旅に出た理由は、

この時に書いていました。




この旅に出ることが決まったあと、

わたしは

そう言えば

こんな物がヤマトの吉野の地にあることを思い出した。




1987年(昭和62年)小川(旧名「鷲家口」)に、東吉野村がニホンオオカミの等身大ブロンズ像を建立した。

製作者■故 久保田忠和氏


『最後のオオカミ』


萌えます〜!


わたしとしては

この

『鷲家口』で捕獲されたニホンオオカミを

最後のオオカミとは思っていないのだけど、


だけど、

銅像があることは嬉しい。


奈良の吉野に行くのならば

ぜったいに

会ってみたくなった。


東吉野村が

こんなパンフレットを発行していました。




さて、

朝6時に富士五湖地方を出発したわれら三人は


『伊勢から行きますよ!』

との

ソノちゃんの言葉通りに

伊勢湾岸道路を渡り、



たくさんの橋を超えて、



(ソノちゃんは協生農法(シネコカルチャー)の講習会へ行くのにたびたび伊勢を訪れていて道に精通しているの。)


この日は

伊勢に向かう道を右折して

紀伊半島の奥へと車を進めます。


『樽田川』という川沿いの道を

くねくねと車は走って行く。


河原の景色が見慣れないほど白く

水が清い。


蛇行する櫛田川を何度も橋で渡りながら

その風景に感嘆の声を漏らす。


(櫛田川の様子は画像に撮れなかったけど、

ここ、大切なポイントだったので

ネットからお借りしました。)


(こんな河原、見たこともない!)


道は三重県から奈良県へ。


『中央構造線の露頭』

の看板あり。


ええええ!


寄りたーい!

だけどけっこう道から外れてしまうのでガマン。


ナビで見ると

東吉野村

と表示。


『東吉野村、と言ったら『ニホンオオカミ像!』


叫んだわたしに

おふたりは

すっかりオオカミ像によることを忘れていたようで、


天川村の入り口となる『下市口駅』を指してしたナビを

『ニホンオオカミ像』に切り替えてくれた。


方向はほぼほぼ同じで、

櫛田川上流となる

高見川へ向かう。




その

高見川のほとりに、



それは

存在致しました。



おおお〜〜〜〜ん!


この時は

感無量なり。



等身大

という

思いがけずに小さな

銅像。



咆哮している!


旅の最初に

お会い出来るとは!



東吉野村で作成されたパンフレットを

ご紹介させてね。


(アンタも好きねえ〜❣️)









明治38年(1905年)


それから109年…


最後のニホンオオカミとされる彼の

毛皮と頭骨は

今も

ロンドンの大英博物館に眠っているのです。



そうして

この地のキーワードとなっていたのは

まさしく

『中央構造線』!




目の前の『高見川』は

地層の境界線にあたるようで…


それは

ずっと傍を走って来た櫛田川の支流に当たるのだけど、


『なんと!中央構造線の上を走ってたのね!』



中央構造線の看板が出た時に

そう言えば、と思い出したのは、


その上になぜだか重要な神社があって、



これから行こうとしている

『天河大弁財社』もその上にあること。



そうして、


中央構造線の谷には

山からの水が流れて

川となり、



さらに深い谷を刻んでいた。


『地球のエネルギーが生んだ聖なるライン ~「中央構造線」がもたらす不思議な力』


『縄文時代の遺物が発掘された宮滝遺跡は、近畿地方のへそに位置する奈良県吉野町にある。一帯は、緑色の岩が切り立ち、巨岩壁の間を縫うように濃緑の清らかな水がうねりをなす。そこは仙人が住むような神々しい別世界だ。

 今からさかのぼること1400年近く前の656年、時の斉明天皇がこの地にあえて吉野離宮を造営したのも、そこに大地が放つ特別な力を感じたからなのだろう。吉野川の急流に立ちはだかる断層崖は緑色の塊をなして、そこから東へ、西へ、海に落ちるまで続いている。』



(上のブログさんからお借りしたこの画像は、

まさしく

ニホンオオカミの銅像の前からわたしが撮った写真と同じアングルでした!)


中央構造線の堺に

ニホンオオカミが最後に捕獲された場所がある!


なんと

ほんとうに

感無量なのでした。



ニホンオオカミ像の後ろの山肌は、



日本列島がまだ大陸と地続きだったころの

8,000万年前の

『花崗岩変成帯』



小さな新しい祠が祀られていた。


川の向こう岸は

南からやって来て8,000万年前に日本列島にドッキングした

『黒色片岩変成帯』らしい。



さてさて

寄り道ではなく

これはわたしにとって目的地のひとつ。

おふたりには付き合わせてしまってごめんなさい。


いよいよ

天川村へ向かうとしましょう。


その入り口となる

『下市口駅』

(30年前は新幹線と電車で乗り継いで、ここから天河へ向かったものだった…感無量。)


そこに到着した時

すでに13時を回っていたの。


ランチしよ、と言っても

お店がけっこう閉まっているので

柿の葉寿司でも買って

その辺で食べてから行こうか…

そう決め込んで、


柿の葉寿司を買った

『やま十さん』

の隣には、



『本日のランチ』と書いてあった食堂があり、



柿の葉寿司を仕舞い込んだまま

こちらでランチをいただくことにしたの。


するとね、

ご主人とのおしゃべりの中で、


なんと!

二日目に泊まるはずの『飛鳥(明日香村)』

なんとここから車で15分なんだって?

(天川村までは40分)


だったら先に

お酒の仕入れをかねて

飛鳥へ行くことにしたら…


それがまあ、

面白い展開となりました。



行き当たりばったりの

旅は続きます。