まだまだ

6月18日

天河の続きです。


30年以上前に

こちらの天河大弁財社の少し上にある

丘の上、


当時は珍しい

女性の修験道者さんが

連れて来てくださったこと、

今でも思い出す。



『南朝黒木御所跡』



この日は

やはりどうしても訪れたくて、

おふたりに無理を行って

訪れることに。



あの頃は、

日本の歴史に『南北朝時代』があると言うことも

知らなかったまま、

ここに『連れられた』

という感じだったの。


ところが

ところが、


富士山に移住してからの

2016年くらいから、

富士山北麓周辺では

宮下文書とともに

南朝関係の史跡が、

富士山北麓にどっぷりと存在することに気がついた。


だけどね、

ここ

奥吉野の『どっぷり感』と

とても比較になりませぬ。



『南朝北朝和解供養宝篋印塔』


そうして、



こちらに刻まれているのは、


『日の本は国土的にも民族的にも世界の中核であり

日本皇統はその中軸として世界は皇統を独樂の辛棒さながらに轉回しています。

その皇統に霊的不和が有る時は世界は平和を保持し能わず依って皇統最後の確執たる南朝北朝皇統の霊的和解の御供養を敢行し世界の平和と人類の幸せを祈念する目的を以ってこの宝篋印塔を建立した次第であります』





南北朝の霊的和解が

この地球の平和に結びつく???



素晴らしい枝垂れ桜のエネルギー。


ソノちゃんは雨の中

滔々と祈っておられました。



『黒木御所』

とは、



南北朝時代には、

後醍醐天皇の南朝は

こちらの天河村あたりて幽閉しており、


粗末な皮を剥かない杉の木で作られた粗末な御所をこのあたりに建てたので

黒木御所

と言われていたそうな。



南北朝時代をご存知ない方は、

こちらを参照にしてくださいね。



このヒノモトは

ほんとうに真っ二つに分かれていたのですね。




黒木御所

と言われている場所は

後醍醐天皇ゆかりの地にいくつかあり、

島根県や新潟県に点在し、

奈良県の十津川村にも存在しているようです。



富士山の北麓に引っ越してきて、

あまりにも、

南朝時代の旧跡が富士山麓に点在していることに

驚かされた。


だけれども、

こんなふうに今持って大切にされている名所旧跡は富士山麓には存在しないので


それはどういう意味なのだろうか、

奈良の吉野に来てから

再び考えあぐねるのです。



いずれにしても、


『南北の霊的和合が無ければ世界の平和は実現しない』

心に刺さりました。




さてさて

雨の中、


次の場所に行きまする。