年齢を重ねると

肌にシミができたり、小さい文字が見づらくなったり、集中力や体力がなくなったりしますが、

個人的にはそれほど気にならないというか、

受け入れられるものは受け入れ、どうしても気になるものは対処すればいいという感じなのですが、

 

一番やっかいなのは、




「面白いこと」が減る




ことだと思います。


この言葉に対して、

「そんなことはない。いつだって面白いことはあるし、人生は今が一番楽しい!」

なんて言う人もいますけど、

「今が一番楽しい!」

というのは単なる認知のゆがみというか、「!」に、そう思い込みたい必死さが表れているというか、今を肯定したいがために過去の自分に相当失礼なことをしてしまっている気がします。

また、

「年を取って面白いことが減るのは好奇心が失われているからだ。好奇心を掘り起こそう」

なんて言う人もいますが、

掘り起こそうとか意識する前に生まれちゃっているのが好奇心だと思います。

小学生のとき、近所の高架下のトンネルに水が溜まってる場所があって、そこにウナギみたいな魚がいたのを見つけたとき、気づいたら靴履いたまま水の中に突っ込んでいましたからね。でも今、そこをウチの子どもと通りかかって子どもが「あれ見て!」と指さして叫んだら「ああ、あれは雷魚だね」ってつぶやいて終わりですからね。なんなら雷(ライ)の漢字の書き順教え始めますから。そういえば書き順で思い出しましたけど、最近、子どもがピカソの絵を見て


「この絵、どういう書き順?」


って言ってたんですけど、あれは相当面白かったなぁ。



…………すみません、面白いこと、ありましたわ。



――違う話をするつもりで書き進めてきましたが、よくよく考えたら、面白いこと、全然ありましたわ。



先日、ある少年院に行ってきたんですよ。


この少年院では少年たちが自分の「お勧め本」でプレゼン対決をするビブリオバトルが定期的に行われていて、前回優勝した人のお勧め本が拙著だったとのことで、ビブリオバトルの講評を依頼されて行ってきたのですが、これがめっちゃ面白かったんですよね。


ビブリオバトルに出場する少年たちは名前を呼ばれると、「はい!!!」と大声で答えて走り方まで決められていて統制された動きをしていたのですが、壇上に上り「お勧め本の紹介」を始めると本当に活き活きとしていて、その理由を考えてみたのですが、壇上に行くまでは「建前」、壇上に上ってからのプレゼンでは「本音」が出ているからだと思いました。

自分の子どもが学校の宿題で出された日記や読書感想文を読むと「この子の良いところが出てないなぁ」と思うのですが、それも先生に見せるための「建前」が書かれているからです。

たとえば日記の文章の書き出しで、


A 「今日は〇〇をして楽しかったです」


B 「今日は日記を書く気分じゃありません。なぜなら……」


この二つを比べた場合、断然、Bの方が面白いじゃないですか。

受け手が「先生」になると、文章は「建前」で埋め尽くされることになり、一方、少年院のビブリオバトルは、他の少年たちが採点する形式だったので(先生も採点に参加していましたが、他の少年と同じ1票でした)、本音が生まれやすい。思えば、日本の教育では「先生」や「教授」に採点してもらう機会が圧倒的に多いわけで、それが子どもの成長を阻害している部分も大いにあるなぁ、などと考えるきっかけになってすごく面白かったんですよね。



