先日、一人で居酒屋に入ったところ、この席に通されました。
これを見て何の問題もないと思う人もいるかもしれませんが、
私は閉所恐怖症なので端の席がめちゃくちゃ苦手なのです。
演劇やお笑いライブに行くときは必ず通路側の席を選びますし、自由席の場合は受付で「閉所恐怖症なので通路側の席空いてませんか?」と聞き、空いてない場合は、「通路で観ても良いですか?」と確認し、実際に通路で観ることもあります。
周囲を人や壁で囲まれた席で座って観るくらいなら、通路で立って観る方が1万倍くらい楽なのです。
さらに、私はカウンターの席がめちゃくちゃ苦手で、目の前に料理人がいると
「料理を残したら料理人がショックを受けるのではないか」
と不安になり、その不安が雪だるま式に大きくなっていき、最後は吐きそうになる、実際に吐いたこともあるという、
この時点で、
お前完全に病人じゃねえか。家か病院でじっとしてろ
となると思うのですが、
やっぱり人って戦いの中でこそ成長する生き物じゃないですか。
昔、
「もし神様が『この人間を成長させたい』と思ったとき何をするだろうか」
と、神様の立場に立って考えたことがありました。
その結果、出た結論は、
「完璧主義の人間を作り、そいつに対して完璧じゃない状況を与えまくる」
でした。
もし完璧主義じゃなかったらどういう状況でも「まあいいや」となってしまい成長しません。
そこで、まず、その人間を完璧主義にしておいて、かつ、完璧主義をあざ笑うような、完璧じゃない状況を与えまくります。
するとその人間は完璧を求めてあがきまくるので、成長するというわけです。
こうして、
「自分の人生が苦しい理由は、神が期待しまくっている証拠だから、どれだけ苦しくても完璧を目指すべきなのだ」
と考えるようになりまして、閉所恐怖症であり、カウンター席で吐く人間であり、一人で居酒屋に入るのも「あいつ居酒屋一緒に来る友達いないんだ」と白い目で見られることに超びびる人間であるにも関わらず一人で居酒屋に入った理由は、
店頭に「生ホッピー」と書かれた看板があったからなんです。
最近、事務所の作家たちと夕食を食べているとき「どんなお酒が好き?」という話になったのですが、
「自分が一番好きな酒はホッピーっす」
と言い出したやつがいたんですよ。
私のホッピーに対する印象は(ホッピーの会社の方には申し訳ないのですが)ビールの味を真似た安い飲み物でしかなかったので
「なんでホッピー好きなの!?」
という話で盛り上がり、その流れで「世の中には、生ビールならぬ生ホッピーというのがあるらしい」という情報が飛び出したんですね。
それで「いつか生ホッピーというものを飲んでみたいなぁ」と思っていた矢先に、通りがかりの居酒屋の看板で生ホッピーの看板を見かけたんです。
ここで完璧主義じゃない人であれば「一人で入るのは面倒だし、今度でいっか」となるわけですが、
私にとっては、「完璧な人生」という名のパズルにおいて、今一番欠けている「生ホッピー」というピースが目の前に落ちてる状態なのです。
さらに、完璧主義の人間は「持っているものではなく欠けているものにのみ注目する」という特性がありますから、
どうしても「生ホッピー」という欠けたピースを埋めたくなってしまうのです。
そこで、一人で居酒屋に入るのは怖いけど、それでも完璧さを目指して、意を決して、清水の舞台から飛び降りるつもりで、さらに、石橋を叩く意味で一応食べログ検索をし、
まあまあの点数だったので店に入ったところ、通されたのがこの席だったんですね。
座った瞬間、ほぼパニックでしたよね。
本当はすぐにでもお店を出たかったんですが、ここでお店を出たら
一人で居酒屋に入るだけでも変わった人間なのに
「一人で居酒屋に来て何も注文せずに帰った」ら完全に奇人の烙印を押されるわけじゃないですか。
だから逆に店から出られなくなり、それはある意味で完全なる閉所であり、こうなったら、一刻でも早く生ホッピーを飲んで酔うしかないと思い速攻で生ホッピーを注文して震えながら待っていたのですが、
そして、ここで、今回のブログを書こうと思った出来事が起きるのですが、
生ホッピーが出てくる前に、ゴキブリが出てきたんです。
足元の方から黒いものが這い上がってくるのが見えたので(まさか……)と寒気を感じながら視線を向けたら、
