一月二十六日
『愛鷹山展』の続きになりますね。


富士山の南に存在する
『愛鷹山』は
18万年から8万年前まで
何度も大噴火を繰り返し
その後、




ピークが7つある
現在のカタチとなりました。



また出しちゃう、この図。

その中でも
南麓にある
文字通りの[愛鷹山]が
すべからく、信仰の対象となったようなのです。


その前に、


愛鷹山の南麓では
たくさんの
旧石器時代の遺跡が出てきます。

そのあとの
細石器の時代には
黒曜石も多数、出土。

その中には
諏訪からのもの、
神津島からのもの、
箱根山
そして、天城山の黒曜石もあるそうです。

天城山から黒曜石が出る!とは。
これはまたまた大きな意味があるかもしれませんね。

糸魚川の翡翠と
天城山の黒曜石

またまたラインが繋がりそう。


そして
縄文遺跡も、もちろん。


さて、
わたしの最大の疑問

『いつ頃から誰が『アシタカ』と呼び始めたのか?』

これに関して新しい情報はあるのでしょうか?



『しはせやま』???

ますますわからない…。

下の想像図は、スルガの王の墓として
一躍有名になった
『高尾山古墳』のイメージ図のようです。

ここ、明治史料館も、その高尾山古墳のすぐそばにあり、
愛鷹山との関係も揶揄されています。



鎌倉時代といえば
『源頼朝』
やはりこの方が出てきちゃいます。

愛鷹山麓に99頭の馬を放ち
『愛鷹明神』の再興を命じた
とあります。

『愛鷹明神』とは
どんな存在だったのか?

愛鷹山にはたくさんの沢がある水の山なのですが、
百の沢を『ももさわ』と呼び
百沢(桃沢)神社が建立された。


そして


かぐや姫伝説にも
愛鷹山が登場?



こちらでは
このあと、愛鷹山の近代の歴史となって
あまたある愛鷹神社、桃沢神社の一覧となりましたが、
肝心なところに踏み込んでないような
少しわたしには物足りない感じが致しました。


こちらのブログでご紹介した
加茂先生の考察では、


一 阿祖山(あさま) 二 阿始高(あしたか)三 阿波(あわ)四 天城(あまぎ)
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12568714038.html

愛鷹明神は
『宇賀神』では?
とされていて


(画像はお借りしました)

愛鷹山のひとつのピーク
位牌岳から見下ろすと
どう見ても宇賀神に見える
というのですね。


もう少し暖かくなったら
一度、頑張って登ってみたいものです。


では、
ここから
『牛伏山』というところに車で移動。


それが、例のライン上にあるのだと
リリーちゃんが調べてくれていました。


こと牛伏山も
この駐車場からみると
ピラミッドにみえるのです。


そして
目の前が
駿河湾。



あの
淡島が‼️



牛伏山もかつては島だったそうで
二つの山は
対峙しているように思えます。


でわでわ、

淡島に上陸しまーす❣️

(引っ張ってごめんなさい🙏)