久しぶりに

今朝(6月24日)の富士山からお届けします。



早苗に映る逆さ富士…

梅雨の晴れ間だという、



では、

6月18日の朝

天河で目覚めてからのお話を。



宿の女将から

朝の7時から朝礼拝を毎朝行っているのだと教えてもらい、


朝食前に

目の前にあるお社に向かう。



『天河大辨財天社』

と書くのね。


学問や音楽の神さまとして名高いので、

この文字が相応しい。


10基ほどの椅子が並べられて

同じ宿に宿泊していたカップルとわたしたち三人だけ?

と思っていたら、

近くの宿泊施設に泊まっていた方々なのか、

席はすべてうまった。


7時.


くだんの柿坂宮司さまは『名誉宮司』さまになられて

その息子さんの新宮司さまが恭しく登場する。



驚いたことに、

お父さまそっくりで、

同じ声、同じ口調

体格までも瓜二つ。


祝詞を奏上されるが、

太鼓を叩きながらの

神仏習合的な祝詞のあげ方も同じで…


ふと、


ヤバイ…


ぐわんぐわん

と、

大地の底からエネルギーが真上へと上がる気配…


そう、

この感じ…


天河だ

てんかわだ、

テンカワだ…


これだ、

これだ、


ボルテックス…


思い出した。



予想外に、

涙が溢れた。


これ、

これ、

これ、


思い出した、

この感覚。




今までどこにも

どんな聖地と言われる場所でも

この『感応』を覚えたことがない。


なぜなの?


なぜ

ここだけなの?


あれほどこの場所にハマった理由が

思い出せた。


ここしか無い

特別な場所…



30分の『朝礼拝』は

あっけなく終わり


わたしはしばらく動けなかった。


打ち寄せる波のように

その感覚が繰り返しわたしを包み込む。


ルカちゃんも

泣いていた。


ソノちゃんも

呆然としていた。


これが

この地の持つ

壺中天のボルテックス…


井頭さんに戻り

朝食を頂くころには、



いつもの三人に戻っていた。



雨が降り注ぐ。



お庭からは

濡れそぼる紫陽花と

天河のお社の屋根が見える。


築120年だというこちらのつくりたいは、



時空の彼方へわたしたちを誘う。



いったいわたしたちは

いつの時代に

どこにいるのだろうか。


井頭の女将から

色々なお話を聞くことができた。


『宮司さん、お父さんにそっくりだったでしょ?

声から、抑揚から、体形まで。』


驚きました。

以前の宮司さんはお元気ですか?

お年はおいくつになられたの?


『83歳。』


そうなんですね。

では、30年前は53歳だったのだなあ。わたしが最後にお会いした時。


『あ、今の息子さんがそのくらいよ。もう少し若いかしら。』


そんなお話を聞いたら

ほんとに時空を超えてしまった感覚となった。


それから

2011年8月の台風で

ここを襲った未曾有の災害の話し。


『このあたりは坪内っていってね、ここだけ低いの。天の川が三箇所の土砂崩れで堰き止められて、

一気にこのあたりに水が溢れてね…』


そう、

ここの地形は不思議だ。

大峰山系から流れる天の川は、

ここが低くなっているので蛇行する。

それが坪内。


『八つの杜からなる山々に囲まれ、鎮守の杜「琵琶山」天河神社が鎮座するここ坪内。

“俗世間から離れた別世界、理想郷”という意味を持つ中国故事の『壺中天』から

名付けられたという』



それはそれは

始まって以来(奈良時代、役の行者がここを開いてから)の大災害だったのだとか。


その洪水がきっかけとなり、

高倉山には国常立命が祀られていたことが発見されて、

現在では高倉山の前には『禊殿』が建てられているらしい。


高倉山といえば

30年前は天河に行くたびに必ずよっていて、

夜、そこで数人で瞑想などしていた。

今思えばなんと怖いもの知らずな。


今回は雨も降っていたので、

高倉山の禊殿や天の安川へは行かなかった。


わたしにはあの朝礼拝の濃密な時間で

今回は充分に思えたの。


超礼拝がおわり

わたしたちのほうを向いての労いの中に


『生きとし生けるものの命が今日も輝くことを祈って』


という柿坂宮司さまのお言葉にて、


すべて良し!

と思えたのです。


それこそが

ミロクの世、




不思議なことに

あのぐわんぐわんの感覚は


あれからわたしの中にずっと残っているのです。