『昔、御殿場は伊勢の御厨だった頃。御厨から箱根へは乙女峠を越えて仙石原へ出たが、仙石原には温泉が出るので、御厨の人々は秋の仕事の終わりなどにつかりに行くのだった。その時も、ひとりの旅人が乙女峠を仙石原へ越えようとしていた。
旅人はいわれるより大変な峠越えで汗まみれになり、道ばたに倒れていた太い松の木に腰を下ろして一服した。そしてまた出立しようと松の幹に手を掛けて、それが冷たくぬるぬるしたものであるのに気がついた。それは松の木ではなく、大蛇の骸であった。旅人は色をなくして引き返し、口も利けない風であった。
その夜、旅人の夢に白い髭の老人が現れ、いった。自分はおまえの腰掛けた大蛇の精だ、夏に峠を越え、芦ノ湖へ入ろうとしたが、暑さで倒れてしまったのだ、と。そして、誰も気づいてくれないので、峠の下に葬ってくれないか、という。そうすれば十二か村に水を与えよう、と。
話を聞いた村人たちが峠に行くと、そこには死骸ではなく、大蛇の骨だけが横たわっていた。皆がこれを東山の丸嶽に手厚く葬り、祠を建て祀ると、そこから清水が湧き出して、下の村々を潤した。この寒沢川の水を集めて東山湖が造られ、水の出た山は九頭竜山と呼ばれるようになった。』
そうなの?
東山湖…
ミックリーナの店主に聞いてみたら、
『ここから車で五分程ですよ』ですって!
もう、これは行くっきゃないね!
(わたしたち三人が、同時に検索したブログさんはこちら。)
さらには、このように綴られている!!!
『箱根九頭龍関連、芦ノ湖の大蛇の話というのも大まかに四系統あるので皆並べると大変なのだが、この話は民間口承の二系との繋がりが色濃いように思う。それは山中湖と芦ノ湖の夫婦の大蛇が行き来していた、という話と、西に帰還する日本武尊を弟橘媛命が白竜となって追い、箱根から御殿場・小山を過ぎ山中湖へ入った、という話だが、いずれも芦ノ湖からその丸嶽麓を通ったに違いなく、そこに行き倒れの大蛇というのは偶然の並びではないだろう。
というより「やはりそういう話が(芦ノ湖と山中湖の間に)あったか」という感じだ。また、この九頭龍さんの話は、次の二岡神社の創建由来とも非常に関係が深いとあたしは思う。そうであるのでちょっと憶えておかれたい。』
えええええええ〜〜!
山中湖と芦ノ湖の夫婦の大蛇?
(そして、山中湖にも、白鳥となって去って行くヤマトタケルを、オトタチバナヒメが白竜となって追っていった伝説が確かにあるのだわ!)
完全に、何者かに動かされているとしか思えない、わたしたち。
ではでは
東山湖、行きまーす!
『御殿場の古社、二岡神社の北側近くに九頭竜の石祠が今もある。これが伝の九頭竜祠の下社であったという(東山湖の傍らには、今は弁天さんが祀られていた)。
地域的に九頭竜といったら万巻上人に封じられた箱根芦ノ湖の九頭竜のことになるが、この御殿場の大蛇はまた違った存在に九頭竜の名だけ借用したという具合に見える。水神といったら九頭竜、というお定まりがあったのが箱根周辺である。
さて、この大蛇は御厨(大沼があったという)から芦ノ湖へ移動しようとして力つきているのだが、御厨にはまたその大沼のヌシの龍が芦ノ湖へ去った、という伝説もある(「大沼の龍神」)。
それらが同一の竜蛇だ、というわけではないが、同じ動線で移動している竜蛇ではある。おそらく、土地の第一の水場が、御厨中の大沼から芦ノ湖方へ移った、という事情を反映していると思われ、それは富士山の噴火による所が大きいのじゃないかと思う。』
『走湯山縁起によると、尾は箱根芦ノ湖にあり、頭が伊豆山の地底にあって、温泉の湧くところは、龍の両眼、耳、鼻、口であるといわれている。 また、赤は母親、白は父親を表し、夫婦和合、家内安泰、縁結びの象徴となっている。』 |
山中湖の某所で
三人は解散となり
わたしは山中湖のスーパーでひとりお買い物。
なんという、夕焼け!
わかりました。
行きますからね…。
またしても、白龍ちゃんと、黒龍ちゃんと、
あれれ?わたしは赤龍ではなかったっけ?
そうか、そうか、そうだったんだ!
女三人、大人の女子遠足って…
やっぱりヘビィになって行く予感…なのでした。
〈完〉