昨日はまたまた

南足柄へ行き


春めき桜(アシガラ桜)

大雄紅桜に

心を奪われたのだけど、


やはりこれは今日

終わらせてしまわなければいけない話しなのです。


箱根のことを追っていたわたしに

まずは、

箱根の住所に驚いた。


『神奈川県 足柄下郡 箱根町』


えええ!

足柄下郡って

なに?


現在の住所に驚くばかりではなく、


なんと

『はこね』は

万葉集にも出てくるのだけど、


それには

『あしがらのはこね』

と、三箇所に出てくるのだと。


昭和、平成、令和と来て

国際観光地としての箱根を知っているわたしたちは、


『箱根の足柄』

くらいの認識では無かったか?


というか、

わたしはこんの数年前に

足柄山(そもそもそんなものは無いのだけど)は

箱根山(これもそもそも存在しない)の外輪山なのだ、と言うことを知ったに過ぎない。


え?


ちょっと待て。


『あしがら』

このあたりのとんでもなく広いエリアの名前であったようなのだ。


では、

『はこね』は?


奈良時代には

『筥嶺』

と表記されて、


お経を入れるためのハコであり、


駒ヶ岳がハコを伏せたような形をしていたからなのだという説あり。



(芦ノ湖から見た駒ヶ岳、さもありなん)


ううむ、


足柄上郡

足柄下郡

歴史を紐解いてみよう。



現在の

足柄上郡

こんな感じ。

春めき桜の南足柄市や

山北町も

すっぽり入る。





足柄下郡


湯河原

真鶴町

そして小田原の一部もすっぽり入る。


では、

江戸時代までの

相模國だったころは?


『神奈川県=相模國ではない』

というサイトが出て来て、

川崎と横浜は

武蔵国だったという事実を知る!



脱線しました。


では、



『小田原は足柄と呼んでいた』

は、

今の小田原市民に教えてあげたいー!


金太郎が熊にまたがりお馬の稽古をしていた、

足柄=小田原だって!


さらにさらに、



律令時代、713年(和銅6年)に出された「好字二字の制」により足上郡と表記されることとなり、これによって「あしのかみ」という読みも行われた。


713年(和銅6年) - 律令時代、「好字二字の制」により足下郡と表記されることとなり、これによって「あしのしも」という読みも行われた。郡衙は小田原市内の千代廃寺付近と推定されている。


えええええ?


なぜ、

“足”

という字が好字なんだろう…


みなさま、

そう感じませんか?


そこでわたしは

ふと、

思い出した。



芦ノ湖の近くに、

芦ノ湯

という

古に伝わる

温泉あり。



以前

小涌谷から芦ノ湖に下る途中に、


とんでもない

『あ』づくしな場所を

発見してしまったこと。


あの体験も

また不思議だった。



箱根のアの神シリーズ


『阿字ケ池と弁財天』



『朝日弁天山の黒曜石産地』



『アス理論』の碑




今読んでも、

濃いわ〜


わたしは今思う。



火の神信仰のア族は

アの神を祀り

黒曜石を神とのパイプとしていた。


火山は彼らにとって

天地をつなぐ大切な場所。


アは火


そして

サ行は火を起こす風。


アサ

アソ

アシ

アス

アセ


そのどれもが

火を活性化させる吐息。


だったのでは?



これはわたしの

とんでもない妄想なのかも知れなくて…


つきあわせてしまって

申し訳ありません。


最後にひとつ、


明治の初頭に

なんと!


『足柄県』

なるものが存在したのだと!




緑の部分は

神奈川県に

黄色の部分は静岡県に

編入されて

たった五年で消えた…


『足柄県』!



なんと明日は、

伊豆の研修旅行へと参ります。


またしても

アの神に

会うことができるのでしょうか?


乞うご期待!