昨日、TSUTAYAで号泣しました。


ただ、その理由を書いてしまうと一行で終わってしまい

感動の理由も全然伝わらないと思うので

涙までの経緯をお伝えしたいと思うのですが、

そもそものきっかけは、2002年に映画館でピクサーのアニメ「モンスターズインク」を見たことに遡ります。

僕は当時25歳で学生時代から所属していたプロダクションを辞め、無職の状態でした。

ただ、「本を出したい」と思っていたので、最低限の生活するためのアルバイトを週2日だけして、あとは一日中本を書いていました。

当時、僕は門前仲町で友人とルームシェアをしていたのですが(友人に無理を言って家賃もかなりの部分、彼に負担してもらっていました)

門前仲町の近くにある、日本で一番大きなイトーヨーカドーにシネマコンプレックスがあり、そこで月に一度レイトショーを見るのを唯一の娯楽としていました。

レイトショーが1200円で、しかもほとんどお客さんはいないので、僕はがらんとした映画館の中の中央の席(これは本当に中央の席を選んでいて、中央の席が確か19席くらいだったと思うのですが、端から数えて10番目の、完全に真ん中の席)を選ぶのがささやかな贅沢でした。

そこで僕は、たまたまピクサーのモンスターズインクを見ることになったのです。

当時はまだ3Dのアニメーションがそれほど広まっていなくて、僕も「3Dアニメは人間が機械的で気持ち悪いなぁ」と思っていたのですが

見終わったあとあまりの衝撃で、門前仲町を流れる川の堤防に腰かけて、1時間くらい呆然としてました。

それは、単に「面白い」というレベルを超えていました。「とてつもないものを見た」という感覚がありました。

「モンスターが子どもを怖がらせるという仕事をしている」という根本的なアイデア、そして、たぶんそれを見る全ての人が感動するであろう脚本……

「完璧」な作品でした。

その後、僕はモンスターズインクを作ったピクサーの作品をTSUTAYAで借りて見たのですが、そこで再び衝撃を受けました。

「トイストーリー」に始まり「バグズライフ」「トイストーリー2」彼らの作品は、ことごとく、モンスターズインクに匹敵するクオリティを持っていたのです。


「どうしてこんなことができるんだろう?」


こうして僕はいよいよピクサーという会社が頭から離れなくなり、ことあるごとにピクサーについて調べていくことになるのですが


そこで僕はジョン・ラセターの存在を知り、彼の考えに衝撃を受けることになりました。


ピクサーの長編3Dアニメを作ったジョン・ラセターが最初の作品を大ヒットさせたとき、まず考えたのは



「自分一人では、定期的にピクサーが長編アニメを社会に供給することはできないから監督を増やさなければならない」


ということでした。


こうして彼は、アニメ監督を探し、育て、自分に匹敵するアニメ監督を8人作り出したのです。


これは、スタジオジブリで言えば、「宮崎駿が8人いる」状態であり、しかも、それを彼は、最初の作品である「トイストーリー」を世に出したとき、すでに思い描いていたのです。


どうして彼はそんなことができたのか、どうしてそんなことをしようとしたのか。


それは、彼が喜ばせたい対象が「より多くの人間」だったからだと思います。


多くのクリエーターが、お客としての対象に「自分だけ」という極めて限定的な考えを持ってしまう場合が多いのに対し、いや、彼ももちろん、自分自身を喜ばせる作品を作っているはずで、

なぜならまず最初のお客は自分でなければ人を感動する作品にはならないからです。しかし、彼はそこに留まらず、本当の意味で「一人でも多くの」人を感動させようとしました。


だから彼は「監督・脚本」の地位を離れ、「製作総指揮」として一歩下がった立場を取り、


作品のエンドロールの4番目にクレジットされるようになったのです。


その圧倒的な志の高さに感動せざるを得ませんでした。


しかし、彼に関する衝撃はここに留まりませんでした。


――2006年、ウォルトディズニーピクチャーズがピクサーの買収を発表するというニュースを発表されたとき、ピクサーの素晴らしい文化がディズニーという巨大企業の、もしかしたら今後劣化していく運命にあるかもしれない企業に飲み込まれ、壊れてしまうのではないかと不安になりました。



だからこそ、僕は「ボルト」という映画に注目していました。





ディズニーによるピクチャー買収後、ディズニーとピクサーのクリエーティブのトップに就任したジョン・ラセターが初めてディズニーにおいて製作総指揮を務めた作品――それが「ボルト」でした。ボルトは、テレビの中で役者として活躍している犬が、現実と虚構の区別がつかずに自分をスーパー犬だと思い込むという話です。この「ボルト」はジョン・ラセターが今後どんな道を進むのか、それは、世界のアニメがどうなるのか、が問われる作品でした。


