先日、わたしが

何故そんなに哀しかったのか?


河口湖と対面したときに

涙が溢れて止まらなかったのは何故だったのかが

その日(3月31日)にわかったのです。


それは

不思議ちゃんたちを

君が代の浜から

溶岩帯の「筒口」という河口湖から水が流失してしまうといわれる

伝説の浜に移動したときでした。

(河童伝説のお話を書きました。)

これは

その日の河口湖の様子です。





トヨタマヒメ富士日記


すっかり底が見えています。


何週間かの間

これは別に目新しい画像ではありませんでした。



トヨタマヒメ富士日記

この画像の右下の

土管のようなもとに注目してくださいね。


あたりにはとても

いやな匂いがしました。

ヘドロのような匂い・・・・


どうやらこの土管のまわりからでているような。



トヨタマヒメ富士日記

ここは

通常であれば

湖の中。

しかし湖の水位が1,5mから2mくらい下がってしまったので

土管が露出してしまっています。


そして

これは下水道だったのです。


まわりには

ゴミが散乱しています。


五歳の「のんちゃん」は

すでに様々な存在が見えてしまうのでしょう。

「こわいよ~こわいよ~」と

いいっぱなしでした。



トヨタマヒメ富士日記



トヨタマヒメ富士日記


トヨタマヒメ富士日記

湖の先端まで行きました。


そしてそのときに

「何かが見える?」と

わたしはたかさんに聞いてみました。


この先の渦に巻き込まれた

哀しいいのちたちを感じるかしら?

そんなことを思ったのですが・・・・


以外にも


「このさきに

大きな黒くて丸いもの。

10mくらいの・・・・」


そう指を指しました。



トヨタマヒメ富士日記

あの

ボートの浮いているその先に


大きくて黒くて丸いもの。


穴?

岩?


「わからない。なにしろ丸くて黒いもの・・・」


「もしかして

穴を塞いだ岩とか?」


「そうかもしれないし

穴そのものかもしれない。

なにしろ

丸くて黒い。」


「その穴はひとつですか?」


「ひとつしか見えないんです」



実は

昨日ガイアさんから

穴は六つあったらしい、との

記録を頂いていたのです。



戦国時代の前まではここから河口湖の水が吸い込まれ、遠く離れた桂川に通じていた。しかし、当時の人が吸い込まれるという事件が続出したため、1469年武田信昌の命を受けて大原七郷(昔の河口湖の集落名。大石、長浜、大嵐、勝山、木立、船津)の郷主が老松を輪伐りにして投げ込み穴をふさいだ。
排水口は全部で小久保口、外川口、田丸口、丸井口、山西口、鳥居口という6箇所あった。




その話をした直後だったので

一つしか見えないというたかさんの表現は

真実味を帯びてきます。


(たかさんの話が捏造であれば、

逆に6つある、と言ったと思います。)








トヨタマヒメ富士日記


富士レ-クホテルの敷地内に

筒口があったという伝説(この右にあるのが富士レークホテル)があり

たかさんが指を刺しているのは

たしかにこのホテルの正面だ。





社の同北方(現富士レークホテル内)に筒口という場所があり、湖水が渦を巻いて溶岩流下に流れ込んでいる。ここに漁夫や水くみ女が吸いこまれて遭難することがたびたびあったので、この危難を防ごうと1193(建久4)年に水神を祭って筒口明神と号した。湖水が減ずる時は筒口を松材でふさいで流水を止めた記録が「妙法寺記」にみられる。祭日には必ず少しでも雨が降るという。氏子はこれをみそぎの雨といっている





哀しいことに,

この日に発見したこと・・・


下水道の土管をそのまま湖に流して

湖を巨大下水道にしていたことだったのです。


だからあのとき

あんなに哀しかったのだ。


わたしたち人間が

湖をこんな風に汚していたんだ。


ごめんなさい

ごめんなさい

ごねんなさい・・・・



トヨタマヒメ富士日記

(すっかり水が無くなり、見えた底がひび割れています。)





トヨタマヒメ富士日記


そのときに

富士山の雲がまたしても

不思議な様子に・・・・

まるで首が伸びていく

なにかの生き物みたい・・・



トヨタマヒメ富士日記



このあと

Nさんのリクエストの

「御室浅間神社」に向います。


ここでも

水に纏わる

わたしたちの知らなかった事実が

出てくるのでありました。


つづきます。