最近、週に1日「完全オフの日」を作り、その日は一切仕事をしてはダメという決まりにしたのですが、実際にその日を迎えたところすごく仕事がしたかったので


「そもそも、本当にオフの日って必要なのかな?」


と朝から考えてしまい、考えた結果

 

「色々考えた結果、実験的にオフの日を作ることにしたのだから、試してみないとなんともいえない」

 

という当たり前の結論が出たころには夕方近くになっていたのですが、


とりあえず焦ってオフを満喫すべく


マッサージに行くことにしました。


それで、マッサージに行くと、マッサージ師の人が決まって


「こってますねぇ」


って言ってくるじゃないですか。

あれは暗に「あなた疲れてますよ、頑張ってますよ」というリップサービスであり鵜呑みにしないようにしてきたのですが、


この日、マッサージ師の人が僕の背中を触ったときに


「うわわ」

 

と言い出して

 

 

「固い!これは固いわ!」

 

 

みたいな感じで、


人類が初めて黒曜石見つけたみたいな空気で言ってきたんで


しかも


「長時間同じ体勢なんじゃないですか?」


と言われたのですがまったくそのとおりだったんで


やっぱりオフにするのが正解だったんだなぁ、来週は朝からちゃんとオフにしないとなぁとしみじみと思ったのですが


そのマッサージ師の方が全体をマッサージした結果、


「特に腰がやばかった」


つまりは、

 


「黒曜腰だった」

 


ということでした。

それで、これまで肩や首がよくこるなぁとは思ってたのですが、腰を気にしたことがなかったので

(僕の知らないところで腰は頑張っていたんだなぁ)

と腰に申し訳なく思ったのですが


そのとき、ふと


これって会社の経営みたいなものなんじゃないか


と思ったんです。


僕という人間は、とにかく人目を気にして、他者の視線にがんじがらめになっている人生なんで、少しでも人からホメられるようにどんどん仕事がしたいわけです。


その結果、腰やら肩やらを酷使するわけですが、


「人からホメられたい」=「サービスを向上させたい」


という気持ちに囚われると、


これは、脳の一部の機能を極端に優先させてしまっている結果なのですが、


「体」を無視して「サービス!サービス!」となるわけです。


すると結局は体を壊すことになり、本来の目的である「サービスの向上」にも遠回りになってしまいます。


だからこそ、やはり「オフ」は必要であり、


これを会社にたとえるなら


経営者が「サービス!サービス!」と考えて従業員を酷使したとしても、その人が過労になってしまったらサービスは低下するので


長期的視点で見たら福利厚生が大事になるのと同じことだと思いました。


そして、これは脳や肩や腰からなる「個人」という組織を、より大きな「会社」にたとえて考えたわけですが


これをさらに大きくしていったらどうなるのだろうと考えてみました。


僕にとっての「腰」が、会社にとっての「従業員」であれば、


「会社」もまた何かの一部なのではないかということです。


たとえば「国」からしたら「会社」は一部だと言えるかもしれません。


「国」にとってすごく良くない「会社」があったとしたらその会社は存続できないでしょうし、


逆に、良い会社があれば国は助けるだろうし、それはもちろん、完全にイコールではありませんが、


国と会社の関係は、経営者と従業員の関係に近いかもしれません。


また、話を人体に戻すと、


「脳」も「腰」もかけがえのない人体の一部であり、

 

「腰(従業員)は取り換えることができる」と言う人もいるかもしれませんが、経営者が退陣してもその法人は昨日と同じように運営されているケースが多々ある以上、脳もまた代替可能であり、やはり、「脳」と「腰」に価値の違いはないと言えそうです。


つまり、


すべての人間は、より巨大な組織の「一部」であり、

 

「いや、俺はサラリーマンじゃない」

 

と言う人も、

 

ある日突然、隕石が頭にぶつかって、世界から「クビ」を切られることもあるわけです。

 

その意味で、

 

経営者も、アーチストも、スポーツ選手も、無職の人も

 

人類は全員、宇宙会社のサラリーマンであり、

 

その一部が酷使されると、結局は全体のためにならないのだと思います。