昨年の『くくり旅の最初に訪れた

飛騨の『日輪神社』のことが中途半端となっていたので

改めて書こうと思い立ったのは

昨年の暮れのことでした。


(画像は重複してしまいます。ごめんなさい)


旅の宿(しかも白山市の鶴来!)

にて

寝る前にテキトー(ごめんなさい)に書いたこの記事。

今までの旅日記は

その日にさらりと書いておいて

後日、ゆっくりと検証していくスタイル。


だけど

この旅はなぜだかそういうわけには行かなくて

(なぜだ?)

けっこうその度に完結してしまったようで

後日記を一切書いておりません。


初日の10月24日は

二十四節気で言う

『冬の始まり』の大切な日だったので、

冬の真ん中の“冬至”に向かい

書かなくては

と思っていたのに、

年末はバタバタしていたなあ。


(前置き長い!)


年内に何度か書こうとしたけど、

結局書けなくて

年を越してしまった。


と!


元旦に

能登半島を震源地とする

震度7の地震!


驚愕の正月を迎え、

また改めて

ちゃんと書いておこうと思った次第なのです。



10月のこの旅は

そもそも

『能登半島』に行こうとしていました。


でも、

『飛騨』というキーワードにて

飛騨高山にシフトして行ったのでした。


10月24日の初日に訪れた

飛騨の『日輪神社』と

加賀市の『加佐ノ岬』のお話しを

改めて書かせていただきますね。



旅の寸前となってから

わたしは本棚に眠っている

いくつかのアヤシイ本をめくっていると、


こんな画像が出て来て…



なんだなんだ、

ここって?

行けるの?


りえ隊長に尋ねると、

『初日に行きますよ!』

とっくに行程表に入っていたのでした。

さすがでゴザイマス。



予定通りに、


まさに、

金沢市の 加佐ノ岬に行く途中に!



『日輪神社』は存在しました。




参りましょう。



でも
傍らに、



なんと!



『妙見菩薩』が祀られていたのね。


日と星…

ちゃんとバランスがとれていました。


さて、

登ります。



かなり急だよ。



人工のピラミッドなのか?



それとも

自然の地形を利用したの?


山そのものを祀っているようです。



拝殿。



御守りあり。



天照大神をお祭りしているとのこと。



さらに

拝殿の背後に、


かつて

『太陽石』があったと言われているので




かなり上の方まで登ってみました。


あった!



ん?



これが太陽石なのかしら?


これって

愛鷹山にもありましたよねえ、

りえちゃん。


あったあった。


楔が打ち込んであるのは、

粉砕しようとした跡なのか?


この1ヶ月あと、

わたしたちはそれぞれ

手塚治虫原作の映画

『火の鳥 エデンの花』を観に行くことになるのだけど、


そこで出てくる

『磐船』は

この石にそっくりでした,




これはエデン17の住人の

『コム』の想念で動く。


竹内文書では

天の鳥船に乗って

スメラミコトが世界中を飛び回る。


しかーも、

富山や飛騨がその中心とな…


なんとも面白い展開となりました。


この太陽石?の下には、



色々なお供えがしてありました。


下山します。



脇を流れるのは

丹生川で



こちらはまさに

『飛騨王朝』の発生の地


『丹生川村』だったのでした。


こちらに詳しく書かれています。





この後

夕陽を観に


加佐ノ岬へ。


石川県加賀市になります。


能登半島の付け根。



全く想定通りに、



ここからの夕陽を拝むことが出来ました。


なのだけど、



前回の能登半島地震(この年の5月?)の前後で

崖崩れが起きたそうで、



海まで降りられなくなっていました。


昨年の5月13日の中日新聞です。




なんだか

今更ながら

去年の旅の意味が

わたしの中で大きくなっています。




元旦の地震で

加佐ノ岬は

さらに崩れてしまったのだろうか?


ものすごく気になるところ。


くくり旅の後期は

これからも書いて行きたいと思います。