「ボルト」は――完璧な作品でした。


このころ僕は、自分でもモノづくりをするようになっていたのですが、一体どういうものに人は感動するのかおぼろげながらその空気を感じるようになってきていたのですが、ボルトはありとあらゆる点において完璧と言える作品でした。


そして、僕はこのボルトを試写で見たのですが、「ボルト」の製作発表でジョン・ラセターが来日するという情報を見つけましたので


「これは行かねば!」


と思い、新宿のパークハイアットに向かいました。


何も考えずに会場に向かったので入口のところで


「御社の媒体は?」


と聞かれて青ざめました。

製作発表という場には記者の人しか入れないということを初めて知りました。

そこで、


「媒体は……ウケる日記です」


と、このブログ名を答えておきました。


僕の媒体これしかないんでね。


そうしたら受付の人が小首をかしげながらも


「PRESS」


と書かれたプレートをくれたので、それを首からぶらさげて部屋の中に入りました。


そして、緊張しながらジョン・ラセターを待っていたのですが、


登場したジョン・ラセターは、



びっくりするくらいのデブでした。


それは、今までのラセターに対するリスペクトをすべて吹き飛ばすくらいの脂肪のつき具合だったのですが、

しかし、彼の取った最初の行動に僕は衝撃を受けました。

ボルトの監督は、クリス・ウィリアムズという20代の若い監督だったのですが、

ラセターは、片膝をついて両手をひらひらさせて彼にかしづくようなポーズを取ったのです


まるで「この映画を作ったのは彼だ」言わんばかりの。


(さすがラセターだ……。これが彼の志なのだ)


彼の体型に対する不安は吹き飛び、なんなら僕ももう少し太った方がいいのでは?と思うほどであり、

このポーズを見ることができただけでもこの会場に来た甲斐があったと思いました。


そして「ボルト」の声優を務める日本の女優、俳優などの紹介が終わった後、


いよいよ質疑応答タイムに入りました。


もちろん僕としては、ジョンラセターに聞きたいことが1800個くらいありましたので


いの一番に手を挙げたかったのですが、


しかし、ラセターがいかにクリス監督を気遣っていることを誰よりも肌で感じていましたので、そこでジョンラセターに質問するということは、


逆に、ラセターのことをわかっていないかを露呈することに他ならず、それはラセター一派としてあるまじき行為なので、ここはぐっと歯をくいしばり、会場から、ボルトの監督への質問がいくつか出てから、僕からジョンラセターに質問しようと思って手を挙げなかったんですけど


これが、記者の人らみんなラセターに質問するわけですよ。


「空気読めよ」


とブチ切れそうになりましたね。


監督を立てたいラセターの気持ちが全然わかってないんですよ。


もう、なんなら僕がラセターに気を遣ってクリス監督に質問してやろうかと思ったくらいでした。聞くことないけど質問捏造して聞いてやろうかと思いました。


ただ、ラセターに直接質問できるなんて一生に一度あるかないかの機会なんで、ここは心を鬼にしてチャンスをうかがっていたのですが


やっと監督に質問する記者の人が現れたんで


(機を見るに敏!)


と思って手を挙げたら


これが全然当てられないんですよ。


それで手も天井に突き刺さるんじゃねーかっていうくらい挙げたんですけど、全然当てられないんですよ。



「まさか、俺の媒体がウケる日記だからなのか――」



そんな疑心暗鬼に陥ったのですが、


どうも、質問する人は最初から決まってたっぽいですね。


それで結局、僕はラセターに何も聞くことができなかったのですが、


それでも、僕はラセターの口から素晴らしい発言を聞くことができたのです。


記者からの「今後どんな作品を作られるんですか?」という質問に、ラセターはこう答えました。



「ボルトでは、ディズニーで初めての3Dアニメに挑戦した。次に自分が作りたいと思っているのはディズニーの王道のミュージカルアニメだ」



この言葉を聞いたとき、鳥肌が立ちました。


というのも、僕はこれまでのディズニーの一連のミュージカルアニメがまったく好きになれなくて、


その理由は(僕と同じ考えの人は結構いると思うのですが)


「歌の挿入が不自然」


だからです。

登場人物が突然歌を歌い始めるので、せっかく作品に没入していたのに冷めてしまうということが起きていました。


しかし、これだけ圧倒的な作品を作り続けているラセターがその問題を放置するとは思えず、彼がどのようなミュージカルを作ってくるのか、


どのようにディズニーの歴史を変えてくるのか、非常に興味深かったのです。


そして、ラセターが総指揮を務めた最初のミュージカルアニメが


「塔の上のラプンツェル」でした。





ラプンツェルの、最初の「歌」が出てきた時点で全身の鳥肌がたちました。

なんと歌は――魔法の「呪文」として登場したのです。魔法の呪文としての歌、ラセターはそこから歌を使うことで、物語のなかに圧倒的な自然さでもって歌を挿入してきました。

