東京では櫻が満開となったらしい。


下町に住んでいる

ローズちゃんから

昨日送られて来た画像です。





富士山でもこんな雲が出現したことがあったなあ、と思い

許可を頂いてご紹介しています。




さてさて

こちらの続きです。




江戸時代となってから

『青梅街道』と呼ばれることとなった

いわゆる古道は

いくつかに分かれていたようだ。




奥多摩から

甲州に行く道は

いくつかあり、


現在でも『丹波山村』

『小菅村』は健在だけど、


それぞれに道はあったみたい。


だけど、

いずれも昔は、

『大菩薩峠』を越して

甲州に入って来たようだった。


丹波山村

小菅村には

かつて

なにがあったのだろう。



信玄の時代となって

『黒川金山』へ向かう

あるいはそこから金を運び出す道として、

現在の『新青梅街道』の基礎が出来て来てみたい。


上の地図は、

松姫トンネルが出来る前のようで、


まだ

松姫峠のつづら折りが描かれていた。



この日

わたしたちが走るのは、


この地図でいえば、


小菅道(赤)の小菅村中心地と

丹波山道(緑)の丹波山道を結ぶ

18号線(県道)。


いけども

いけども


ヒノキの植林が続く。


小菅村では

そのヒノキで村おこしをしているのだと

聞いたことがあった。


しかし

こんな山奥まで

よくまあ植林したものだ。




と、


大きな古めかしい

お宮さんが右手にあった。


え?

なになになに?


友人に車を停めてもらい、

写真だけ撮ろうとする。



『箭弓(やぎゅう)神社』


しかも、

『三ケ村』

とある。


けっこう大きなお社だ。


二度、ここを通っているはずなのに、

(帰路を含めれば四度である。)


なんだって今まで気がつかなかったのだろう。


由緒書き。



『箭弓(やぎゅう)神社は、小菅村から丹波山村へと向かう上野原丹波山線の途中にあります。

 

武田家の家臣 小菅遠江守信景により文明10(1478)に創建されました。

当時は小菅村・丹波山村の総社とされていましたが、明治6年に小菅村の村社となりました。』



やっぱり

武田家由来なんだ。



三ケ村の由来は

こちらの動画に詳しい。




こちらの看板の地図で

気になったのは、




こちらの

大丹波峠にある

『塚(古墳)』



こんな山奥に

古墳などあるのか。


そしてそれがどなたのものか、

なにか言い伝えはないものなのだろうか。





YouTubeにこんなのがあったけど、

結局『謎の古墳』とのこと。







武田家由来の神社の


祭神『天日鷲神』

気になるのだけど。




しかし

さらに謎は深まって、

看板にはこんな絵地図が!



『小菅城 天神山之図』



ええええ?

なになに?

こんなところに

お城が???


どうせ山城なんだろうな、

と思いながら通り過ぎたけど、


武田信玄から三代前に遡るようだった。

しかも、

お屋敷がある?



歴史】 室町時代初期、甲斐の国主武田信昌は甲武国境のこの地に、小菅遠江守信景を配し、信景により城築された。文明十年(1478年)箭弓神社を造営した。

  小菅氏は小菅一村の領主で、小菅村川久保 (現小学校付近に屋敷があった)に、代々住み、戦時には、この城に詰めた。

 甲武の国境警備に当たり、丹波黒川金山を支配し、又、現在の大月市土室沢・小金沢も支配していた。武田家は信昌・信綱・信虎・晴信(信玄)・勝頼と続いた。

 信景の死後も子孫は代々武田家に仕え、信玄公・勝頼公の時代には、侍大将・足軽大将として活躍した。

 武田氏滅亡後、天正十年(1582年)五郎兵衛尉忠元は、織田信忠に殺された。

小菅又八郎信有、小菅次郎三郎信久、小菅九兵衛などは、郡内へ侵攻した北条氏を撃退した功により、徳川家康の旗本になり、甲斐国に領地を貰った。川久保に帰農した小菅一族は江戸時代、代々村役人を務めた。全国の小菅姓は、小菅村川久保が発祥の地である。『現地説明板』より。




箭弓神社、


大丹波峠の謎の古墳


小菅城ー天神山


と来た。


それだけでも

謎だらけなのだけど、


さらに

このあと

もっとすごいものを

わたしたちは発見してしまう。


友人が車をもっと停めやすいところに停めようと、少し先まで行ってしまった。


そこには…


ひっそりと

奥まって

鎮座する…



『諏訪神社』


ん?


全国に

五千とも

一万とも

存在する『諏訪神社』


そんなに珍しい物では無いんだけど、


どうして

どうして、



『古い神といわれ、境内には巨木も数本ある。長野の諏訪大社よりの分祀は全国に約九千社あるが、その内の二十番代にあたり当時は有名な神社であった。』


ちょっとバックリな記述だけど、


それを信ずるにたる

雰囲気だ。




巨木は

どこにあるかわからなかった。



だけど、

少々奥まったところにあった

この社を発見したのは、

悪友の手柄であった。



山の奥には

まだまだ

とんでもないものが

潜んでいるかもしれなくて。



さて

ここで

『その三』に行きたいけど

そうなると

タイトルとの整合性が取れないので


『丹波山村』の道の駅のところまで

書いておきたいと思う。



およそ

一年ぶりの

丹波山村!


丹波山村道の駅は

前回訪れた時と

ほとんど変化がないよう思えた。



『狼焼酎を買うの、

だから丹波山へ行くの。』


わたしが言い訳に使った

『狼焼酎』とは…




そのポスターが

出迎えてくれた!



『七ツ石』


そうして

店内は

一年前とほとんど変わっていない。



玉川麻以さんの

狼のイラストの、


扇子、手拭い、



ぐいのみ、コーヒーカップ、

タンブラー。


そして、

狼ビール。




焼酎『七ツ石』を手に取り

カウンターへ向かう。



聞きたいことがあった。



あのう、


狼の絵本が完成して

その原画展を先週やっていたと思うんですけど、


その絵本て

どこに行けば見れますか?



カウンターのおばちゃんたちは

首を傾げた。



公民館でやってたよね、

公民館だよね。


顔を見合わせて小声で話している。


わたしたちも見て無いんだよねえ。


と。


驚いたことに、

先週

NHKで放映されていた

丹波山村の『狼の絵本』のこと

どなたも話題にしないのだろうか?



がっかりして

焼酎だけ買って

帰ろうとするわたしに、


ひとりのおばちゃんが


あ、ちょっとまってて、

カーテンの中に入って行った。



そこから

持ってきた物とは…



やっと

『その三』に続きます。




(番外編として

この日満開の櫻の画像を送ってくれたローズちゃんとの間に

一年前に、平将門シンクロが起きた話しをお伝えしておきます。

お暇でしたら読んでくださいませ。)




(そして

2018年にも

ローズちゃんと桜の花見と

平将門の話!)