天河のことは、

このブログにて

何度も書いて来ました。


1990年ごろの話として、


たまたま見つけた

美内すずえさんの自叙伝

『宇宙神霊記』という書籍で

天河大弁財天社のことを知り、



どうしても行ってみたくなり、

初めて行ったのがその年の

11月17日だったこと。


一度目で、その場所にハマり

その後

十数回訪れたこと。


色々なご縁あり、

そこで知り合った女性の修験道者さんから

『豊玉毘賣の分け御霊』と言われたことで、


2011年から始めたAmebaブログにて

その名を名乗って来たこと。


あれから30年…


わたしは『天河』を

いわば、封印していました。


んんんん、

封印とは違うかな?


1990年からおそらく1994年まで

あれだけ通っていた天河だったのですが、


ある時

ピテカントロプスという原宿のクラブで

YMOの細野晴臣さんとお話する機会がありました。


その少し前に

中沢新一さんとお近づきになったこともあり、

おふたりの共著の

『観光』のお話をしたのです。


(1985年初版発行のこちらの本は天河にハマっていたわたしに友人のどなたかがくださった本)


これには

天河のお話が掲載されていて、

かなりティープなことも書かれていたので、

わたしは細野さんに

天河のお話が聞きたかったのですが、


細野晴臣さんは、

『天河には卒業があるんだよね。オレはもう卒業したの。』

と、アッサリと仰ったのね。


え????


わたしは当時、天河にどハマりしていたので、

自分が天河を“卒業”するとは

考えられなかったのですが、


あとあと思い出してみると、


1994の秋に

同居していたBFが信州に移住して、

それからは週末田舎暮らしに勤しんでしまい、

天河とのご縁が切れてしまって


これを“卒業”と言うのだろうか?

しみじみ思ったことがありました。


(今日、『観光』のことを検索していたら、なんと細野晴臣さんが2022年10月に34年ぶりに天河で奉納演奏をされた記事をいくつも発見しました!柿坂名誉宮司さんとの対談も実現されたそうで、なんたる符合なのでしょう…)


さてさて、

『天河』ってナニ?

というお話なのですが、


奈良県奥吉野にある、

『天河大弁財社』が存在する

天川村坪内

という狭いエリアの

聖地であり今風に言えば

パワースポット(あたり使いたくない言葉なのですが)のことであります。


こちらでのお話は

わたし的には

あっさりとすみそうにありませんので、


こちらをプロローグとさせていただきますね。


30年ぶりとなる

天河行き。



あの頃は

新幹線で京都まで、

そこからローカル線にて

下市口駅まで電車でやって来て

タクシーかバスで1時間かけて

天河坪内までやって来た記憶があります。


下市口駅から

あの頃なんどもトンネルをくぐると

『別次元なんだよね』

誰しもが言っていた

そのトンネルをこの日は潜ります。




この時、

今にして思えば

異変はありました。


トンネルを潜ったとき、

左の頭がサワサワしたのね。


なんだか懐かしい

サワサワだった。


なんだろう?この感覚?


とりあえず

通過して

無事に

天河の坪内に到着。


今宵の宿は、

井頭さん。




天河大弁財社の

真ん前です。



到着してから、

逸る心でお詣りを。



天石、



全く覚えてありませぬ。



だけど、



懐かしい

能舞台!



拝殿!



ダブルの五十鈴!



初めてだというソノちゃんと、

二度目だというルカちゃんと、


30年ぶりのわたし…。


(この時は

懐かしさだけで、

次の日朝に何が訪れるのかは

わたしはまだ知らない…)



そのあとは

お宿にお風呂がないというので、


お社のすぐ裏手にある

『天の川温泉』へ。





こちらは36年前にオープンしたとのことで

わたしは何度も訪れているいるはずなのに、



改装したためか、

全く覚えておりませんでした。


宿に帰り

心尽くしの夕飯をいただきます。



ここで、

昼間ゲットした

柿の葉寿司も頂いたしまいました。



奈良の地酒をいただきながら

おしゃべりが続きます。



わたしがかつて常宿としていたのは

『松葉屋さん』というお宿で

現在は店主が亡くなられて

お宿はやっていない旨を

井頭さんの女将さんからお聞きしました。


30年も経てば

移り変わるものですね。


だけど


変わらないものもありました。


次に続きます。