あと、少年院には僕以外の人たちも見学に来ていて帰りにみんなで飲むことになったのですが、その中でCさんという人がいました。

Cさんと話したきっかけは、僕が飲む前にヘパリーゼ的なものを買おうとして、

「そういえば、最近、二日酔いにすごく効くのがあるって聞いたんですけど」と言ったら

「ミラグレーンじゃないですか」と教えてくれた人がいたんですけど、その言葉にかぶせるように



「いや、モリンガでしょ!」



と声が聞こえて、僕を含め場にいた人が「モリンガ?」となったのですが、


「え? モリンガ知りまへんの? モリンガ飲んだら二日酔いなんて言葉、一生使えへんようになりまっせ!」


と関西弁でまくしたててきたのがCさんでした。
Cさんはすごい勢いで話し続けました。


「モリンガちゅうのはスーパーフードなんですけど、効き目がすごいんですわ!もちろん二日酔いにも効くんですけど、ウチの父親がモリンガでリュウマチ治ってもうて! 父親は元野球選手やったんですけど、最近指が動かへんようになって、どこの病院行っても治らへんから兄弟で『なんとかおやじ治そうや』って調べまくってモリンガにたどりついたんですわ。そんで親父にモリンガ飲ませたら、指が動くようになったんです!!! って水野さん、全然テンション上がってまへんやんか!!!でもその気持ち分かる!!!何にでも効く『オールインワン』やと、逆に二日酔いに対する効き目が不安になる、ちゅうことですやろ!?僕もそう思います!ちゅうか、そう思っていました! モリンガに出会うまでは! 僕の周りの人にモリンガ勧めまくったんですけど、二日酔いも便秘もPMSも不眠も抜群に良うなってまうんです!そういえば武田鉄矢もモリンガすごいて言うてましたわ! その動画のURL送るんであとで観といてください! ちゅうわけで、モリンガがすごすぎて僕、会社立ち上げてモリンガ売ることにしたんです!」


そしてCさんは言いました。



「あと、モリンガは、CO2もめっちゃ吸います!!!」



――まだ会話を始めて数分でしたが、


この人は間違いなく詐欺師だな


と思いました。こちとら伊達に50年近く生きてきてないんでね。こういう人はたくさん見てきたんですよ。


それで、Cさんとは距離を取ろうって思ったんですけど


そして、通常の僕であれば距離を取っていたんですけど、


少年院で「本音」の大事さに気づかされたこともあって、どうしてもCさんに「本音で聞いてみたいこと」が出てきたんですよね。


それで、お店に着いてもモリンガについて熱く語り続けるCさんに向かって、こうたずねました。




「ちなみに、Cさんはモリンガをいくらで売っているんですか?」




こういうとき、決まって詐欺師の方は、「これはなかなか手に入らないものなんで……」などとエクスキューズから入るものですが、Cさんは、鞄から袋を取り出して言いました。



「これ、1か月分で450粒入ってるんですけど、いくらや思います?」


袋はポシェットくらいのサイズでかなりの量の粒が入っていました。

僕は、どう答えようか迷いましたが、やはり、本音で答えることにしました。



「この量だったら5000円程度が妥当だと思うのですが……Cさんが売っている値段は、ぶっちゃけ、19800円だと思います」

そして僕は、「いや、29800円もあるかも」とつぶやいたのですが、Cさんはその場にいる10人くらいの人に「みなさん、いくらや思います?」と聞いて、それぞれ6000円とか1万円とか3万円とか思い思いの数字を口にしていったのですが、全員の意見を聞き終わると、Cさんは「ほな、値段言いますね」と前置きして言いました。



「4780円(税込み)です」




そして、マシンガントークを再開しました。



「僕はこれでも高すぎる思てますねん! モリンガの値段は下げて下げて、下げまくったろう思てますねん!!!」



そしてCさんは言いました。



「こんなに素晴らしいもん、みんなが飲めるようにならなあきまへんやんかぁぁぁぁ!!!!!」





詐欺師ばりの関西弁のマシンガントークで、中身誠実て――。

このあとCさんと意気投合してかなり飲んだのですが、あくる日、本当に二日酔いになっておらず、改めて「面白いなぁ」と思いました。

(すみません、Cさん、あの日「モリンガのサイト、リンク貼りますわ~」とか言っておきながら完全に放置してしまっていたのでここに貼っときます)

https://mamorin.net/products/tablet




――年齢を重ねることで経験が増すと、世の中の事象に対して既視感が増すことになる。すると、面白いことが減ったように感じることは、確かに、あります。

 

でも、


子どもの無邪気な言葉も

少年院での気づきも

Cさんのマシンガントークも


僕がこれまで培った「経験」という前提を深めたり、また、覆されたりして生まれる面白さでした。

それは、年齢を重ね、経験を増やすという土台があったからこそ出会えた面白さです。



アイザック・ニュートンがこんな言葉を残しました。



「もし私が他の人よりも遠くを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからだ」


これは、ニュートンが発見した数多くの科学の法則も、過去の人たちが培ってきた研究結果があったからだという内容で、ニュートンの謙虚さを表した言葉だと言われていますが、



ニュートンが見た、「巨人の肩の上」からの景色は、どんなものだったでしょう。



過去の研究を土台にして、より遠くを見渡すことのできたニュートンの目に映っていた景色には、とてつもない豊かさが宿っていたように思います。


そして何より、この名言を若い頃から知っていた僕が、


今、

 

この瞬間、

 

初めて、

 

 

「巨人の肩の上から見える景色はどんなものだったのだろう」とニュートンの視界に思いを馳せることができたことを、


すごく「面白い」と感じます。