111新月🌑の

くくりの新年会のお話の続きとなります。


戸田の漁港の食堂にて

タカアシガニの海鮮丼を食べたわたしたち一向は


いよいよ

ここ半年間にわたしたちをザワザワさせていた

『橘(たちばな)』をくくるために

この地へやって来たというわけなのです。


この話はどこから始めたら良いのか

わからないくらい長くなってしまいそう。



思えば

去年の夏に

メンバーのりえちゃんが奈良へ行ったとき

『大和橘(やまとたちばな)』に巡り合い、

縄文展を観に行った帰りに

そんな画像を見せてくれて、


橘と言えば…

その時にわたしは

ある事を思い出したのね。


5、6年前に友人Sちゃんが体験したこと…


(Sちゃんが京都へ行き『広隆寺』の弥勒菩薩に会いに行った時、聖徳太子の幼年像があり、彼から『ゆけ、橘へ!』と言われた気がして…,しかし聖徳太子の菩提寺である『橘寺』は遠すぎて富士山に戻って来たら….

富士山=たちばな山

であったことに彼女は気づき、

なあんだ、

となったという話。)


(広隆寺の弥勒菩薩半跏像。秦河勝(またハタ氏だ!)が建立した飛鳥時代の広隆寺は聖徳太子が御本尊なのだそう。)



一方、Sちゃんが広隆寺にて『ゆけ、橘へ]と言われたとき、奈良にある橘寺だと思ったけど行けなかったというこちらも、聖徳太子が御本尊だった!


『橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺院。山号は仏頭山。本尊は聖徳太子。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、橘寺という名は垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。』


わたしが知っている果実としての🍋橘は

その程度で、

井伊家と日蓮聖人の家紋がともに橘紋だった事に興味を持ったくらい。


ところが

昨年の9月の始め、

橘三重シンクロが起きたのです。


三つのライン上にて

同時に橘の話がでて!


そこでその

5、6年にSちゃんが体験した不思議話を思い出した!


富士山=橘って

どおいうこと?

 

そしてついに

戸田と橘の結びつきにたどり着いたのでした。


それは、


『ホツマツタヱ』

導いたものでした。



その時わたしは

すでに

『ホツマツタヱ』には距離を置いていたけれど、


富士山=天の香具山=カグノミ=橘


そして、

富士山=橘山

は、


肝にズシンと来たのです。


そこからそこから


わたしとは離れたところで

橘(たちばな)は

ご縁あるみなさまとともに

展開し、

盛り上がって行きました。



戸田にみんなで行きましょう、

とわたしが提案したのだけど、

それぞれのメンバーがそれぞれに

戸田の橘にご縁して行きました。



新年会、という区切りにて、

わたしなりに

戸田の橘に会いに行きたいなあ、と思い


この日

実現できたこと、


ほんとうに喜ばしくて、

嬉しかったのです。



今回、

改めて確認してみると

前述にご紹介したサイトさんには、


橘姫を祀る

『諸口神社』さんが

紹介されているではないですか!


111の新年会にて、


この日の最終目的は 

実は

『諸口神社』さんでした。


戸田の港より、



天の香具山、

すなわち


橘山を遥拝いたします。



御浜崎とは、


まるで

大瀬崎と相似形のように



港に突き出た州のようです。


その先端に、

祀られているのが、

くだんの

『橘姫』を祀るお社。


この岬には、



イヌマキの巨木があり、



存在感を放っていました。



その奥の奥に、



そこは

鎮座していらした。



南国チック。



この

極彩色のお花みたいのは、

なんだろう?



あとから

わたしたちが思ったのは、


やはり

橘の花のオマージュではないかしら?

とのこと。



諸口神社。



この

鰐口が

ご神宝であるらしい。



やはり、

常に

富士山と共に。




こちらには、



橘の木が

実もたわわに

実り

麗しい香り。



後から聞いたら、



こちらは

『橘の原種』であったのだと。


海に向かって

赤い鳥居が建てられて、




逆方向から見ると、



なんと言う、



エメラルドの海と

富士の絶景なり。



正面のこのおやまは、



古から、

橘が自生していたのだと、

後から教えていただいた。




浜の砂は

白、というより、

ベージュがかっていて、


それが

海の色を

エメラルドに見せていたみたい。



カモメの羽?



案内板あり。



この御浜崎が

戸田の港を

いくたびもの津波から

守って来たのだそう。




赤松は良く見るのに、

ここは、



黒松でした。



天然の素晴らしい

防波堤となっていました。



色々なサイトさんでは、


弟橘姫

橘姫

の関連性について

それぞれ考察しておられます。


ほとんどが、

同一であると。


わたしは少々

異なる感覚を持っております。


それは

次の考察にて。




御浜岬の先端の、




こちらの由来書きには、


『祭神は元来は『延喜式神名帳』の記述から「もろき姫、国玉姫、橘姫」が祀られていたと推察され、現社名の「諸口」もその「もろき」に由来すると考えられる。 女神ということもあり、古来から弁天と同一視され、漁民の崇敬を受けてきた。』


「もろき姫、国玉姫、橘姫」


いずれにしても

ここは女神のエネルギーに満ち溢れていました。



さて、

ラストにつながります。