先日、任天堂の4~6月期の決算が発表され、
売上高が3581億円で去年の約2・1倍、
最終利益が1064億円で、去年の6・4倍
という数字に、ネットニュースやツイッターで
「任天堂すごい!」
「さすが任天堂!」
という称賛の声が相次いでいました。
もちろん、任天堂が素晴らしい会社であることは疑いようのない事実なのですが、
この状況に対してふと思ったのは、
4~6月に流行っていたのが、新型コロナウィルスではなく、
新型「ナロコ」ウィルス
だったとしたら、全然違う結果になっていたということです。
新型ナロコウィルスは、コロナウィルスとは真逆の性質を持っていて
「他人と濃厚接触しないと活性化」
します。
小池都知事は、緊急記者会見を開いてステイホームならぬ「ゴーアウト」を掲げ、
・単独行動
・独り暮らし
・独りごと
の「三独(さんどく)」を回避するよう要請し、部屋に引きこもってゲームをしている人たちを、
「独です!」
と糾弾するようになります。
スポーツジムやライブハウス、劇場、居酒屋は人でごった返すようになり、
星野源がわざわざ新曲を作るまでもなく、mihimaru GTとかが再注目され、
マスク狩りをする「開放警察」が現れ、
人口が少なく三独になりやすい地域では、人との握手やハグはもちろんのこと、アフリカ系アメリカ人が得意とする「拳を突き合わせる挨拶」が奨励され(新型ナロコウィルスは、人との接触が多いイタリアやアメリカでは感染拡大が抑えられているのです)、マスメディアによって「あの、拳を突き合わせる挨拶があなたの命を守るんです!」とあおられた高齢者たちは必死にあの動きをマスターしようとするのですがどうしても覚えられず不安な日々を過ごしていたところ、ある日、朗報が飛び込んできます。
「アルプスいちまんじゃくも効くんだって!」
――今、あなたは、この文章がふざけて書かれたものだと思っているかもしれません。
でも、決して忘れてはならないのは、新型「コロナ」ウィルスは、
災害
だということです。
そして、災害とは、僕たちの都合と一切関係なく、予想もつかない方向から、ある日、突然やってきます。
どの分野にどんな打撃を与えるかは、そのときになってみないと分からないのです。
飲食店や居酒屋が赤字になるのは、
スポーツジムや劇場やカラオケボックスに人が来ないのは、
旅館やホテルの部屋が空いているのは、
その場で働いている人たちの責任ではありません。
ゲームを作るのも、美味しい料理を提供するのも、人の健康を支えるのも、みんなで集まって楽しめる場所を用意するのも、舞台に立って人を楽しませるのも、
同じように素晴らしい仕事です。
だから、「コロナの時代はこうなる」と言って、
売り上げが伸びた企業とそうじゃない企業を比較して「勝ち」と「負け」に分けるのは本当に間違っていると思います。
もしかしたら、それは「古い価値観」と呼べるかもしれません。
これまでの時代は、「経済成長こそが善」であり、より多くを稼ぐという資本主義のピラミッドをほとんどすべての人が登っていました。
その世界では、収入の少ない人は「努力不足」であり、どれだけ経済的に困窮していたとしてもその人の責任だとされていました。
でも、新型コロナによって、その考えは誤りであることに気づかされました。僕たちが信じていた経済成長は「恵まれた環境でしか成立しない特殊な状況」だったのです。
「巣ごもり需要」によって特定の会社に利益が流れたのも、その反対の「三密事業」が大幅に利益を失ったのも、
自己責任ではありません。
先見の明があったわけでも、準備不足だったわけでもありません。
たまたま、です。
だから僕たちは、
新型コロナが流行ろうが、新型ナロコが流行ろうが、
すべての人が幸せに生きていける新たな社会構造と価値観を身につける必要があります。
それは、より多くを稼ぐことが「勝利」ではなく、より多くを稼いでる人が「価値のある人」ではなく、
収入の多い少ないに関わらず、
多くの人たちと様々な形でつながり、有形、無形の財産を分かち合うのが「価値のあること」であり、
苦しんでいる人に救いの手を差し伸べることが「勝利」となる世界です。
そんな世界は、間違いなく僕たちを
気分上々↑↑↑↑↑↑
にしてくれることでしょう。