この映画の最大の見どころである、ラプンツェルと王子が船の上で愛を歌にするシーンは、これまで見て来てミュージカルの中で、愛が最も自然な形で歌として表現されていて、歌が終わって欲しくないと生まれて初めて思えたミュージカルアニメでした。


――ところで、これほどまでにすごいジョン・ラセターなのですが


今、この文章によってはじめてその名前を知った人も多いと思います。


ウォルト・ディズニーと並び称されてもおかしくないほどの実力を持った彼は、どうしてこれほどまでに、人に知られてないのでしょうか?


つまり、どうして彼は「製作総指揮」として一歩引いた、ある種の裏方に徹しているのかというと、


その理由は、「人類の発展の歴史」に関係があるのではないかと思います。



人間の歴史は、過去に「奴隷」が存在し、「全体主義」があり、「個人」は「一部の者のため」に犠牲になるのが常でした。


そして、その犠牲になっていた個人が「俺だってすごいことがやりたい、輝きたい」と欲望を前に出すことで現代社会は生まれました。


これは、「アリ」の世界にたとえるなら、


たとえばアリの世界では、他のアリが歩きやすいように、ひたすら自分の身体を土台にして「橋」になるアリがいます。


そのアリは、一生を「橋」として過ごします。


しかし、アリの目的は「種の保存」なので、橋として生きることに何も不満を言いません。


ただ、人間は、ある時点で一生を誰かの土台として過ごす事に対して


「嫌だ!」


と言い始めたのです。


「俺にだって牙がある。一生を橋として過ごすんじゃなくて、この牙をつかって何かを挟んだり、運んだり、してみてえよ!」


この叫びによって、人類は奴隷を解放し、民主主義を獲得してきたのです。



そして、現代社会は、この「個」の欲望がますます高まっている時代だと思います。



それは、たとえば、ウォルト・ディズニーという会社名にも現れていると思います。


ウォルト・ディズニー社ができたのは、1923年ですが、この会社名が成立したのは、「個」の欲望が今ほど高まっていなかったからであり、


たぶん、今、世界の会社の統計を取ったとしたら、人の名前が会社名になっている企業で発展しているのはどんどん少なくなっていると
思います。


それは、会社名に生きている人の名前がついていると


「その下になる」ということであり、


それは、女王アリと働きアリの関係であり、「個」の欲望が高まっている時代には、そういった会社を容認しない人が多いと思います。


だから、最近生まれた、世界的に素晴らしい企業は


「アップル」「アマゾン」「フェイスブック」「スターバックス」……


極めて透明感のある名前であり、もし、これらの企業に創業者の名前がついていたら今のような発展はなかったかもしれません。


その意味で、ラセターが一歩引いたポジションに就き始めたのは極めて自然なことです。


監督や脚本家のプライドを守り、彼らにスポットライトを浴びせることによってモチベーションを高める、


それが自然な流れであり、


より多くの優秀な人を動員し、人類レベルで人を喜ばせるための選択を積み重ねていった結果、彼は、今の彼になりました。




――前置きが長くなりましたが、本題に戻しましょう。




なぜ、「アナと雪の女王」がこれほどまで世界的大ヒットを記録したのでしょうか?




その点に関して、様々な場所で、様々な議論・評論が行われていますが、



真実は、ただ一つ。




「ラプンツェルからディズニーのミュージカルを進化させようとしてきたジョン・ラセターが、その高みに達したから」




です。


しかし、ここに書いてきたように、ジョン・ラセターは、より多くの人を喜ばせるために、影の立ち位置を取っています。


だから、世界中のほとんどの人はその事実を知りません。


そもそも、ピクサーのキャラクター「ファインディング・ニモ」や「カーズ」ですらディズニーが生んだと思っている人がほとんどなのです。


だからこそ「アナと雪の女王」に関しては、その凄さを誰とも共有せず、一人、感動と嫉妬を噛みしめていたのですが、


昨日、TSUTAYAを歩いていたら、ふと、ある映像を目にしました。


その映像は、CDを売るための広告用の小さなモニターに流れている映像だったのですが


それを一目見たとき身体が震えてきて涙が止まりませんでした。



その映像は「アナと雪の女王」の挿入歌「LET IT GO」が、4小節づつ、25か国語で歌われるというものでした。


その映像は――ラセターが喜ばせようとしている相手が「人類」であることを最も端的に表しており――彼の志の高さがここに集約されていたからです。