかなり高貴な人物の墳墓であると考えれられているんですよね。』


えええええ!

そうなの?


同じ直線上

って

萌えます!


キトラ古墳と平城京跡は最初から候補地に入っていたの。

先に紹介した保江邦夫さんの出てくるYouTubeで

安倍晋三氏が暗殺されたその時平城京に光の柱が立った?というお話が出ていて、

そのYouTubeに出てくる『ヤマトの元々の王が蘇る』的なフレーズに心踊ったのね。


キトラ古墳のある場所は

なんと

『阿部山』と言うのだし、


つなげてみると、



ほんとだ!


ほぼほぼ真北のラインに

その四箇所は確かにその上に存在してる!


真北

といえば

聖なるラインであり、、

北極星は天帝のおわすところなので

それを地上で示したともいえる。


なので、

高松塚古墳に

行くべし!

軽いノリのわたしたち。




おお

まさに

『あをによし』だわ…


説明文あり。



発掘前の写真がすごい。

竹林ボーボーだ。



発見から50年。

現在は美しく整備された公園となっていて、


『高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。藤原京期(694年 - 710年)に築造された終末期古墳で、直径23 m(下段)及び18 m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。』




ご多分に漏れず

高松塚壁画館にGO!



『飛鳥美人に会いに行こう』

とのキャプションあり。



石室は

東西南北正確に安置されていて、


正面(北)に




玄武




東に青龍




女子群像が玄武の両側

男子群像が朱雀の両側




天上には

天体図。




男子群像、


(こちらは上から流れた土砂で汚れている。)


有名なのど別の女子群像



もう一つの男子群像。



いずれも四人なのが

何か意味があるのだろうか?



朱雀は

鎌倉時代に盗掘された穴で

失われている。




盗掘された穴から見た

石室の壁画の再現。



天井の天体図にかんして

詳しい説明文あり。



明らかに

中国式の天体図。


描いた人物は

大陸から来た人々なのだろうか?

(なのだろうな。)



では、

埋葬された人物は?


いわゆる
『三種の神器』

盗掘を免れて
ともに埋葬されていた。

そもそも
三種の神器は
あらゆる古墳から出土される。

青銅器文化も
大陸から来ているので、

やはりこちらも
大陸から伝わったのかもね。



展示館の最後に
大陸とこちらの二つの古墳の類似点の展示。

『高句麗』の文字が並びます。

表にでたら、

ホトトギスが鳴いていた。


ふと、
思いました。

お隣の中国でも
ホトトギスは
鳴いているのだろうか?

こんな記事を見つけました。

ちょっと長いけど
興味がおありでしたら
ぜひ読んでみてくださいね。


某新聞の特派員メモに、ある料理店に入って行くと「閑古鳥が鳴いていた」という言葉があった。日本語を始めたばかりの学習者なら誰もが「どうして料理店に鳥がいるのだろう」と不思議に思うに違いない。

さて、閑古鳥とはどんな鳥なのか。実は閑古鳥はの異名で、日本では、のほか、古来はホトトギスにも「郭公」の字を当てていた。そしてホトトギスにはまた多くの異名があり、杜鵑、時鳥、子規、杜宇、不如帰、蜀魂など、挙げ切れないほどである。

日本のこれらは中国の文学や歴史の伝統を汲んだものだが、中国では郭公とホトトギスを区別していなかったように思われる。

文化などに強く影響

郭公の言い伝えは史書にも登場するが、幼い頃に母から聞かされた話が印象に残っている。あるところに継母を持つ兄とその継母出自の弟がいた。継母は兄をこの世から消すことを目論み、兄弟に胡麻撒きの仕事を言い付ける。

二人にそれぞれ胡麻の種が入った袋を持たせ、芽が出なければ家には帰ることができないという条件を付けた。山へ向かう途中、弟は兄が持っている胡麻袋から美味しそうな匂いがすると交換をせがむ。いつも弟のわがままを聞く兄は譲ってあげるしかなかった。

やがて二人が畑に胡麻の種を撒くと、兄の畑では芽が出たが、弟の畑では一向に芽が出ない。実は、兄が継母からもらった種は火を通したもので、芽が出るはずもなかったのだ。結局、兄が家に戻り、弟は畑で飢え死にした。

それを知った継母はあまりのショックと、自業自得の自分に呆れ、自殺してしまう。そして郭公となり、我が子の帰りを願い、叫けび続ける。その鳴き声が「不如帰」や「布穀」と聞こえ、それがまた鳥の名前となった。〝布穀〟(簡体字は〝布谷〟)は「種蒔き」の意。郭公の鳴き声を聞いて、農民は種蒔きの時期を悟るのだという。

昔から農耕民族の暮しに大切にされてきただけでなく、文学にも多くの影響を与えている郭公。中国の李白の詩には「楊花落尽子規啼」というのがあり、日本の俳人正岡子規はホトトギス(子規)を俳号にした。

「閑古鳥」は日本語で、現代中国の通称名は〝杜鹃〟である。鳴き声にある寂しさを感じるのは中日共通だが、商売不振などの意味は日本特有である。この時期の閑古鳥を追い出すには、みんなで力を合わせるしかない。