先日、書店でこんな本を見つけました。

 

 

 

文脈力こそが知性である (角川新書)

 

この本は斎藤孝先生の「語彙力こそが教養である」の続編であり、「語彙力~」の中でこの「ウケる日記」が絶賛されていたことに舞い上がり、この本をベストセラーにすべくAmazonで10冊購入して僕を褒めてある部分にマーカーをして周囲の人に配りまくったという経緯は皆さんご存知のことだと思います。

というわけで続編であるこの本を読み始めたのですが、さすがと言いますか、前編に引き続きエビデンスの豊富さが本当に素晴らしかったです。マルクスやシェークスピアなど過去の偉人だけでなく、芸能人のトーク内容や、現代の漫画まで幅広い例を挙げながら知性について解説してあり、深い教養が身につくという点でも素晴らしい本だと思いました。


 

ただね。


まさか続編にまでね。

 

僕のことが書いてあるなんてことは、ましてや褒めてあるなんてことは、さすがに、それはさすがにあり得ないだろうと思いつつ、

 

 

とはいえですよ。

 

 

前作であれだけ褒めていただけたのだから、今作でも僕の名前が出てくる可能性もあるんじゃないかと

 

 

「さすがに」と「とはいえ」の狭間で揺れながら

 

 

正直言うと、7・3で「とはいえ」寄りの気持ちで読み進めていったのですが

 

P100、P150と後半まで読んでも僕の名前が出て来なかったので

 

「そりゃそうだよなぁ。面識がないのに続編まで名前が出てきたら本を使った文通かい、みたいなことになるし、斎藤先生もそこまではしてくれないよなぁ」

 

などと考え

 

ついに、最後の「あとがき」に差し掛かったのですが―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

















 

 

 

 

僕は震える手で携帯電話を取り出し、前回の斎藤先生の件で、僕の太鼓持ち契約社員から正社員に格上げした霜田くんに電話をしました。

 


水野 「し、霜田くん、えらいことになったよ! この前、書店で霜田くんが斎藤先生の『語彙力こそが教養である』を朗読したことをブログに書いただろ?今、その続編を読んでるんだけど『あとがき』でまた俺のことを褒めてもらえてるんだよ!!!」


霜田 「す、すごいじゃないですか!」


 

ただ、霜田くんも喜んでくれたものの、前回はたまたま書店に一緒にいるときに霜田くんが斎藤先生の本を朗読したからこそ記事にすることができましたが、今回、僕は一人で本を読んでいて面白い展開がないので、これをこのまま記事にしても面白くない、それは、この日記を褒めてくれている斎藤先生に対しても泥を塗ることになるのではないかと話したのですが、突然、霜田くんがとんでもないことを言い出したのです。

 

 

霜田 「じゃあ、僕、今から書店行ってきます!」

 

 

水野 「ど、どういうこと?」

 

 

霜田 「前回、僕が書店で水野さんを褒めている部分を朗読したくだりがウケたわけじゃないですか。だから今回は、実際に書店で水野さんの褒めてある部分を大声で読み上げて、動画に撮って日記にアップすれば前回の記事を超えられるので斎藤先生にも納得していただけるのではないでしょうか?」

 

 

僕は霜田くんに言いました。

 

 

水野 「霜田くん、そんなことしたら君、炎上するんじゃないか? おでんつんつんの人みたいになるんじゃないか!?」

 

すると霜田くんは静かに言いました。

 

 

霜田 「確かに炎上するかもしれません。でも僕が炎上することと水野さんの素晴らしさが広まること、どっちを取るかと言われたら、言うまでもなく後者ですよね」

 

 

 

 

し、霜田くん……!

 

 

この瞬間、僕は、太鼓鼓持ちの正社員である霜田くんに部下を――つまりは、僕の太鼓持ちをする霜田くんの太鼓持ちする人間を新たに雇う必要があるんじゃないかと思いました。

 

 

ただ、霜田くんが炎上するだけならまだしも、「こいつは水野の命令でやっただけの、ただの太鼓持ちクソ野郎」であることバレたら確実に火の粉が僕にふりかかることになるので、

 

 

 

霜田くんには書店ではなく、自宅的な場所で

 

文脈力こそが知性である (角川新書) のP198~の僕を褒めてくれている部分を朗読してもらうことにしました。

 

 

ご覧ください。

 

 

 


見てもらえると分かると思うんですけど、

 

 

 

後半の画像が変わるところでかなりイラっとしますよね。