壁にゴキブリがいたんですね。
この瞬間、心の中で思いましたよね。
「ああ、神よ」と。
一人で居酒屋に入り、一番苦手なカウンターの端の席に通されるという苦行を味わっている私に対して、さらなる苦行を与えてきますか、と。
しかし、この問いに対して神はもちろん――沈黙(サイレント)――でした。
彼は何も答えず、いつものように、ただ、苦しみだけを私に与えてくるのです。
こうして、パニックにパニックを重ね着した私は、店員を呼びゴキブリがいることを告げ、そのどさくさに紛れて店を出ることまで考えました。
しかし、そのとき、私の頭の中で声が聞こえたのです。
「神様は 君を成長 させたいの」
こ、この声は――。
「完璧を 目指せるはずさ 君ならば」
――そう。私の中の「完璧主義」が、完璧な5・7・5のリズムで語りかけてきたのでした。
この言葉で私は目が覚めました。
そうでした。
確かに神はどれだけ呼びかけても応えることはありません。しかし、「完璧ではない状況」を作ることを通じて私に語りかけているのです。
「この状況を完璧にすることで、成長しなさい」と。
私は、完璧主義に向かって興奮して言いました。
「わ、分かったよ、完璧主義! 俺、完璧を目指すよ!目指してみせるよ!」
すると完璧主義は言いました。
「さっきから 君の言葉は 字余りだ」
私の言葉のリズムが完璧でないことが気になっているようでしたが、私の心は晴れ晴れとしていました。
そして、この状況を完璧にする方法を考えた結果、次の結論に至ったのです。
「このゴキブリを始末しよう」
私を精神的に追い詰めた、壁際のカウンター席。
しかし、この席は、同時に誰にもバレずにゴキブリを葬る最高のポジションでもありました。
そこで私は、ゴキブリがちょうど壁に貼ってあった紙のチラシの裏側に入ったところを見計らい、
おしぼりをサッと押し付け息の根を止めました。
その間、約2秒。
すべての所作を終え周囲を確認しましたが、この暗殺劇に気づいた人は一人もおらず、みな楽しそうにお酒を飲んでいました。
その直後、
「生ホッピーです!」
ちょうど店員さんが持ってきたジョッキをぐいっと一口飲んだ瞬間、とてつもない幸福感が体全体に広がりました。
自分の勇気ある行動が、この店にいるお客さん全員の笑顔を守ったのです。
その誇りが最高のつまみとなり、生ホッピーのおいしさが格段に増していました(生ホッピーは普通のホッピーよりもまろやかで美味しかったです!)。さらに、自分の英雄的行為への興奮が閉所のパニックも完全に消し去ってくれていました。
そして良いことは重なるもので、
このあと注文した料理も全部おいしくて、
最高のお酒と料理を味わいながら、私は、お店の一番端の席で一人、句を詠みました。
「苦しみは 神様からの 贈り物」
――よく言われる言葉ではありますが、改めて、神の創りしこの世界は完璧であり、
私ははっきりと神の存在を確信するに至りました。
(神様は酒好きが多い印象があるけど、まさにこの生ホッピーこそが神の酒なんじゃないだろうか……)
そんなことを考えながら上機嫌で生ホッピーのおかわりを続けていたのですが、
飲み始めて30分ほど経過したころ、視界の片隅を、あるものが横切りました。
お酒もかなり入っていたので、最初は酔って見間違えたのかと思いました。
でも、見間違いではありませんでした。
私のテーブルの上にいたのは、ゴキブリでした。
そのとき思ったのは、
「よし、このゴキブリも退治してお客さんの笑顔を守ろう」ではなく、
この店、大丈夫か?
でした。
神様とか、完璧とか、お客さんの笑顔を守るとか、色々理屈をこねくり回してきたけど、
単に不衛生な店じゃねーか。
ていうか、これまで食べた料理大丈夫か?
なんなら、最初に吐いといた方が良かったんじゃねえか?
次から次へと込み上げてくる後悔。
――私は、1匹目のゴキブリが登場したことによって、世界は完璧であり神の存在を確信したと書きました。
しかし、2匹目が登場したことで、
私が最終的に確信したのは、
この店にいる何百匹、何千匹というゴキブリの存在でした。
こうして一気に酔いがさめた私は、最高に嫌な気分で店を出て事務所に戻り、
この救いがたい状況を、
それでもなんとか、自分の人生にとって「あって良かった」ことにしようと、
泣きながらこのブログを書くことにしたのです。